迫る足音:iOS 7のトラフィックが先週から急増

ios-7[1] iOS 7 が今年の秋頃にリリースされるのは確実だ。iPhone や iPad の新モデルが出るのも確実だが、時期は分からない。iPhone 4S はサポートされるとは思うが、自分がインストールするのはかなり先になるとおもわれる。それくらい今の環境が快適だから。

 UI について、革の背景とかはちょっとダサイと思っていたが、フラットなものがベストとも思わない。最近のアップデートで Dropbox や Google のアイコンがのっぺりしたものになったが、以前の四角いコンデンサのような艶のあるアイコンのほうが好きだ。また、アプリのUIでもボタンやコントロールが平面に描かれただけのものはクールかも知れないが分かりにくいので好きではない。

 SE/30上の HyperCard のようなバキッと直感的なオブジェクトと考え抜かれた色使いが理想だ。

iOS 7のモバイル・トラフィックが先週から急増―来月のAppleのWWDC開催を控えてプレビュー版のテストが追い込み段階か? | TechCrunch Japan
Appleの例年のWorldwide Developers Conference(WDC)は早くも来月に迫っている。ここでiOS 7が公開される、少なくともプレビューが公開されるだろうというのが大方の予測だ。HTML5を利用してウェブサイトをタブレット用に最適化するサービスを提供している企業、Onswipeが、この予測を裏付けるようなデータを発表した。 それによると、このところ提携サイトのトラフィックに現れるiOS 7デバイスの数が急増しているという。

過去1週間、OnswipeはiOS 7搭載のiPhoneとiPadの数が急増していることを発見した。特にクパチーノ(Apple本社所在地)とサンフランシスコを発信地とするものが多いという。

iOS 7デバイスのトラフィックのうち、サンフランシスコが18.75%、クパチーノが17.9を占めていたということだ。iOS 7のトラフィックが最高だったのは5月2日で、Onswipeを利用しているサイトのiOSのユニーク訪問者の23%を占めた。大部分はiPhone(75%)だったが、iPadも4分の1を占めていた。

Appleは通常、iOSを社内でテストし、続いてプレビュー版を登録デベロッパーに公開する。プレビュー版で数ヶ月テストを経たのちに一般公開という運びになる。現在iOS7のユーザーが急増しているということはAppleがWWDCでのプレビュー版の公開に向けて社内テストの追い込みにかかっていることを推測させる。これはAppleはiOS7をスケジュールどおりに出荷するために全社のリソースをこれに集中しているという情報とも一致する。

OnswipeではiOS 7のトラフィックが増加しているというだけでなく、この新OSのユーザーが何に関心を持っているかという情報も明かした。Onswipeによれば、iOS7のテスト・ユーザーはレコードのターンテーブルやフロントカメラで自画撮りビデオをサポートするようになった最近のVineのアップデート、 Appleの株価動向、キッド・カディのラップ音楽などに興味があるようだ。これらがAppleのエンジニアの最近のお気に入りなのだろうか?

iOS 7の内容については、伝統のスキューモーフィズム色を薄めたフラットなビジュアル・デザインが採用される、メールやカレンダーなどコアな機能が大幅にアップデートされるといった噂は出ているものの、 確実と思われる情報はまだほとんどない。だが真相が明らかになるまでもうそう長く待つ必要はなさそうだ。

使いこなし=慣れ=手抜き Office のリボンメニューが不評な理由

 dddで Microsoft のアプリで採用されているリボンメニューについて使いにくい理由を考えた。その時に思いついたことを書き加えたい。

 「脳はすすんでだまされたがる」「超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか」で学んだ通り、生物は最も少ないコストで目的を達成するように活動する(活動というのは物理的な活動だけではなく、知覚、認知、理解、記憶といった無意識の脳活動も含む)。

 工具などの取り扱いの基本は「使ったら元の場所に片付ける」だ。工具をその時々で置く場所が異なっていると、使う度に工具を探さなければならなくなり、工具を片付けるコストを上回ってしまうからだ。これは、実体験でもよく分かる。職人さんは自分の仕事場でまごつかずに多くの道具を使い分けるときもその場所を記憶していてほとんど無意識のうちに道具を使い分ける。UI でも同じ。UIの顕著な例がキーボード配列だろう。タッチタイプができると入力効率が上がるのはキーの位置を探さなくていいからだ。「キーの位置が変わらないから覚えられるし、覚えたら見なくても操作できるようになる」。

