リボンの憂鬱:WoodStreamのデジタル生活 (マイクロソフト系Podcast) 第185回

第185回 わかってくれとは言わないが、そんなにリボンが悪いのか | WoodStreamのデジタル生活 (マイクロソフト系Podcast)

 技術ヲタと一般人との感覚の違いがよく分かる。木沢さんの気持ちもよく分かる。「なんで、この機能の良さが分からんねん」というのはよくある。

 しかし、Office は Mac OS とは比較にならないくらいの本数が出荷されている。しかも、そのユーザの大半は仕事でいやいや使い方を覚えた人たちだ。仕事で必要でなければ一生パソコンを触らずにいたであろう人も多い。ヲタには考えられないことだが、自宅にPCがない人やあっても触らない人もいるらしい。帰宅したら電灯を点けた次の動作でPCの電源を入れるようなヲタとは感覚が違うのだ。彼らは、ソフトの UI に込められた意味なんかに興味はない。

 木沢さんの説明は分かる。増えてきた機能をヴィジュアルにわかりやすくしようという試みも理解はできる。しかし、目的の機能を探すのに従来より必要なステップ数が増えている。コンテクストメニューに畳み込まれている機能を呼び出すためには2回以上クリックしなければならない。しかも、うっとうしいのはそのときに表示されているリボンの状態によって手数も押すべき場所も変わるということで、これが混乱の原因になっていると思う。

 Office 2003 でも、「よく使うメニューを上に持ってくる」とかいうおせっかい機能があって、まっさきにオフにしていた。メニューアイテムは同じ場所に有るほうが使い易いのだ。でないと、一々メニューを見てポインタ操作しなければならない。毎日使っていれば固定されていればほぼ無意識に選ぶことができるのにだ。階層メニューの階層を上げられるのならともかく、位置だけ変えられても迷惑なだけだ。このおせっかいの悪い方向への進化がリボンだと思う。

 もうひとつ、リボンは場所をとることについて言及されていなかったのはなぜだろう。リボンを設計した当時はパソコンのモニタは大型化されつつあった。ノートPCでもビジネスモデルは 1280×800 や 1400×1050 が主流になりそうな勢いがあった。しかし、その後ワイド化がすすみ 1366×768 のPCが標準となりつつ有る。XP登場時に主流だった 1024×768 と上下幅が一緒なのだ。2003 と比較するとリボンの面積が増えた分本来の作業エリアが1割近く減っている。これが実に腹立たしい。(自分は普段は折りたたんでおいて必要な時だけ cntl+F1 で表示しているが)。
ribon01 1366×768 でリボンを表示した場合:26行しか表示できない。フォントはメイリオ9ポイント(以下同様)。

ribon02  1366×768 でリボンを表示しない場合:30行。自分の通常作業モードはこれ。

ribon_1400-1050. 1400×1050 リボンを表示しても47行表示できる。これならリボンを出しっぱなしにしても問題を感じない。

 リボンのカスタマイズについても語られていた。自分もオリジナルのタブを作って殆どの作業はそのタブだけで完結できる。しかし、大半の人はそんなことができることを知らないない。また、自分の場合は必須のクイックアクセスツールバーのカスタマイズもしている人は、自分が勤めている会社では、いない。

 MyMenu というユーザー設定タブとクイックアクセスツールバー、キーボードショートカット、右クリックメニューで呼び出すダイアログで殆どの作業が完結する。チューニング不足でリボンとクイックアクセスツールバーとで重複しているのはご愛嬌。

 これらの根本的な原因は、Microsoft の考える Office とユーザの求める Office との食い違いだ。「マイクロソフトの使って欲しい便利機能」なんて、一般事務で使っている文書を作るときには全く必要とされていないのだ。だから、それらに簡単にアクセスするための UI なんて邪魔だけなのだ。ワープロや表計算に求められる機能なんて 2003 でほぼ完成していた(自分のようなヲタには 2010 の追加機能が便利なシーンもあるが他の人達が使っていることを見ることはない)。

 自分は 2010 について、Excel の使用出来るセルの数が大きく増えたことで2003では分けて処理しなければならなかった作業を一つのシートで出来るようになったことを高く評価している。xlsx のファイルサイズが xls より小さくなるのも嬉しい。Word については 2003 よりスタイルの管理が若干楽になったことくらいしかメリットを感じていないが。

