なぜデザインにおける「引き算」は難しいのか?<簡単じゃん。機能が増えたから

 問題を単純化しすぎている。昔の電子レンジはできることが少なかったし複雑なコントロールをつけることが技術的にできなかったのだ。その結果としてシンプルだっただけで、シンプルにしようとしてシンプルだったわけではない。それを是として懐かしむのは只の懐古趣味だ。

 家電品やアプリやOSは複雑なことをこなさなければならない。昨日が増えるのだから仕方がない。今の課題は、複雑な操作や設定が必要な機材やアプリを如何に使い易くするかだ。ボタンが 33 個ある電子レンジは複雑な操作を一つのボタンで実行できるだろう。ボタン一つへの機能の割り当てを簡単にするには機能の数だけボタンを付ける必要がある。同じ事を少ないボタンで操作するには、組み合わせでカバーする必要がある。見た目はシンプルになっても、操作体系が複雑では意味が無い。

 「どちらのサーヴィスもすっきりとしたインターフェイスが人気を博し、熱心なユーザーを獲得している。」とあるが、一つしか無いサービスのインターフェースがシンプルなのは当たり前だ。好まれているのはシンプルな「デザインだから」ではないだろう。そのサービスそのもののコストパフォーマンスやサービスの充実も合わせて考えないと見誤る。

 iTunes も、スタート時は iPod のライブラリ管理しかしていなかった。ところが今は、オンラインショッピング(音楽、映像、アプリ、クーポン)やラジオ、テレビ(日本では使えない)、家庭内コンテンツサーバー、Podcast、iPhone の着信音まで扱わなければならなくなった。これらをシンプルなデザインに押し込めた時に、ユーザに負担がかからないだろうか。それは本末転倒ではないか。従来サイドバーに一覧表示されていた情報を得るために一々どこかをクリックしてモードを切り替えなければならないような「シンプル」デザインなどデザイナーの自己満足にすぎない(現バージョンの iTunes になったとき最初に戸惑ったのはこれだった。設定で回避できたが)。

 iTunes ライブラリの音楽を再生するためだけのアプリをシンプルなさデザインで作ったとしても誰も喜ばないだろう。iTunes に包含されている他の機能についても、コンテンツの種類ごとにアプリが分かれていたら、一つ一つのアプリがシンプルだろうが、UX は煩雑きわまりなくなる。

 「『Newsstand』アプリはその一例。このアプリでは、ユーザーは読みたいものを開く前に、木製の本棚を模倣した安っぽいデザインのアプリを開かなければならない。」と酷評しているが、本棚のデザインがどうかはともかくとして、同じ種類のコンテンツを一つにまとめて管理できるのは UX をシンプルにしてくれる。今のように、アプリとコンテンツとがごちゃごちゃになって、新聞社毎に別のアプリになっているより、NewsStand のほうが UX は改善される。「NewsStand を開けば全ての雑誌・新聞コンテンツが読める」となるのが理想だ。

 ただ、NewsStand はフォルダに入れられるアプリに制限がある iOS 6 以前の妥協案であるとは考えられる。フォルダに入れられるアイコンの数に制限がなければ、新聞や雑誌、本関係のコンテンツが独立アプリになっていても、「本」なり「雑誌」なりのフォルダを作って全部放り込んでおくことができる。(NewsStand や iBooks のショップとの連携 UI は別の価値ではあるが)。

なぜデザインにおける「引き算」は難しいのか? « WIRED.jp
シンプルさが受けて大ヒット製品が生まれることがある。そして、シンプルな製品はロングセラーにもなりやすい。

サーモスタット「Nest」からフィットネストラッカー「Fitbit」、HDDレコーダー「TiVo」まで、シンプルさがヒットの要因になった製品は多い。人々がNetflixを使うのも、そのシンプルさゆえのことである。また、フィッシャースペースペンやスイスアーミーナイフ、ロレックス・オイスター・パーペチュアルなどのシンプルなプロダクトは、長い年月にわたって売れ続けている。これらはすべて、シンプルさが生み出した奇跡ともいうべきだろう。
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WWDC keynote speach watch 3(Folder, Control, Nortification)

iOS 7 のホーム画面でフォルダ内がスクロール出来るようになっていた。あまり話題になっていないが、これは嬉しい。iOS 4~6 ではフォルダには12個しか入らなかった。Jailbreak して便利さを実感した機能のひとつだった。これが、正式にサポートされることで脱獄へのモチベーションが減ることを意図したのかもしれない。