 つまり、「置く場所」を固定し記憶してしまえば、探す・見つける・判断するといった作業が不要になるのだ。そして、その状態に達したことを「使いこなせるようになった」とか「マスターした」という。

 このことは、GUIにもいえる。決められた場所に決められたメニューアイテムがあるということは、使用する際に一々画面上に表示されるオブジェクトやテキストを読む必要が無くなるということなのだ。自分は目が悪くて(近眼の上に最近は老眼まで入ってきた)細かい文字を読むのは得意ではない。しかし、他の人が「パソコン使っていると目が疲れる」ということがあまりない。これは、画面を見る時に目を凝らして読んでいないからだと思っている。

 使い慣れたアプリなら、キーボードショートカットや、「ポップアップメニューを出してD」とか「XXメニューの3行目」とかを覚えているからメニューを読む必要がないのだ。テキスト入力の時にはインサーションポインタと変換候補に集中していればいい(キーボードを見ないのは当然だ)。

 これらは全て脳の省エネ術になる。使い慣れた環境だと疲れないのは、一つ一つの操作の際に画面を眺めて何かを探したり読んで判断したりしなくてもいいからだ。リボンUIは今の状態を意識し、理解したうえで、意味を考えてタブを選び、機能を読んで、解釈し、選ぶときに効果的に作られているのだ。だから、手抜きができないのだ。アクティブにしている対象によって勝手にコロコロとメニューが変わってしまうので、一々リボンの状態を確認しなければならないのも、手抜きを許さない仕様といえる。

 リボンメニューがよく考えられていて、理論的に整然としているとか説明が書いてあって親切というのは業務で使っている人間にはあまり重要ではない。使う機能なんて限られている試行錯誤も仕事の内だ。そして、一度覚えてしまえば無意識のうちに使えるようになる。重要なのは「見て、読んで、考えて、判断する」という高いコストを強いるからだ。

 ここからは実用的な話になるが、リボンメニューには使わない機能が多い。使う機能だけ集めたら一つのメニューに並べることが十分にできる。例えば、グラフでも最初からグラフの種類を選ぶ必要はない。従来のように対象セルを選んでグラフ作成ボタンを出してから選択すれば充分。どうせ、オプションを触るんだからリボン状にグラフの種類別にボタンを並べる意味はほとんどない。スペース効率が悪いのだ。

 先のエントリで書いたように、大きなモニタであれば神経質にならなくてもいいかもしれないが、ワイド画面化の流れのために上下幅はのびなやんでいる。そんな時に固定的に密度の低いメニューを並べるというのが間違いだ。

Windows7 tips マウス操作を簡単に

win-tips Windows7 のコントロールパネルを見ていたら、「ウィンドウの管理を簡単にします」という設定項目があった(デフォルトでは両方共チェックが入っていない)。

ウィンドウが画面の端に移動されたとき自動的に整列されないようにします
XPからWindows7に移行した時にウィンドウを端っこに持って行くと勝手に画面の半分にはめられてイラッとした。自分の社給PCはモニタが狭いので、複数のウィンドウを表示ししたい時に出来るだけじゃまにならないように配置する必要がある。しかし、この機能のために端っこの微妙な位置に置くことができなくなっていた。これにチェックを入れるとXPと同様な配置が可能になる。
マウスポインターをウィンドウ上に合わせたた時ウィンドウを選択します
こちらがメイン。別のウィンドウを参照しながら作業している時、非アクティブなウィンドウをスクロールしたいことがある。Mac は非アクティブなウィンドウ上にマウスポインタを置いてスクロール操作をすると非アクティブなままスクロールできる。しかし、Windowsではこれはできない。スクロールするためだけに一々ウィンドウをアクティブにしスクロールし元のウィンドウに戻るためにまたクリックしなければならない。しかも、下手な位置をクリックすると反応して動作する(ブラウザのリンクが発動)こともあり、うっとうしかった。この設定をチェックしておくと、マウスポインタを持っていくだけでウィンドウがアクティブになるのでスクロール操作をするだけでいいし、戻ってくる時もマウスを元のウィンドウ上に移動するだけだ。Mac ほどではないが、確実に操作の手間が減る。

 しかし、残念ながら下の「マウスポインターをウィンドウ上に合わせたた時ウィンドウを選択します」は愛用の Vista start menu によって無効化されてしまった・・・Vista start menu への依存度は高いので諦めた・・・