 ちなみに、サーバーの管理費用を捻出するための過去ログ有償配信で一口購入した。こういう投げ銭システムで長く続けられるなら他の番組でも採用して欲しい。

100YEN Japanese Arcade Experience

 ペガの屋根裏部屋というpodcastで「楽しみにしている映画」として 100YEN と言われていて驚いた。

100yenfilm.com image 自分がこれを知ったのは完全な偶然だった。英語のトレーニングのためにTokyo Podcastという番組を聴いていた時期があって、日本のゲームについて語るゲストがあり、その監督が100 Yen Japanese Arcade Experience の監督だった。面白そうに感じてサイトをブックマークしたが、番組で2012年の2月には完成と言っていた(多分)のに、動きがなかったのでポシャったのかと思って放置していた。

DAIGO UMEHARA が The BEAST として紹介されているのも興味深かった。アメリカのゲーム好きの間でも梅原は有名らしく、彼のラスベガスでの大逆転劇を説明する彼らの声は本当に「コチラ側」だった。残り僅かなHPの状態を “one pixel life” と表現していてうまいと思った。確かに一ピクセルの線くらいしか残っていなかった。そのビデオは YouTube で検索すればいっぱい出てくる。

 ペガの屋根裏部屋で思い出してブックマークをクリックしたら、映画は完成していて、DVDを5月に発送するという段階になっていた。映画は IndiGoGo で出資を募って、申し込んだ人に送るという kickstarter 方式だった。レンタルDVD程度の価格でダウンロード版を売っているなら買ってみようかとも思ったが、映画館の入場料と大差ない金額だったので躊躇しているwww 考えようによっては、ビデオが普及する前は映画を観るにはテレビに放映されるのを待つか映画館に行くしかなったのではあるが・・・

 映画日本のアーケードゲーム事情をストレンジャー視点で追ったドキュメンタリーのようだ。彼らには、日本のアーケードゲームは自国のゲームより盛り上がっているように映っているようだった。これらは、コンソールゲームでFPSや格闘、ドライビングゲームをするというゲームスタイルと整合性が高いかもしれない。そして、Xbox が強いのもアーケードの代替物としてのコンソールという考え方を表しているのだろう。

 日本では、コンソールゲーム機は家でじっくりとやりこむゲームのためのゲームであり、だから RPG や ノベル系といった時間がかかりギャラリーがいるような所でできない種類のゲームが好まれ、アーケードゲームと並存することが可能だったのかもしれない。アメリカではアーケードを自宅でやるためのゲーム機としてコンソールゲーム機が発達したと考えられる。

 ところが、ブロードバンドとゲーム機の高性能化で日本においても、コアなゲーマー以外はアーケドに足を運ばなくなるという傾向が強くなり、アーケードの衰退を招いている(今ココア

WoodStream listening 181,182 回

WoodStreamのデジタル生活 : 第181回 Surface購入一週間レポート
 今回も「買って良かった」回。喜びが伝わってきて楽しい。

 繰り返し、Officeが入っている事をメリットに挙げていたが、atom プロセッサでパソコンと同等の動きをするんだろうか?玄人が「ATOMにしてはよく頑張っている」という視点で語られているのではないだろうか。それではダメなのだ。一般の人はプロセッサが違う事に興味はない。「パソコンで使っているOfficeが使える」と言っているのだから、当然にパソコンと同じレベルの動きが期待される。しかも、Microsoftが盛んにOfficeが使える事をアピールしているから、ガッカリする人が出るのではないだろうか?とまあ、一度も触ったことがないままに書いているが、実際の所どうなんだろう。Microsoftさんは、早く自分の所にSurfaceを送って来るべきなんだ。ベタ褒めするから^_^

 iPhone で USB テザリングができなかった事は当然。iPhone を USBモデムにするには、iTunes をインストールしなければならない。Windows RT 用のiTunes が出ないだろうから可能性は限りなくゼロに近いだろう。

 「Podcastの録音も編集も配信もこれ一つでできそうでう」と嬉しそうだったが、そんなことは iPad では 2 年以上前から可能だったし、今では Android だってできるだろう。