 Control center も、好意的に受け取られているようだ。電池の無駄遣いを防止するためにも Wi-Fi や Bluetooth は使わないときには切っておいたほうがいい。しかし、現在のように設定アプリを起動して・・・というのでは面倒だ。Control center のように設定画面を呼び出せたらこまめに設定の変更ができる。こちらも Jailbreak アプリでは実装されていた機能だ。

 Nortification center の拡張は微妙。iOS 6 にある Twitter や Facebook への投稿ショートカットや天気、株価などが消えている(設定できるのかもしれないが)。

 個人的には、サードパーティのアプリの機能を OS レベルに組み込むことはあまり好きではない。なので、iOS 7 のカメラが Instagram そっくりの機能を実装したことに拍手はできない。しかし、上に挙げたような機能については、OS 本来の機能の拡張であり、システムの安定性を損ないかねない部分での拡張なので、OS レベルに取り込まれるのは賛成だ。

WWDC keynote speach watch 2 : OS X Mavericks 入れるかなぁ?

 今使っている iMac は 2007 mid (2007/12/15 購入)なので、Marveric の対象にはなっているらしい。

 しかし、積極的に使いたいと思うような機能はない。それどころか、今は Lion で使っていて、Mountain Lion にすらしていないくらいだ。Marveric の Timer Coalescing や Safari のアップデートなどは興味があるが、このマシンでメリットを享受出来るかどうか分からない。

 68k や PPC 時代は、少しでも安定した動作を求め、新しいバージョンが公開される度に、入手可能な限り最新のバージョンにしたものだった。しかし、Snow Leopard あたりから安定度が大きく改善され Lion になってからは不可解な動作はほとんどなくなった。なので、基本性能・機能のアップデートを求めて新しいバージョンにする必要がなくなった。

 自分が自宅の iMac のバージョンアップに積極的でないのには、それ以上に根源的な原因が有る。「会社で支給されているパソコンが Windows マシン」これに尽きる。Mac OS でしか使えない便利機能を使って馴染んでしまうと Windows マシンを使った時に不便すぎて凹む。カレンダーや住所録、ToDo などのデータも iCloud でどんなに便利でも仕事のデータと共有できなければメリットは少ない。仕事でパソコンを触っている時間のほうが、生活の中のシェアは大きいのだから。

 WWDC の会場で新しい便利機能の喝采しているような人たちは仕事で四六時中 Mac を触っている人たちだから、Finder の機能が上がることは生産性の向上に直結するだろう。しかし、Mac だけを使ってる人は少ないし、Mac を触っている時間が生活の大半という人はもっと少ない。そんな少ない使用時間の生産性を40%上げた所で、生活の改善にはあまり関係がないのだ。

 これは、UX の改善に対する評価の個人差の問題だ。Mac で仕事していて、多量のファイルを管理している人なら、Finder の効率アップは UX の改善を実感できる。2時間かかっていたことが1時間半になるだけで30も早く帰れる。それに対して、自宅でウェブブラウズや iTunes や写真の管理程度にしか使ってない人にとっては Finder の機能が増えても使う機会がほとんどないし、2分かかっていたことが1分30秒になっても誤差でしか無いだろう。

禿同:Appleは、そろそろユーザーを大人扱いしてもいい頃だ

ios7 logo 自分にとって iOS に対する最大の不満がこれだ。iTunes store からしかアプリを変えないという枠組みは構わない。というより、もっと厳密にチェックして欲しいくらいだ。しかし、そこで十分なチェックをしたアプリをどう使うかはユーザにゆだねて欲しい。

 ウィジェットが置けるとかホーム画面のアイコンを任意の位置に置けるとかどうでもいい。フラットデザインにも興味を感じない。UX にとって重要なのは上っ面の絵ではない(一部ではあるが)。「」で見た Foursquareのボタン。これは従来のデザインだし、ここだけ日本語化されてない。画面的には問題のある UI と言える。しかし、UX の改善にとってこのボタンの意義は大きい。