 ちなみに、Vista start menu も一連の「固定されたメニュー体系による手抜き効果」を重要視したウィンドウメニュー置きえ換えローンチャだ。一覧で大量のアイコンが表示されるが固定されているので、慣れていれば何も考えずにアプリやフォルダを開くことが可能だ。キーボードショートカットもあって、Windowsボタン・A・3[enter]でFirefox と覚えてしまえば通常のスタートボタンから階層メニューを掘っていくよりはるかに早い。

リボンの憂鬱:WoodStreamのデジタル生活 (マイクロソフト系Podcast) 第185回

第185回 わかってくれとは言わないが、そんなにリボンが悪いのか | WoodStreamのデジタル生活 (マイクロソフト系Podcast)

 技術ヲタと一般人との感覚の違いがよく分かる。木沢さんの気持ちもよく分かる。「なんで、この機能の良さが分からんねん」というのはよくある。

 しかし、Office は Mac OS とは比較にならないくらいの本数が出荷されている。しかも、そのユーザの大半は仕事でいやいや使い方を覚えた人たちだ。仕事で必要でなければ一生パソコンを触らずにいたであろう人も多い。ヲタには考えられないことだが、自宅にPCがない人やあっても触らない人もいるらしい。帰宅したら電灯を点けた次の動作でPCの電源を入れるようなヲタとは感覚が違うのだ。彼らは、ソフトの UI に込められた意味なんかに興味はない。

 木沢さんの説明は分かる。増えてきた機能をヴィジュアルにわかりやすくしようという試みも理解はできる。しかし、目的の機能を探すのに従来より必要なステップ数が増えている。コンテクストメニューに畳み込まれている機能を呼び出すためには2回以上クリックしなければならない。しかも、うっとうしいのはそのときに表示されているリボンの状態によって手数も押すべき場所も変わるということで、これが混乱の原因になっていると思う。

 Office 2003 でも、「よく使うメニューを上に持ってくる」とかいうおせっかい機能があって、まっさきにオフにしていた。メニューアイテムは同じ場所に有るほうが使い易いのだ。でないと、一々メニューを見てポインタ操作しなければならない。毎日使っていれば固定されていればほぼ無意識に選ぶことができるのにだ。階層メニューの階層を上げられるのならともかく、位置だけ変えられても迷惑なだけだ。このおせっかいの悪い方向への進化がリボンだと思う。

 もうひとつ、リボンは場所をとることについて言及されていなかったのはなぜだろう。リボンを設計した当時はパソコンのモニタは大型化されつつあった。ノートPCでもビジネスモデルは 1280×800 や 1400×1050 が主流になりそうな勢いがあった。しかし、その後ワイド化がすすみ 1366×768 のPCが標準となりつつ有る。XP登場時に主流だった 1024×768 と上下幅が一緒なのだ。2003 と比較するとリボンの面積が増えた分本来の作業エリアが1割近く減っている。これが実に腹立たしい。(自分は普段は折りたたんでおいて必要な時だけ cntl+F1 で表示しているが)。
ribon01 1366×768 でリボンを表示した場合:26行しか表示できない。フォントはメイリオ9ポイント(以下同様)。

ribon02  1366×768 でリボンを表示しない場合:30行。自分の通常作業モードはこれ。

ribon_1400-1050. 1400×1050 リボンを表示しても47行表示できる。これならリボンを出しっぱなしにしても問題を感じない。

 リボンのカスタマイズについても語られていた。自分もオリジナルのタブを作って殆どの作業はそのタブだけで完結できる。しかし、大半の人はそんなことができることを知らないない。また、自分の場合は必須のクイックアクセスツールバーのカスタマイズもしている人は、自分が勤めている会社では、いない。

 MyMenu というユーザー設定タブとクイックアクセスツールバー、キーボードショートカット、右クリックメニューで呼び出すダイアログで殆どの作業が完結する。チューニング不足でリボンとクイックアクセスツールバーとで重複しているのはご愛嬌。

 これらの根本的な原因は、Microsoft の考える Office とユーザの求める Office との食い違いだ。「マイクロソフトの使って欲しい便利機能」なんて、一般事務で使っている文書を作るときには全く必要とされていないのだ。だから、それらに簡単にアクセスするための UI なんて邪魔だけなのだ。ワープロや表計算に求められる機能なんて 2003 でほぼ完成していた(自分のようなヲタには 2010 の追加機能が便利なシーンもあるが他の人達が使っていることを見ることはない)。

