デルの回転式タブレット/ノートXPS 12にHaswellモデル、8時間超駆動に延長

 まだ諦めてなかったんだという印象が強いがビジネス的にはどうなんだろう。

 手段が目的化する奇形的進化はデジタルガジェットの常。クールな外観のためには重量や価格を犠牲にしても構わないと思える人だけにお使いいただきたい逸品。

 デザイン優先とされている Apple のノートPCのほうがはるかに堅実かつ保守的な作りをしていることが分かる。Windows は低価格の粗悪品と高価格なギミック満載と Apple の真似っ子プレミアムノートしかない。OS で差別化できないのだから仕方がないだろう。PC(Apple も含めて)というプラットフォームがコモディティー化しているからこの傾向は加速するのではないだろうか。

 もう、Apple からも PC についてはスタンダードな進化を続けるしかないのではないだろうか。

xxps11refresh_jpg_pagespeed_ic_E217eBt_Et

デルの回転式タブレット/ノートXPS 12にHaswellモデル、8時間超駆動に延長 – Engadget Japanese
デルが回転式ヒンジのコンバーチブルノート XPS 12 をリフレッシュしました。XPS 12は通常のノートPCのようにも、12.5インチのディスプレイを回転させて閉じればタブレットとしても使える Ultrabook。

新モデルでは Haswell こと インテル第四世代 Core プロセッサを採用し、バッテリー駆動時間が前世代より3時間以上長い8時間43分に改善されました。
続きを読む デルの回転式タブレット/ノートXPS 12にHaswellモデル、8時間超駆動に延長

ノキア Lumia 1020 Windows Phone 8(4100万画素カメラ)

Lumia1020 ハードウェアデザインでは iPhone よりこちらのほうが好みだが iPhone 4S から機種変しようとは思わない。

 自分にとってスマートフォンは既に仕事用のPCと同じような存在だ。実用品かつ必需品でもある。使い慣れたアプリやデータこそが自分にとっての iPhone 4S だ。今持っている函体である必要はない(愛着はあるがそれ以上ではない)。故に、PC の OS を簡単に乗り換えられないのと同様に、自分も iOS から移行できない。



ノキア Lumia 1020正式発表、4100万画素カメラのWindows Phone 8スマートフォン – Engadget Japanese

コードネーム「EOS」のうわさとリークと公式フライングを経て、ノキアが新スマートフォン Lumia 1020 を正式に発表しました。Lumia 1020 は、4100万画素センサの PureView カメラを最大の特徴とする Windows Phone 8 端末。

闇雲に画素数が高いだけでなく、「スマートフォン用で最大サイズ」の裏面照射式センサや、6エレメントのツァイス レンズ、光学手ブレ補正、LEDライトとキセノンフラッシュ、マニュアルシャッター、さらにフルマニュアル撮影が可能なカメラアプリなど、イメージング機能を追求しています。

主な仕様は4.5インチ1280 x 768 ” PureMotion HD+ ” 有機ELディスプレイ (334ppi)、最新のGorilla ガラス 3 パネル、従来機種から倍増した 2GB RAM、32GB ストレージ、NFCなど。

カメラ以外にもRAM倍増など進歩している一方で、2コア1.5GHz の Snapdragon MSM8960プロセッサや、HSPA+ / 4G LTE (AT&T)ネットワーク、802.11a/b/g/n WiFi、Bluetooth 3.0 などの仕様は従来のフラッグシップである Lumia 925 や 920 を引き継いでいます。

本体サイズは従来の Lumia とほぼ変わらない 130.3 x 71.4 x 10.4mm。金属筐体で薄く軽い 925 (8.5mm, 139g)よりは2mm弱厚く20g弱重くなっていますが、920 (10.7mm、185g)よりはごくわずか薄く30g弱軽量です。