 マカーが Mac OS を「使い易い」といって支持してきたのは表面上のデザインだけではない。UX の改善につながるのは、ここにとりあげられた API の開放だと思う。

Appleは、そろそろユーザーを大人扱いしてもいい頃だ | TechCrunch Japan

Appleはもうわれわれを大人扱いしてもいい。この会社がiOSでスマートフォンに革命を起こしたことに疑いの余地はない。しかし、iOSが年を重ねるにつれ、そのユーザーも年を重ね、初めてのスマートフォンユーザーは減っている。この、コンピューターをポケットにというアイデア自身が新しいものだった頃は、ユーザーの自由を奪っていたのもわかる。しかし、Appleがスキューモーフィックなデザインから、抽象化を高めたフラットデザインへとiOS 7で移行しようとしているのと同じように、オペレーティングシステムをどう使いたいかに関して、もう少しユーザーを信用し、権限を与えるべきではないだろうか。
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UI の悪夢始まりか (radiko for iOS)

9015735142_c8431ee246_c 4月からの radiko for iPhone の画面、流行りを取り入れたのか知らんが、上段のコントロールが分かりにくい。右から2つ目のスピーカーみたいなボタンがボリュームスライダーを出すためのボタンって分かる?選局ボタンが他のボタンに比べて押しにくいと思わない?

 下に番組表というボタンが有るんやから上の「番組表」というボタンは要らんやん。右の「聴取中」というボタンも分かりにくい。

 さらに、上の「番組表」というボタンは番組表画面では表示されない。それに対して、「聴取中」ボタンは聴取中の番組画面に遷移してからも表示されたままだ。「番組表」モードが上位のメニューで聴取中モードが詳細表示という構成なんだから、上位の番組表画面で「番組表」ボタンが表示されないのは分かる。それより上の階層がないから。だったら、聴取中モードになったら「聴取中」ボタンは消すべきだ。

 UX を無視した(あるいは軽視した)フラットデザインには、無駄にリアルなスキュアモーフィックデザインと同様、意味は無い。ここ、一年くらいは使いにくいフラットデザインが反乱するんだろうな・・・

Google Glass:この反発の理由は?

googleglass 小さなLEDで解決できる問題ではないと思う。撮影中のLEDの有無にかかわらず、カメラ越しに話しかけてくる人に警戒心を持つのは当然だ。そして、問題を大きくしたのは記事にもあるように Google の宣伝のせいだ。カメラとしての使い方を強く訴求するプロモーションが多かったために、だれもが Google glass のメイン機能がスパイカメラであるかのように感じたのだ。

 また、引用した記事では「Google glass は機能がしょぼくて心配するような使い方はできないから不安になる必要はない」といった説明があるが、これはピンぼけだ。そんなものはあっという間に克服される。2005年のエントリに CLIE UX-50 を中古で買った当時のものがあった。そこでは、「Wi-Fiは電池を食うので使用は最小限にしないとあっという間に電池が減る」と記している。これは8年前だ。今では、というより数年前には、Wi-Fiで動画をダウンローしながら映画一本分くらいは余裕だ。それどころか、スマートフォンは動画をリアルタイムでインターネット配信することが既に可能だ。ツイキャスや U-stream 用のカメラとして Google glass が使われるようになるのは遠い未来の話ではないだろう。

 2013 年のコンシューマーデバイスではスパイカメラは物理的な制約がある。Google glass はそれを打ち破るポテンシャルがある。それを嗅ぎとっているから過剰とも思われる反応が生まれるのだろう。

 これは、街角の「防犯カメラ」によるプライバシー問題と同様の社会的課題だろう。Google glass のみに関係する問題ではない。

Google Glass:この反発の理由は? | TechCrunch Japan
Google Glassはまだ正式発売もされていない。にもかかわらず、このGoogle初のウェアラブルコンピューティングの実験はあからさまな反感を買っている。1年前に大々的なハイプをもって迎えられた製品が、ここまで早く愛憎のサイクルに遭遇するのは普通ではない ― まだ数千台しか世に出ていないのに。たしかにわれわれも本誌なりに、あのGlassユーザーたちを “Glasshole”と呼んだりもしたが、反発はいつものテク系インサイダーの域を越えている。
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Foursquare に見る写真選択 UI の進化(UXの改善に繋がらない UI は無意味)

foursquare menu Foursquare の iOS アプリがアップデートされて、どのバージョンからかは忘れたが、写真選択用 UI が良くなった。これは他の、写真を選択するアプリ全ては見習って欲しい。