 自分は 2010 について、Excel の使用出来るセルの数が大きく増えたことで2003では分けて処理しなければならなかった作業を一つのシートで出来るようになったことを高く評価している。xlsx のファイルサイズが xls より小さくなるのも嬉しい。Word については 2003 よりスタイルの管理が若干楽になったことくらいしかメリットを感じていないが。

 ちなみに、サーバーの管理費用を捻出するための過去ログ有償配信で一口購入した。こういう投げ銭システムで長く続けられるなら他の番組でも採用して欲しい。

android アプリの進化っぷり

 Apple は Android に対してアプリの質と量で勝っているとアピールするが、ちょっとでも市場を増やしたいアプリメーカーの意向もあって、追い上げを行なっている。クラウド系のサービスで課金するビジネスモデルの場合にはクライアントの数が重要なので、iOS と Android の両方に同じアプリを作るところが大半だ。また、人気のアプリも大半が移植されている。

 中には、iOS アプリからスタートしたが、Android 版のほうが機能が上回っているケースも有る。
android-rajiru るじるらじる


20130420_rajiru-iOS iOS 版というか、iPhone 版。手抜きにも程がある。


20130420_android-instagram instagram も iPad より XOOM のほうが使いやすい。


20130420_instagram-iOS いつになったら iPad 版の instagram を出すんだろう。Facebook は。

UI の悪夢? Facebook HomeのChat Headがもたらす真のマルチタスキング。今後の「標準」

 チャットやメッセージングという文化が普及していない(つまり相手がいない)環境で生活していると、「こんなんできてきてもできなくてもいいよ」でしかないが、技術的には興味深い。この UI はタブレットでは効果的だろうが、スマートフォンでは効果的とは思えない。

 ここでは繰り返し書いているが、画面の大きさを考慮しない UI は効果的にはならない。オーバーラップウィンドウでチャットできても、そのしたの画面を操作できないのでは PC のマルチウィンドウ・マルチタスクと同様の使い心地にはならない。文字の可読性から考えて、チャットウィンドウの大きさ(小ささ)には限度がある。オーバーラップウィンドウが画面いっぱいになるのなら画面切り替えと結果的に変わらない。

 ただし、10インチクラスのタブレットでは効果的だろう。タブレットならフローティングパレットにチャットウィンドウ(あるいは、Twitter クライアント)を表示したままブラウザやアプリを操作できるだろう。実際、スマートフォン発のアプリの中には大きな画面を活かしきれなくて間延びした(表示される情報が相対的に不足気味)物が多い。140文字しか入力できない Twitter の入力フィールドが10インチの横画面いっぱいである必要など無い。

 個人的には、どうせ使う機会はないのだから、これが標準になろうが構わないが、iMessage が iPhone 4S に過重にならないことだけはお願いしたい。  

Facebook HomeのChat Headがもたらす真のマルチタスキング。今後の「標準」はここにあり! | TechCrunch Japan

facebook-chat-heads-during-google-searchモバイル環境においては、シングルタスク式のやり方が一般的だった。しかしFacebook Homeの登場で、Google、Yelp、地図などのアプリケーションを使いながら、オーバーレイ式のドロップダウンウィンドウでチャットができるようになる。これはデスクトップの効率性を小さなデバイスにも持ち込むことになるものだ。Homeで実現されたカバーフィードやレスポンシブデザインの完成度の高さは確かにすばらしい。しかし言ってみればそれは「当たり前」のことでもある。ところがチャットをマルチタスキング化するというのはすなわち、コンピューティングとコミュニケーションを融合するという意味で、携帯デバイスの新次元を切り開くものであると言えるだろう。

ちなみにイノベーションというのは、誰も思いつかなかったアイデアを生み出さなければならないというものでもない。問題解決のための、新たな方法を提供するものをイノベーションと称するわけだ。これまで、モバイル環境でメッセージのやり取りをする際には、コンテクストの切り替え作業が必要だった。すなわち、誰かとメッセージをやり取りするか、「あるいは」アプリケーションを使うかであったわけだ。この両者を「同時に」行うことはできなかった。AndroidもiOSも「マルチタスク」をうたってはいたが、いずれも「タスクスイッチング」であり、「同時に」作業できるわけではなかったのだ。確かに通知機能があって、他の作業をしていても送られてきたメッセージに気づくことはできた。しかし返信を行うためには作業を中断する必要があった。作業を切り替えるにあたっては、「意識の中断」も生じることになっていた。