バッテリーは 92X と変わらない2000mAh。また 925 と同じくオプションのバックカバーで Qi 無線充電に対応します。

なぜデザインにおける「引き算」は難しいのか?<簡単じゃん。機能が増えたから

 問題を単純化しすぎている。昔の電子レンジはできることが少なかったし複雑なコントロールをつけることが技術的にできなかったのだ。その結果としてシンプルだっただけで、シンプルにしようとしてシンプルだったわけではない。それを是として懐かしむのは只の懐古趣味だ。

 家電品やアプリやOSは複雑なことをこなさなければならない。昨日が増えるのだから仕方がない。今の課題は、複雑な操作や設定が必要な機材やアプリを如何に使い易くするかだ。ボタンが 33 個ある電子レンジは複雑な操作を一つのボタンで実行できるだろう。ボタン一つへの機能の割り当てを簡単にするには機能の数だけボタンを付ける必要がある。同じ事を少ないボタンで操作するには、組み合わせでカバーする必要がある。見た目はシンプルになっても、操作体系が複雑では意味が無い。

 「どちらのサーヴィスもすっきりとしたインターフェイスが人気を博し、熱心なユーザーを獲得している。」とあるが、一つしか無いサービスのインターフェースがシンプルなのは当たり前だ。好まれているのはシンプルな「デザインだから」ではないだろう。そのサービスそのもののコストパフォーマンスやサービスの充実も合わせて考えないと見誤る。

 iTunes も、スタート時は iPod のライブラリ管理しかしていなかった。ところが今は、オンラインショッピング(音楽、映像、アプリ、クーポン)やラジオ、テレビ(日本では使えない)、家庭内コンテンツサーバー、Podcast、iPhone の着信音まで扱わなければならなくなった。これらをシンプルなデザインに押し込めた時に、ユーザに負担がかからないだろうか。それは本末転倒ではないか。従来サイドバーに一覧表示されていた情報を得るために一々どこかをクリックしてモードを切り替えなければならないような「シンプル」デザインなどデザイナーの自己満足にすぎない(現バージョンの iTunes になったとき最初に戸惑ったのはこれだった。設定で回避できたが)。

 iTunes ライブラリの音楽を再生するためだけのアプリをシンプルなさデザインで作ったとしても誰も喜ばないだろう。iTunes に包含されている他の機能についても、コンテンツの種類ごとにアプリが分かれていたら、一つ一つのアプリがシンプルだろうが、UX は煩雑きわまりなくなる。

 「『Newsstand』アプリはその一例。このアプリでは、ユーザーは読みたいものを開く前に、木製の本棚を模倣した安っぽいデザインのアプリを開かなければならない。」と酷評しているが、本棚のデザインがどうかはともかくとして、同じ種類のコンテンツを一つにまとめて管理できるのは UX をシンプルにしてくれる。今のように、アプリとコンテンツとがごちゃごちゃになって、新聞社毎に別のアプリになっているより、NewsStand のほうが UX は改善される。「NewsStand を開けば全ての雑誌・新聞コンテンツが読める」となるのが理想だ。

 ただ、NewsStand はフォルダに入れられるアプリに制限がある iOS 6 以前の妥協案であるとは考えられる。フォルダに入れられるアイコンの数に制限がなければ、新聞や雑誌、本関係のコンテンツが独立アプリになっていても、「本」なり「雑誌」なりのフォルダを作って全部放り込んでおくことができる。(NewsStand や iBooks のショップとの連携 UI は別の価値ではあるが)。

なぜデザインにおける「引き算」は難しいのか? « WIRED.jp
シンプルさが受けて大ヒット製品が生まれることがある。そして、シンプルな製品はロングセラーにもなりやすい。

サーモスタット「Nest」からフィットネストラッカー「Fitbit」、HDDレコーダー「TiVo」まで、シンプルさがヒットの要因になった製品は多い。人々がNetflixを使うのも、そのシンプルさゆえのことである。また、フィッシャースペースペンやスイスアーミーナイフ、ロレックス・オイスター・パーペチュアルなどのシンプルなプロダクトは、長い年月にわたって売れ続けている。これらはすべて、シンプルさが生み出した奇跡ともいうべきだろう。
続きを読む なぜデザインにおける「引き算」は難しいのか?<簡単じゃん。機能が増えたから

iOS 7 は「ここ10年で最大の悪夢」となるのか?