 通常のアプリは「写真を撮る(Take Photo)」「ライブラリから選択(Upload from Library)」のメニューが有る。なので、息子には「カメラ」を起動して写真を撮った後で他のアプリで「さっき撮った写真」を選びたい場合には、「ライブラリから選択(Upload from Library)」>写真の入ったライブラリを選択>写真を選択>完了(Done)と4回ボタンを押さなければならない。アプリによっては、ライブラリで最後に撮った写真が表示されずにスクロールしなければならないものまである(これは問題外で少数派だが)。

 Foursquare は “Use Last Photo Taken” を加えた。最後に撮った写真をボタン一発で挿入できるのだ。SNS への投稿やメール添付で使用する写真はカメラで最後に撮ったものだろう。だから、このボタンは、開発者がユーザの行動を良く理解しているからこそできたのだと思う。素晴らしい。

 UI (ユーザーインターフェース)や UX(ユーザーエクスペリエンス:使用者経験)というと、流行りの色使いや視覚効果を採用することのように捉えている記事が多いが、UX の改善とはこのような改善の積み重ねだ。どんな cool なグラフィックメニューだろうがそこで実行される機能がユーザをサポートしないのであれば、良い UI とは言わない。

「Windows 8が軌道修正。それでいいのか?」いいんです!

Macintosh_System_7.5.3_screenshot 自分は軌道修正が必要だと思う。10インチのタブレットと23インチのデスクトップPCの UI を統一させようということに無理がある。10インチならフルスクリーンでいいかもしれないが、23インチの1920×1050の画面いっぱいにワープロソフトを表示したい人間がいるか?このことは Mac OS X Lion のフルスクリーンモードにも言える。iPad の横持ちモードですら画面いっぱいにテキスト入力ウィンドウを開かれると視線移動が多すぎて入力効率が悪くなる。いわんやデスクトップの大型モニタをやだ。

 また、「メールやIMやツイートがあちこちから飛んでこないほうが、自分のしている作業に集中できたはずです」はマルチウィンドウとは関係がない。フルスクリーンの iOS や android だって通知が来る。それを邪魔と思うか思わないかは本人次第だし、いやなら切っておけばいい。

 しつこいようだが、UIはインターフェースとなるデバイスによって異なる。10インチのタブレットと23インチのデスクトップPCとを同じように操作させようとしたことに問題があるのだ。モニタを手が届かない所に置くこともあるデスクトップにタッチインターフェース前提のUIを使わせようとするのが問題の本質だ。

 業務でPCを使う場合にモニタ上に複数の書類を開いてコピペすることは日常茶飯事で必須の作業だ。Facebok や twitter が気になるという話ではない。これに、フルスクリーンモードしか無い UI は応えられないのだ。

 パソコンとタブレットとは別の UI を搭載(あるいは、テーマのようにユーザが切り替えられるように)しておけばいい。スタートボタンの有無もそのレベルに落としておけば、「タッチスクリーン付きのノートPCとタブレットは Metro で、デスクトップPCはクラシックなマルチウィンドウで Windows 8 を使う」ということが可能になる。

Windows 8が軌道修正? それでいいのかマイクロソフト : ギズモード・ジャパン

Windows 8、それは妥協のない改革でした。その結果、明らかに「違うだろう」と思う要素もありますが、それらは修正可能なものであって、大きな方向性に修正が必要だとは思えませんでした。でも最近の情報が本当なら、マイクロソフトはWindows 8で描いた理想から手を引こうとしているようです。それが事実でないことを祈ります。

次期WindowsはWindows BlueまたはWindows 8.1と呼ばれ、6月末にはパブリックプレビュー版が公開予定です。それはWindowsのあり方を変える大きなアップデートです。でもそれ以上に、次期アップデートでUIが従来のWindows的なものに逆戻りするとも言われているのです。

スタートボタン復活の可能性は濃厚で、昔ながらのデスクトップから起動することもできるようになりそうです。それ自体は歓迎すべきことのように思えますし、それが今回のアップデートのすべてであることを願います。マイクロソフトは、今この段階で軌道修正しちゃいけないんです。そして我々ユーザー側も、それを求めるべきじゃないんです。