WoodStreamのデジタル生活 : 第182回 Windows XPサポート終了一年前
 Windows XP のサポート打ち切りについて。Microsoft ファンの立場から援護されていたが、ほぼ全て納得できることばかりだった。XP は販売終了した製品だ。家電品なら6年の補修部品の供給が義務ずけられているが、それ以降なら「もうパーツがないんですよ」でおしまいだ。売り上げの上がらない過去の OS を販売終了後も5年近くサポートしてきたのには頭が下がるほどだ。とはいっても、iMacのBootcamp パーテーションにインストールした XP をバージョンアップさせる気は全くないが。

 しかし、「Microsoft が古い OS を打ち切ると批判されるが、Apple がやると賞賛される」というのには違和感があった。ここに、Appleの姿勢を批判するアホがいる(でも、結局後追いでついていかざるを得ないが)。一番腹立たしいのは、iOS デバイスをサポートしなくなることだ。Windows XP 版の iTunes ではサポートされる機種がそれより新しい Mac でサポートされないという事態がけっこうある。自社のハードをサポートするソフトくらいちゃんと作れよといいたい。

 「Microsoft が古い OS を打ち切ると批判されるが、Apple がやると賞賛される」の原因はシェアと購買層だと考える。Windows のユーザの多くは企業ユーザ(というか、社給PCをあてがわれているだけの一般人)で、次がその影響で自宅でも Windows を買った人だ。これら、市場の大半を支える人たちは OS のサポート期間などという概念はない。OSのバージョンアップに興味もない。今使える状態でいいのに、金を払ってOSをアップデートさせられたり、場合によってはハードの買い替えまでしなくてはならなくなるから怒るのだ。それに対して、Macユーザはもともとシェアが低く、あえてMacを選ぶような人間だから、曲がりなりにもOSについての意識がある人達の比率が多い。だから、レガシー切り捨てについて寛容な人が多い。もともと少ないシェアの中でさらに少数派なのだからネットで意見を見なくても当り前なのだ。

 それに、レガシー切り捨てについて称賛しているようなのは iPod 以降に Apple 製品を買うようになったニワカが大半だろう。こういう人たちはまだ興奮状態にあるので、声が大きくなりがちだ。

価格交渉と家電量販店の衰退

yodobashi_nebiki_011076_お買い物にまつわるエトセトラ。: 人間的。-新・師匠的。がスピンオフ中!」で買い物のスタイルについて話していて面白かった。

 家電量販店で値切るかどうかについては、「ダメ元で言ってみる」といった程度だ。家電の型番を控えて他の店に行って比較することはめんどくさくてやっていられない。店員との交渉もだ。

 以前、自宅のテレビが映った頃のバラエティ番組で、家電量販店で値切るコツを得意げに語っているナントカ評論家がいた。しかし、そういうのを聞くと、「これを参考に、自分も家電量販店で上手に買い物しよう」というより、「そんなことするくらいなら Amazon か価格ドットコムで買おう」と思う。

 このような価格交渉は家電量販店を魅力ないものに貶めるリスクを家電量販店は知っておくべきだろう。今、自分が家電量販店で買い物するのが面倒くさいのは価格表示が信用出来ないからだ。「交渉したら値引きされる」というのでは、一々店員を捕まえて聴かなくてはならない。しかも、その時の交渉次第で価格が大きく上下するなら、交渉下手な人間は、上手な人間に比べて同じ物を高い価格で買わされる結果になる。うるさい客にだけ安く売って、おとなしい客には高く売るというのは不誠実な裏切り行為でしかない。接客を受けずにレジに行くような客のほうが手間もかからない上客と言えるのに。

 家電量販店が Amazon を代表とする通販ショップに需要を奪われている理由を価格だけだと思っていたら大間違いだ。こういう価格交渉や店を回って価格調査するのがめんどくさくて通販ショップに流れるというのを家電量販店は知っておくべきだ。どこぞの、意識の高い方は家電量販店で Amazon との価格を比較して Amazon で買う行為を批判していたが、人を見て値引きする家電量販店への反発心ということも忘れずにと言いたい(日本の家電量販店とシリコンバレーとは違うかもしれないが)。

 家電品の品質や性能が拮抗しコモディティ化したことで、メーカーや小売店への忠誠心や愛着も失われた。どこで何を買っても大差がない。だったら、人の足元を見るような店で買うより誰でも同じ価格(表示価格が時とともに変わるのとは違う)で買える通販ショップのほうが納得度が高い。