 最終製品を見ないとわからないが、下のエントリには頷けることが多かった。「ユーザビリティを無視したデザイン変更」という意味では、前にとりあげた、Yahoo! Japan のトップページのリンクボタンもそうだ。絵なのかリンクボタンなのか全然わからない。そうやって情報をそぎ落とすことで他の情報が際立つとか見やすくなるとかがあればともかく、全然無い。単に情報が減ってボタンとわかりにくくなったこと以外、デザイナーの自己満足くらいしか得るものがない。

 操作に対するヒントを明示することは UI の基本だんじゃないのか。カッコ悪くてもいいから、一目瞭然で何をどうすればいいのか分かるデザインのほうが「良いデザイン」だと思う。事前に知識がないと操作できない DOS 機に対するアンチテーゼとして Macintosh が生まれたのに、それを自らが否定するような変更には残念だ。まあ、OS X 以降は UI は見栄え重視で使いにくくなったところも多々あるので、その延長上かも知れないが・・・

 iOS 7: ここ10年で最大の悪夢 | Ticking Point
ロック画面の “Slide to Unlock” や、そのときに着信すると表示される “Slide to answer” には、iOS 6時代には凹みの左端に右向き矢印のブロックがあって、何をスライドすればいいのか簡単に理解出来た。一方iOS 7では “Slide to Answer” という文字以外に何も表示されない。

どこをどうスライドさせろっていうんだ。「もうiOSの使い方は分かってるだろ」か? ふざけるなそんなのデザインじゃない。そんなにユーザは使い方を分かってるというなら、iOS 8では画面を真っ暗にして手探りで操作させろ。得意の「3歳児」も今と変わらず操作出来るだろうよ。元から何も分かってないんだからな。

「複雑性のなかに秩序をもたらす (bringing order to complexity)」とかいう曖昧な理念はどうでもいい。そのノリでくだらない会社のスローガンでも作ったらどうだ。結局のところ新しいデザインで何が改善される? 新しい「無意味な装飾」を生み出しただけじゃないか。しかも今回は深刻なユーザビリティの低下と一緒に。上の記事でiOS 6以前を「機能性の追求よりも売上の追求を優先した」デザインだと書いてるけど、それはiOS 7のほうだろ? 流行に取り残されない/ユーザを飽きさせないために行われた小手先のデザイン変更だよ。

iOS 7のアイコンは一般ユーザは高評価?

 興味深い結果だが、例示されている電話のアイコンは抽象化されたフラットデザインではなく、従来の延長上のアイコンをフラット化したものでしか無い。iPhone を電話として使う時に従来の電話の受話器で説明するというのは、今回否定したスキューモーフィックデザインの名残だ。そして、iOS 6 のアイコンのほうが良いとされたアイコンのうちゲームセンターとリマインダーは iOS 7 の真髄のようなデザイン変更だ。カメラは電話と同じような発想のデザインだが否定されいる。

 対象者が iOS 6 を使っているユーザだろうから、慣れのために、iOS 6 に似たデザインが好まれただけかもしれない。

批判や悪評の多いiOS 7のアイコン, しかし一般ユーザには圧倒的に好評 | TechCrunch Japan
iOS 7は、ブログや評論家やTwitter上などでは好悪両様の評価をされているが、でもInput Factoryが作ったモバイルの集票ツールPolarで行った消費者調査によると、一般ユーザにはきわめて好評である。たとえばシステムアイコンの好感度では、およそ2対1でiOS 7の方がiOS 6よりも好まれている(回答者総数46401)。