Facebook Chat Heads During Google Searchこうしたコンテクストの切り替え作業は不自然であり、不便なものだ。私たちはしばしば、今まさにコンピュータ画面で行なっていることについてコミュニケーションを行う。たとえば画面で示される疑問に答えようとしたり、同じ資料を見ながら共通認識を持つために会話をしたり、あるいは特定の場所に道案内をしたり、何か面白いものを見つけて、それについて意見を言い合うというような形でコミュニケーションを行なっているのだ。会話している友人に細々とした物事を正確に伝えたり、複雑に絡み合った事象を説明するには、SMSないしFacebook Messenger画面と、他のアプリケーション画面を行ったり来たりしなければならなくなる。これは非常にストレスを感じることだ。スピーカーフォンモードにして音声通話をするのがベストかもしれないが、場合によってそうした方法が取れないこともある。

デジタルワールドをいろいろと見て回りながら会話をするというやり方は、モバイル時代以前には当然のことだった。デジタル以前についても、何かをしながら会話するというのは当たり前過ぎる行為だった。IRCや(TechCrunchの親会社である)AOLのインスタントメッセンジャーでも、画面を見ながら同時にチャットを行うことができていた。それがモバイル時代になってからは不可能となり、これまでは単純に画面サイズのせいで行えないのだと納得して(させられて)きた。Galaxy Note IIのような大画面ファブレットや、iPadのようなタブレットなら可能かもしれないが、スマートフォンのような画面では無理だと考えてきたわけだ。

しかしFacebookのデザイナーに、「そうではないのだ」と考える人がいたわけだ。デザインチームは、人びとの「実際の生活」の様子に注意をはらってデザインプロセスを進めている。たとえば既読通知機能なども、そうした流れから導入されたものだ。面と向かって話をしているときには、話が聞こえればそれを態度で示すものだ。Facebookメッセージにも同様の仕組みが必要であると考えたわけだ。発表当時、FacebookのProduct部門ディレクターのPeter Dengに話を聞いた。相手に読まれたかどうかを示す仕組みは絶対に必要だと考えたのだそうだ。

技術というのは、私たちの手伝いをするために存在するのです。強引にやり方を変えさせたり、複雑な手順に従わせるというようなものであってはならないと思います。たとえば私たちは、人間同士の「会話」を模するための仕組みを作りました。何千年もの間、慣れ親しんできた実際の「会話」に着目するところから始めたのです。面と向かって行う会話と同じような効果を出すことを心がけました。今回導入した既読通知機能は、今後に向けての第一歩なのです。

Facebook Homeで実現するマルチタスクチャットも、そうした流れの一環であるということができる。誰かがメッセージを送ってくれば、現在使っているアプリケーションの上に送信相手の顔アイコンがポップアップ表示される。そして送られてきたメッセージの最初の方の文字がアイコン横に表示されるようにもなっている。従来型のアプリケーションであれば、ここで送信相手の顔をタップすると、使用中のアプリケーションを閉じてFacebookメッセージ画面に遷移することとなるだろう。しかしFacebook Homeでは利用中のアプリケーションが見えるままの状態で、オーバーレイ式のメッセージウィンドウが表示されるようになるのだ。チャット画面上の顔アイコンを再度タップすると、メッセージウィンドウが小さくなって元の画面に戻ることになる。これにより、メッセージのやり取りをする際に何をやっていたか見失ってしまうようなことはなくなる。発表イベントでデモに触れてみることができた。モバイル機器を操作しながら、シームレスにメッセージ送受信が行えるのは非常に快適なエクスペリエンスだった。この仕組みならばチャットも「邪魔するもの」ではなく、「相補的なもの」として利用することができそうだ。

ここで実現しているチャットシステムこそ、他のモバイルエクスペリエンスと「同時に」楽しむことができるものだ。ただ、オーバーレイ画面を表示したままで、下に表示されている別アプリケーションをスクロールしてみたりすることができないのが残念ではある。HTC Firstの画面や、標準的なサイズのAndroidデバイスには、そうした操作を有効に行うための広さが足りないということなのだろう。しかしそれでも操作できれば便利だろうと思うのだ。最近は画面サイズが拡大する傾向にあるようなので、サイズ的な制約は今後消えていくことにもなるだろう。