 この、「納得度」は重要だ。消費者は何か物を買った時に「自分行った決定が正しかった」と思いたいのだ。ところが、家電量販店のような売り方では、「自分はX千円の値引きを受けられたが、粘ればもっと値引いてもらえたんじゃないか」という懐疑が常に付いて回る。

 この感覚は、通販ショップで買ったあとでその値段が下げられたのを見るのとは本質的に違う。跡で値下げがあったのは買ったタイミングが悪かっただけで、買ったその日の決断を否定するわけではない。その日に買った人は全員が同じ価格だったのだから。

ひいきメンの次のお題は「オススメSF作品」・・・難しい

 ひいきびいきで、オススメSFを募集していた。

 星新一の名前がまっさきに浮かんだが、SFというより「未来社会をモデルにした思考実験」といった趣で「ちょっと違うかなぁ」と思った。次が アイザック・アシモフだが、こちらも好きなのは推理小説や科学解説のほうで、SF 系の作品は印象がない。

となると、自分の本棚ではSFと呼べるようなものは殆ど残らない。結局、人に勧められそうなのは P.K.ディックしか残らなかった。持っているのは2冊しかない(後一冊あったはずだが行方不明)。

 悪夢機械の「訪問者」がコンセプト的に一番好き、というより共感できる。この感覚が、自分のエコロジーや自然礼賛に対する違和感の源泉だと思う。これは、マーク・トゥエインの名言にもある感覚だ。ここでも書いたはずだが、「人間や今の自然を特別なものと思うべきではない」ということだ。今の自然を大切にしなければならないのは人間の都合だ。人間の食料を調達するための自然が必要なだけだ。

 今も広がる砂漠は人間にとって不毛の生きられない場所でしかないかもしれないが、そこに順応した生物にとっては懐かしい母なる自然だ。砂漠にいる動植物にとって乾燥した大地こそが豊かな生きやすい場所だ。人間が人間の都合で灌漑したらそこでは滅んでしまう。

 自然を守るべきなのは、人間が生活する環境を守りたいというエゴでしか無い。これを意識した上で「だから自然を守らないといけない」という運動を見たことがない。NHKや文部科学省は子供に泣いている地球を描かせるが、もし仮に感情が合ったとしても地球は人類が滅んでも痛くも痒くもないだろう。地球(あるいは神)はこれまで育んだ多くの生物が絶滅したのを見てきている。それまで栄えていた動物がほとんどいなくなるようなことを何回も繰り返している。同じ事がまた起きるだけだ。引き金を自ら引くかどうかなんて関係ない。地球が Sim city をやったことが有るなら、「リセットして一から開発しなおすか」程度でしか無いだろう。

引越しにまつわるトラウマ(ひいきびいき)

 ひいきびいき(#hkbk)の引越し回面白かった。初めての独り暮らしに興奮するはるかさんは可愛らしかった。

 ちょうど、息子が独り暮らしを始める所で、部屋探しと引越しを手伝ったばかりなので共感が強かったのかもしれない。まあ、2年前もそうだったが、全く時間的な余裕が無い中での部屋探しで、一日で決めなければならなかったし、引越しも荷物が少ないのをいいことに自分車で運んだので、とてもじゃないが、楽しむようなどなかった。というより、平日に自分で探しにゆけば納得するものが見つけられたかもしれないのに、全く動かずに親まかせにした挙句、契約した部屋に不満を漏らす息子に、「もう、二度とお前の部屋探しも引越しも手伝わん」と宣言するに至ったほどコリゴリだった。

 自分は転居自体には抵抗はないが、家探しと引越しは大嫌いだ。独り暮らしの頃の引越しの時のプレッシャーが今でも残っていて、夢に出てきてうなされることが有る。先日の息子の引越しが引き金となったのか、このところ何回も引っ越しの夢でうなされた。引っ越しの夢のパターンはほぼ決まっていて、引越しの朝になっているのに荷物の準備が全然できていないというものだ。バリエーションとして、荷物を持っていった先が手違いで人が住んでいたりというものも有る。

 引越しして荷物が入って寝る所が確保できた後は楽しい。知らない町をうろついたり、通勤・通学経路を探索したりは楽しい。数ヶ月間は新しい発見が続く。

 息子は今回京都市に引越しだから自分には羨ましい。息子は不満らしいが、自分の感覚からすれば独身であの部屋なら贅沢なくらいに思えるほどだ。自分は学生時代は水場やトイレは共同が普通だったし、風呂もなかった。そういうものだと思っていた。