これらの数値はWWDCで発表されたiOS 7のすべてのアイコンに集まった票の総数を表しているが、おもしろいのは、単にiOS 7のアイコンが好きというだけでなく、こっちを選ぶという強い選好度を表していることだ。たとえば電話のアイコン(上図)では、80%がiOS 7を選び、残る20%が旧デザインを選んでいる。メッセージアプリのアイコンにいたっては、84%対16%でiOS 7の圧勝だ。

iOS 6はリマインダ、Safari、ゲームセンター、カメラ、電卓などでは勝っているが、でもそれらのiOS 7との差はいずれも微差だ。

iOS 7はまだ出てから間もないし、これまではOSの新バージョンに採用された新機軸に関しては賛否の分裂があった。FacebookのWebサイトやモバイルアプリの小規模なデザイン変更も、大騒ぎを巻き起こしたが、しかしFacebook上のユーザのエンゲージメントやユーザ数の増加率に、そのことが負の影響を及ぼすことはなかった。

今後もiOS 7のUIのデザイン、とくにアイコンをめぐっては、当分のあいだ激しい論争が続くだろう。でも今回の調査結果が示すのは、一般ユーザの多くが感じていることと、少数のうるさい連中の意見や批判とは、それぞれ別世界のものであることだ。Polarで投票した人たちの多くは、新デザインを断固支持しているようだ。今後もっと大規模で本格的な消費者調査をやっても、彼ら一般消費者に意見や感想を表現する機会を与えた場合の結果は、今回のPolarの結果とほぼ同じになるだろう、とぼくは感じる。

フラットデザイン化の波

flat 世界中のWebデザイナーはUIの再設計で好景気(あるいは修羅場)かもしれない。Yahoo! Japan のトップのアイコンがフラット化されていたのを見て思った。

 しかし、これによって何か一つでもユーザにとって良い影響があっただろうか。

white album に「ザ・ビートルズ ホワイトアルバム」と書かれていても平気ですか?

ジョブズの遺志をガン無視した犯人、それは講談社さんアンタだよ!

 確かにこれを見ると脱力する。これを見て、ひどいと思わない人に聞きたい。「BEATLES の white album に ザ・ビートルズ ホワイトアルバム と書かれていても平気ですか」と。これが、普通の翻訳本や雑誌ならどうでもいい。ドラッカーの本やハーレクイーンロマンスの表紙が日本向けにカスタマイズされていても構わない。作者がその本の装幀に対して関わっていないだろうから。ところが、この本はジョブズが最後に関わったジョブズの伝記だ。そして、本人が唯一口出したのが
装幀だったという本だ。

 そしても、腹立たしいのは英語を読みこなせない人間にとっては選択肢がないということ。この装幀に腹を立てたときに本を読まないという選択肢しかない。後は、愛読者カードに苦情を書いて送るしかない。残念だ。講談社のデザイナーがダサイはずはない。こんな表紙にしろといった上級管理職がいたに違いない。そんなゴミに限って、apple なんて iPod くらしか使ったことがないくせにジョブズ礼賛コメントを飲み屋とかで部下に向かって言ってるに違いないwww

 ただ、こういう感覚には個人差があって、上のページを見ても何とも感じない人もいるらしい。

 PCプロジェクターが普及してから、MS PowerPoint で資料を作る機会が増えた。なぜか、管理職は一般社員にこれを使わせたがるし自分たちも好きなようだ。確かに、フォーマットとして画面表示が強制されることで底上げは出来たかもしれない。これがないとA4縦の資料をそのままプロジェクターで表示するようなことをやりかねないからだ。

 しかし、誰でもが使えるようになるのにつれて、困った職人が増えた。文字の大きさもフォントもページによってバラバラ。空白を MS office のクリップアートで埋めるのが得意技だ。しかも、全然違うテイストのイラストをちりばめ、下手をすると同じページに並べたりする。最悪なのは空白の形に合わせてアスペクト比をいじってしまう。

 そんなプレゼン資料を見ても何も感じないような管理職にジョブズの本の表紙を決定する権限を与えた講談社の経営陣がアホで見る目がないというのが実情だ。デザイナーは被害者かもしれない・・・

スティーブ・ジョブズ Iスティーブ・ジョブズ I
ウォルター・アイザックソン 井口 耕二

The Beatles (The White Album)The Beatles (The White Album)
The Beatles