パソコンで効率よく作業するには従来のようなウィンドウ環境が必要と思われるかもしれませんが、問題はそこじゃないと思います。我々はそういう意味での「効率」を求めていないんです。今まで「効率」だと思ってきたものは、実はそんなに効率がよくないからです。今までの「効率」とは効率よくマルチタスクできる能力ということで、ともすればユーザーが何をすればいいかわからないくらい多くの選択肢が提示されていたんです。本来、メールやIMやツイートがあちこちから飛んでこないほうが、自分のしている作業に集中できたはずです。

その方向性はマイクロソフト以外の製品でも見えてきています。GoogleのChrome OSはもう数年もその考え方を広めて来ていますが、新しいChromebook Pixelではひとつの極限に達しています。アップルでもOS X Lionでフルスクリーンモードをプッシュしてきています。いつか、別付けのグラフィックスカードとか光学ドライブが消えていっているように、従来のパソコン的「効率」はなくなるのかもしれません。その後を引き継ぐのがMetro、またはMetro的な何かとなるはずです。

Facebook Home組み込みスマートフォン(HTC First)に販売終了の噂

htc-first-f4-1 懐疑的なことばかり書いてきたが、発売後一ヶ月で終了とまでは思っていなかった。Google は安堵したかもしれない。

 不人気の原因が HTC のハードのせいとは思えない。仮にハードの出来が悪かったとしても悪評が定まって売上が落ちるにしては期間が短すぎる。Facebook Home ネイティブな端末が市場に待ち望まれていたというなら、スタートダッシュだけはあったはずだ。一ヶ月で見なおしというのはそれが一切なかったということだろう。

 TechCrunch や Facebook はこれを IT 的な視点で分析し、「Facebook の社員の多くが iPhone ユーザだったために Facebook Home に欠けている機能を見落とした(FacebookのiPhoneカルチャーが、HomeのAndroidへの過激な侵入を生んだ | TechCrunch Japan.Facebook Home は素敵な首輪か?に書いたのと同じ事を感じている人が多いのではないだろうか。多くの Facebook ユーザが Facebook で友人のリア充ぶりを見ることで情緒不安定になるという報告があった。「Facebook はアプリ(ウィジェット)で充分」というのが市場の判断なのではないだろうか。だとしたら、Facebook Home の UI を刷新し、Android の標準的機能をサポートしても結果は変わらないだろう。(Facebook疲れとは 「フェイスブック疲れ」 (Facebook fatigue): – IT用語辞典バイナリ

最初のFacebook Home組み込みスマートフォン、HTC FirstにAT&Tが販売終了との噂 | TechCrunch Japan

HTCのFacebook Homeを組み込みんだAndroidスマートフォン、FirstがAT&Tからデビューしたのは先月のことだが、早くも製品として大失敗という声が上がっている。BGRのZach Epsteinによれば、HTC Firstの売れ行きがあまりに不振なため、AT&Tは近く販売を中止し、売れ残りはHTCに返品することを決めたという。

この報道が事実なら(AT&T、HTC、Facebookに確認を求めたが、本稿執筆時点ではいずれも回答なし)、AT&Tは「契約上の義務を果たすために」今後一定期間はFirstの店頭展示を続けるが、その後は販売を中止するという。

しかしいったいFirstはどのくらい不振なのだろう? Epsteinは「HTC Status(ChaCha)の発売後1月時点と比較してもさらに売れ行きが悪い」とツイートしている。ちなみにStatusというのはHTCの最初のFacebook携帯の試みだ。ブラックベリー風のデザインで、QWERTYキーボードの下にFacebookサイトを呼び出す専用ボタンがついている。一方、Facebook HomeのAndroidアプリはFirstよりいっそう出来が悪く、その悪評がFirstの足を引っ張っている面もある。いずれにしても決して満足できる状況にないのは確かだ。

もしAT&TがFirstの販売を中止するようなことになると、他国での販売計画にも影響が出そうだ。HTCのCEO、Peter ChouはFacebook Homeの発表イベントで、フランスのOrangeとイギリスのEEからこの夏発売されると述べていた。