 羨ましいのは部屋だけではなく、京都市という場所が羨ましい。京都市は特別だ。繁華街やオフィス街、観光地、居住地が隣接している。オフィス街のすぐ後ろに歴史のあるお寺があったり、一般の住宅がオフィス街から徒歩で行ける範囲にあったりする。こういったものが渾然一体となっているのが京都だ。若い学生や外人の観光客が普通のおばちゃんが買い物をする商店街を行き来する。高校生が二条城の外堀をランニングしたり、小中学生が寺の境内を通学路にしていたりする。前に息子が住んでいた場所から50mくらいしか離れていない所に、平安京大極殿跡という石碑があった。平安時代に紫式部や清少納言が生活していた場所だ!

 東京にしても、大阪にしても、ビジネス街や商業地帯は高度に発達しているが規模が大きすぎて独立して存在しているようにしか思えない。マンション等が中心地の近くにあっても、生活の匂いを感じさせない。

 息子が京都に住んでくれたおかげで、また、京都とのつながりが出来たようで嬉しい。やはり、観光客として通過するのではなく、そこに住んでいる人間(家族が住んでいるだけだが)としているのは違う。観光客はどこまで行っても観光客だ。ガイドブックで観光地や施設を知っていても地元に住んでいる経験とは別物だ。

5675563761_b2f75c22fa_z

5676124920_e5c5b12344_z 二年前に、息子が住んでいた部屋を引き払う前に、数日間泊まって京都市内を自転車で走り回った時のことを忘れられない。iPhone のアプリとマップだけを頼りに行き当たりばったりでメジャーどころからマイナーまで見境無く訪れた。ハイライトは、全く事前に知らなかった伝道院の「発見」だった。堀川通を駅に向かって自転車で走っていて、東本願寺の前の信号に止まった時、ふと左を見ると明治時代の煉瓦建築が見えた。二階建ての木造瓦葺き家屋(東本願寺の前ということで商店は多いが)が並ぶ中にそれがあった。こんな出会いがあるのが京都市だ。

Great!! WoodStreamのデジタル生活 : 第180回 Surface買いました!!

WoodStreamのデジタル生活 : 第180回 Surface買いました!!(再).

WoodStream の木沢さんが期待通り Surface RT を買われたらしい。デジタル系podcast の取り巻きとしては「当然」といったところだろう。ご本人は119macにゲスト出演された時に「Mac のpodcast している人は新製品をすぐに買う」と違和感を表明されていたが、「失敗は発売日に買わなかったこと」とまで言っていたww 新しいガジェットを入手したヲタ丸出しで、嬉しい様子が伝わってきて楽しめた。

 木沢さんにかぎらずこのような傾向はある。自分もものを買った時にはここに書くことが多いが、それは「自分が行った選択を正当化する」という心理的圧力によるものもだろう。良かったところを書き連ねることで自分の判断の正しさを確認するのだ(その割にネガティブ意見が多いのは自分の人格的な問題だww)。さらに、他のユーザやレビュー記事を探してそれを補完する。

 こうするとどうなるか。そう、社会と乖離してしまうのだ。同じ趣味の人間ばかり集めた TL を読んでいると、世間の人全員が iPhone に興味を持っているように勘違いしてしまう。iPhone に限らない iPad や Surface RT、Windows 8、アニメ、映画….なんでもそうだ。自分も数年前、ワンスピンドルの安価なノートPCが流行ると思っていたが、実際には全く存在感なく消えてしまった。去年から話題の Ultrabook も、自分が Windows 機を買うならこのカテゴリ(実際には Macbook Air だろうが)にすると思うが、世間では光学ドライブ、テンキー付きのフルサイズノートPCのほうがはるかに売れている。

 ただ、こういう番組や声はネット上では Apple 製品に比べて少数派なので、興味深い。数では未だに圧倒的なシェアを持っている Windows だが、その大半は Windows を選んで使っているのではなく、管理上の都合で Windows に統一している企業ユーザなのだろう。そして、会社のパソコンでパソコンに馴染むようになった人が自宅用にパソコンを買うときに、何の疑問もなく、というよりOSという概念すら無いままに選択するのが Windows だからだろう。自分としては、そういう人より、木沢さんのように Windows が好きで使っている人の意見や感想を聴くのは Apple ユーザのレビューを見聞きするのと同じくらい興味深く楽しい。ワンボタンの声119mac のように長く続いて欲しい。