Chat Heads While InstagrammingFacebook Homeのハンズオンビデオを見た人や、説明を聞いた人は皆、このチャット機能に導入されたマルチタスクに拘りを見せる。「Chat Heads」(頭部のアイコンが表示されるからそう呼ぶらしい)という妙な名前ながら、機能的に大いに注目を集めているわけだ。ワシントンDCで27歳の非テック系の女性にも紹介ビデオを見てもらった。ここでも人気を集めたのはやはりChat Headだった。「欲しい」という声や「ぜひHTC Firstを買いたい」とも言っていた。

きっと、ここから新しい時代が切り拓かれていくことになるに違いない。他のアプリケーションでも同様の仕組みを実装し、あるいはさらに進化させていくに違いない。たとえばAppleのiMessageの新版が、が同様のマルチタスク機能を備えていなければ非常にがっかりすることになるだろうと思う。もちろんこれは近々の登場が噂されているGoogleの統合メッセージングシステムについても同じ事が言える。真の「マルチタスク」はもちろん、さらなる進化を見せて貰いたいと思っているのだがどうだろうか。

少なくともしばらくのうちは、このChat Headsの魅力によってFacebook Homeのダウンロード数は伸びるだろうし、HTC Firstを購入するという人もでてくることだろう。メッセージングの重要性については、改めて各開発者が再認識している段階でもある。メッセージのやり取りから、ここからさまざまなコミュニケーションが始まっているのだ。非同期のメッセージングシステムのおかげで、安心してネットから離れる時間を持つことができるようにもなっているのだ。そしてメッセージングアプリケーションはさまざまな進歩を遂げてきた。そのような中でスマートフォンが広まり、利用者としてはさらなる進歩を期待するようになってきているのだ。

Facebook Homeの今後について、少なくともしばらくのうちは注意しておくべきだろう。

逆をに考えるんだ・・・Windows 7 のスクロール

 「Windows 7のマウスホイールを上下逆に – 丸井綜研」を参考に社給PCのマウスのスクロールホイールの方向を逆にした。自宅の iMac のマジックマウスと指の動きが同じで快適になった。

trackpad しかし、これだけでは万全ではなかった。ノートPC内蔵のトラックパッドは Windows の標準ドライバではなく、サードパーティのドライバでコントロールされているからだ。自分の社給PC(東芝)には Synaptics TouchPad V7.4 というドライバが入っていて、2本指スクロールなど細かな操作の設定はこちらで行うことになっていた。ここに、「スクロール方向の逆行を使用する」という微妙な日本語のチェックボックスがありここにチェックを入れると Mac OS X Lion と同じ動き方になった。

 マウスのスクロール方向は逆でもそれほど気にならなかったが、トラックパッドは違和感が強かった。iPhone、iPad、XOOM、Magic mouse などはすべて指を滑らせて操作するので、無意識のうちに iPhone のような動き方を期待してしまうのだろう。マウスのスクロールホイールが逆になった時には少し違和感があったが、トラックパッドは設定が有効になった瞬間から馴染めた。非常に快適になった。

 Mac OS X Lion からスクロールの方向が逆になったというのを知った時に、「何いちびっとんねん。ちょっと iPhone で成功したからって、何でもかんでもそれに合わせたらええっちゅうもんちゃうんやで」と思っていた。iMac でもスクロールマウスを使っている時には考えは変わらなかったが、今日、Windows のトラックパッドの設定を変えて分かった。PCでもこの方向のほうが直感的だ。

 あまり話題にならないし、どちらかというと違和感について指摘する情報のほうが多くヒットするが、一度騙されたと思って試してほしい。ノートPCでトラックパッドを使っている人にはこのスクロール方法が自然に感じられるはずだ。特に、タッチスクリーン付き Windows 8 機を使っている人には効果が大きいと思われる。

記者の眼 www

 これまで UX/UI の重要性についてあまり意識せずに記事を書いていたんだな。ひどい UI の製品が批判されず良い UI の製品が高評価を受けられないのは、そういう意識を持って記事を書く評価者がいなかったかことも大きいのだろう。

 モバイルアプリだけでなく、他のハードウェアプラットフォームの製品についても同じ視線で評価するようになればいいと思う。ユーザはひとつのプラットフォームだけでサービスを受けるのではない。会社では PC、外ではスマートフォンやタブレット、自宅ではタブレット、PC、テレビでといった使い方が普通だ。OS も Windows だけとか Mac(iOS) だけということはない。Android スマートフォンと iPad、iPhone と Android スマートフォンの組み合わせもあり得る。どれでも、同じような使い心地が提供されるものが優れた UX を生み出す。