率直に言えば、Firstがスマートフォン・ユーザーから熱狂的支持を受けていないと聞いてもあまり驚きは感じない。先週、AT&TはFirstの価格を99ドルからわずか0.99ドルに大幅値下げした。発表後1月しか経っていない新製品にしては異例の動きに「売れ行きが相当悪いのだろう」という声が上がった。さてFirstの不振の原因はハードウェアとして凡庸だったところにあるのか、それともFacebook Homeにあるのか?  ユーザーも専門家もそろってFacebookの独自ランチャー、Homeへの興味を失いつつある現状を考えると、原因は後者だと考えざるをえない。

この情報の真偽については現在さらに確認の努力を続けている。ただAT&Tが「販売を中止する」という噂が流れたStatusの販売がまだ続いている例もあるのでFirstの運命も予断を許さない。

GUI の罠(リボンメニューの限界)

 散々リボンについて批判してきたが、これは GUI の持つ本質的な弱点でもある。これを、人間の「手抜き能力」の視点から考えてみたい。

 自分が会社に入ったのが 1987 年だった。自分は汎用機のプログラムをすることになった。当時の汎用機は、スクリーン・キャラクターディスプレイだった。まあ、「古いコンピュータ」といったときにイメージするファミコンレベルの固定文字が表示されるものだ。「スクリーン」というのは、処理の単位がスクリーン(一画面)であることを示している。なので、スクロールという概念が存在しなかった。

 プログラムを実行するには、入力エリアにコマンドを叩いて JCL(dos の batファイルみたいなもの)を呼び出す。もちろん、エンドユーザにはそんなことを頼めないので、「1:月次更新、2:入力・・・」といったメニューを作り数字を入力することでプログラムが起動されるようにしていた。

 最初は、「日次のデータ入力だから日次の画面にして、XX入力を選んで」と、一々画面のメニューを読んで理解した上で番号を選んで入力しなければならない。画面のテキストを読み・理解し・判断し・番号に置き換える作業が必要だ。これについては、リボンと同様かもしれない。

 しかし、慣れればメニューなど読む必要はなくなる。「3[enter],2[enter],1[enter]」と覚えてしまうからだ。更に、自分の場合は、「3,2,1[enter]」で目的のプログラムを起動していた。毎日使っているプログラムなら3階層程度なら誰でも覚えられる。コンテキスなど要らない。階層の下にいても簡単99でルートに戻るので「99,2,1,4[enter]」でどの枝にあっても一発で起動できる。

 こういう手抜きができないのが GUI の弱点だ。そして、あまり Mac を使い込んだことのない人は知らないだろうが、このへんの手抜き技は Mac OS のほうが Windows より多い。例えば、Mac で コマンド+z,x,c,v,q,w,p,s」の動作はその機能を持ったソフトなら同一だ。Windows でもz,x,c,v はほぼ統一されたが、ウィンドウを閉じるとかアプリケーションを終了させるとかはアプリケーションによってまちまちだ。

 更に決定的に違うのがシステムのメニューバーの存在だ。Mac は必ず一番モニタの上部にメニューバーが配置される。今どこにマウスポインタがあっても大きくマウスを動かせば勝手にメニュー操作ができるのだ(DVD再生やゲームのように全画面になるものは除く)。Windows 8 がスタートボタンを廃止して不評を買ったのはこの点だろう。Windowsユーザにとって、スタートメニューは Mac OS のメニューバーのような存在なのだろう。「とりあえずここにポインタを持っていけば」という無意識に操作出来るホームポジション。それがスタートメニューだったのだろう。

 Mac のメニューバーは一番上にあるので、各々のウィンドウがメニューを持たなくてもいいのもメリットだった(過去形に注意)。Windowsはアプリケーション毎にメニューバーを持つので複数のウィンドウを広げて作業しているとデッドスペースが多いし、画面上に複数の同じメニュータイトルがあって、常にどのアプリのメニューかを意識しなければならない。印刷しようとしてファイルメニューから印刷を選ぼうと思って非アクティブなウィンドウ上のファイルメニューをクリックしたことはあるだろう。常に、今使っているウィンドウのメニューがどれかを意識しなければならないのがWindowsの GUI だ。これが、目や脳の疲れを誘発するのだ。

 ただ、過去形で書いたように、モニタの大画面化によって事情は変わったがこれは別の文脈になる。