 「モバイルファースト」という狭い発想ではなく、「ユーザファースト」の視点を持つことこそが求められている。

記者の眼 – “モバイルファースト”で起こったこと:ITpro

“モバイルファースト”で起こったこと—。その一つはUX/UIの重要性に多くの人が気付いたことだと筆者は思う。

(;・∀・)「2013年は5インチ・スマートフォンがブレークする」

 スマートフォンは片手で操作したい。なので、この動きには全く魅力を感じない。むしろ、選択肢が減る方向になって、Appleまでもが iPhone 5 でシリーズのアスペクト比を崩してまで画面を大きくしたことにガッカリした(実際には薄くなったので思ったほど悪化はしていなかったが、決して従来のサイズと同等とは思えない)。その理由の多くが、「上のほうのボタンが押しにくいねん」に集約される。アメリカ人男性の平均的な大きさなら iPhone 5 くらいなら片手で持って上のほうのボタンや通知ドロワーを引き出せるのかもしれないが、自分には難しい。Twitterの送信ボタン程度なら構わない。投稿一回に付き一回しか押さないから。しかし、ページ送りといった操作ボタンが上端にあると不便この上ない(この点で、Flipboard は失敗していると思う)。

 これにたいするアンチテーゼとして素晴らしいアプリが日本で開発された。個人の開発者が作ったもので、荒削りだが、コンセプトがはっきりしていて清々しい。このUIの考え方をOSレベルでガイドラインとして取り入れたら 5 インチのスマートフォンでも困らないかもしれない。このあぷり Twitee については書き尽くせないし絶賛されているのでggrks。

 ただ、ガラケーから今頃になってスマートフォンに乗り換えるような非ヲタな人たちにとっては、「スマートフォンは両手で操作するもの」という先入観が出来上がっているかもしれない。元々折りたたみの端末を使っていただろうから物理的な大きさにそれほど抵抗もないかもしれないし、女性などはガラケーのテンキーでも両手で操作しているのを良く見たから、片手で操作できることに対する価値観が違うのかもしれない。ハンドバッグなどに入れて運び、両手で操作するというのであれば小さいことに対する要求レベルは低いかもしれない。どうせ、でかいケースに入れちゃうんだしねww

 自分としては、スマートフォンはスーツのズボンのポケットやワイシャツのポケットに入れて邪魔にならない大きさで、片手で必要な操作すべてが行えるUIというものが理想だ。これはタブレットの時に口を酸っぱくして書いた(w)大きさが変わればUIも求められるUIも変わるのスマートフォン版と言えるだろう。

アナリストによれば2013年は5インチ・スマートフォンがブレークする— 6000万台、136%のアップ

アナリストのIHS iSuppliの調査によれば、大型のディスプレイを備えたスマートフォンが今年はブレークするという。iSuppliはこうしたスマートフォンをファブレットと呼んでいるが、今年は市場シェアが2倍以上に増えるものとみている。また2013年の出荷台数は6040万台で2012年の実績の2560万台」から136%のアップとなると予測している。こうした予測は IHS iSuppli Mobile Handset Displays市場予測レポートに掲載されている。

iSuppliはファブレットを「5インチ以上のディスプレイを搭載したスマートフォン」と定義している。最近CESでお披露目された、Huaweiの6.1インチのモンスターやソニーの5インチ・モデル、Xperia Zなどがこのジャンルに含まれる。

iSuppliによれば中国のモバイル・メーカーがこの分野で先陣を切っているようだ。LenovoとZTEが最近のトレードショーで大型ディスプレイを搭載したモデルを発表している。

iSuppliではファブレット市場は2013年以後も2桁の急成長を続けるものと見ている。これは大型のディスプレイの製造コストが急減しつつあることも一因だ。2016年には1億4000万台に上るだろうとしている。

物理的UI:KindleとKobo両者に足りないたった一つの事柄

001016visor_prism 確かに、物理ボタンをなくせばトラブルは減るだろうし、縦や横で使われる時のUIの自由度も上がる。製造コストも下がるし設計も楽になる。メーカーとしてはアナログなインターフェースは極力減らしたいのだろう。

 今でも、iPhone が Palm に劣ると思うのはこの物理ボタンだ。Palm には標準では 6つのボタンが液晶モニタの下にあった。そして、そのすべてが電源ボタンを兼ねていて、プログラマブルでAPIが開放されていたことだ。だから、4つのアプリをボタンひとつで起動でき、ユーティリティを入れることでボタン3回でインストールされたほとんどのアプリが起動できた。OSの画面を一切見ることなくアプリ間の移動もできた。

 今の流れでは、こんなUIが搭載されることは期待薄だ・・・

「KindleとKobo両者に足りないたった一つの事柄」デジほん8冊目 – すまほん!!

 Amazon の Kindle PapwerWhite、楽天 Kobo の Kobo glo 両者ともに、本を読むという作業を何不自由なく利用できる。

 しかし、長期的に使っているうちに、その両者に共通して「足りないたった一つの事柄」に気がついた。

 それは、ユーザに対する「物理的なフィードバック」である。
なぜ、物理ボタンが廃されたのか

 Kindle PapwerWhite そして Kobo glo に共通していることは、物理ボタンが徹底的に排除されて、すべての操作をタッチ操作で行うことだ。

 確かに iPhone が普及し始めた頃から、物理ボタンが排除され、すべての操作を画面上で行うというものがトレンドになりつつある。Android スマートフォンでもトラックボールは消え失せ、画面上に表示されるボタンへと変化して行っている。

 しかし、物理ボタンの排除というのは、液晶、あるいは有機ELといった応答速度の速いデバイスで初めて成立する。液晶をはじめとしたデバイスであれば、ユーザの操作に対して、画面がすぐに反応を示し適切な表示に切り替わる。

 しかし、E-INK(電子ペーパ)は違う。応答速度は非常に遅く、画面をタップしても、タップが正常に認識されたか否かの判断がしづらい。

 そこで、何が必要になるのか。それは、物理的なフィードバックであったり、物理ボタンなのである。
物理的ボタンのフィードバックは単純かつ明快である

 ボタンを押すと「カチ」あるいは「ペコ」といった音と共に、指に対して「ボタンを押した感触」というフィードバックが帰ってくる。これは「ボタンを押した」という感覚がわかりやすい形で利用者に返ってくる。

 しかし、タッチスクリーン方式の電子書籍リーダでは、そのフィードバックが無い。

「そもそもタッチができているのか」
「内部で処理待ち状態になっており、画面に表示されないだけなのか」
「フリーズしているのか」 

 このような、問題の切り分けをすることができないのである。
物理ボタンは時代遅れなインターフェースなのか?

 確かに、全面の物理ボタンが無ければ、本体のデザインはフラットになり、よりデザイン性が増すだろう。しかし、そのデザイン性が、目的である「読書」の邪魔をしていては意味をなさないのである。

 それでも物理ボタンを廃したいのであれば、画面がタッチされたことに対して、ユーザに明確なフィードバックを示す必要が出てくるだろう。

 たいして難しいことではない。筆者が考えたのはバイブレーションを内蔵することだ。

 画面をタップしたときに「正確に画面をタッチできた」というフィードバックをバイブレーションで返せばいいのではないのだろうか。そうすれば、反応が悪が無かったり、挙動がわからない時に、画面を何度もタッチして、次の次のページに行ったりすることも無くなる。
物理ボタンでページ送りができる端末を探す

 筆者が所有している電子書籍リーダは以下の通りである。

Amazon Kindle PaperWhite
Kobo Kobo Touch
Kobo Kobo glo
BookLive! Lideo
SONY PRS-650

 このなかで、物理ボタンを使ってページ送りができるのは、PRS-650の一機種のみである。ソニー製の電子書籍リーダは、現段階では全モデルで物理ボタンでページ送りが可能である。

 海外の Amazon で販売されている Kindle(無印)や Kindle KeyBoard も 物理ボタンがついているがこれらを入手するのは、なかなか難しい。

 物理的なフィードバックが無いことが、電子書籍で書籍を楽しむ際の大きなストレスの原因になっていると筆者は考えている。タッチ式のデバイスはもちろんすばらしいが、E-inkの特性を生かしたハードウェア作りをする際に、必ずしもすべての操作をタッチで解決させてしまうのは、少々もったいないのではないのだろうか。

 今後発売される電子書籍リーダに期待をしたいところだが、今のトレンドを見るに物理ボタンは徐々に排除されつつある。これは少し悲しいことである。