 

 

InternetExplorer と Office が入っていることが最大のメリット

個人ユーザ全員が Office を必要としているわけではない。それに、「Office だけでも3万円するんだからSurface RT は安い」とも言っていたが、必要としていなければ宝の持ち腐れだ。

InternetExplorer はウェブの標準に即している

IE4が多くの Windows 95 ユーザをトラブルに巻き込み、最悪のウィルスと呼ばれていたのを知っている世代としては、納得出来ない。IE6のサポートが打ち切られた時に Microsoft の社員もお祝いしてなかったっけ?IEが「標準」と勘違いして呼ばれるのは数が多くて受け渡しに便利だからに過ぎない。標準の技術に沿って作られているかどうかは別問題だ。もちろん、Microsoft が心を入れ替えて今のバージョンでは W3C の標準にそっているのなら問題はないが・・・

IME が優秀で日本語入力が快適

Mac や iOS 純正よりはましなのかもしれないが、Android 上の Google 日本語入力や ATOK より上なんだろうか。木沢さんは MS IME こそが最高の日本語変換ソフトと思っているんだろうか。自分は Windows 上でも Google 日本語入力を使っていて、システム標準の日本語変換ソフトより優秀だと感じているが。

ノートPCとの比較

ネットブックPCを手放して購入資金を捻出されたそうだが、Surface のコンセプトは”タブレットよりノートPC” なのだから、ノートPCを持っている人間がSurface RT に乗り換えるのは逆ではないのかと思った。

使い慣れた開発環境が使えるのでアプリ開発ができる

Surface の開発環境に慣れているのは木沢さんの個人的な事情であって、Java や Objective-C に親しんでいる人にとっては逆の評価だろう。というより、大半のユーザにとって開発など無縁の世界だろう。ビジネスとして成功といわれるにはそういう層に売れなければならない。コンシューマー用のモバイル端末にとって開発環境は評価項目ではないだろう。

iOS や Android に比べてアプリが不足していると言われる Surface だがメジャーなアプリは対応しているので困らない

大筋で同意。自分の iPhone には130本のアプリが入っていてるが、大半の時間を過ごすのは数本のアプリだ。自分にとってのキラーアプリがあれば全体の本数は無関係だろう。ただ、全体の本数が多ければ多いほどキラーアプリと出会える確率が高くなるのも道理だし、そういうアプリとの出会いを求めて試すのもヲタの楽しみだ。

ヨドバシカメラにあるものを全て買う人などいない。小さな電器屋でも生活に必要なものくらいは揃うはずだ。しかし、選択肢は広いほうが買い物も楽しいし、予想外のものや珍しいものに出会える可能性も高くなる。

それに、Microsoft はMac OS に対するアドバンテージを「対応するアプリが多い」ことをまっさきにあげていたし、Surface pro でもそう言っている。にも関わらず Surface RT では「アプリは数じゃない」というのは納得出来ない。

Word から直接 WordPress に投稿できるんやて

 Word の文書を html として保存することは2003でもできたが、出来るhtml が好みではなかったので使わなかった(書式タグを山ほど入れるので本文よりテキスト量が多くなるくらいだった)。

 WoodStream のデジタル生活 第179回 Wordでブログに投稿するでWord 2007 以降は直接 CMS の API を叩いてエントリの投稿ができることを知った。  早速、会社の Word 2010 で試そうとしたが、色々とメニューが見つからず苦労した。他の方のブログを見たら “WordPress の設定で XML-RPC による投稿を受け付けるというチェックボックスをチェックする” とあったが、ここの管理画面にはチェックボックスが見当たらなかった。更に色々と当たっていると、今のバージョンは標準で XML-RPC による編集を受け付けるようになっているので設定自体が無くなったということが判明した。   次は Word。Word での設定や新規でブログページを作る方法は分かったが、投稿の仕方が分からなかった。参考にしたサイトに有るようなメニューがない。画面の雰囲気もだいぶ違う。よく考えたら、自分の画面には存在しないリボンが表示されていた。で、リボンの設定を見たら「ブログの投稿」というリボンが有り当然のようにチェックが外されていた。最初に社給 PC が支給され初めて office 2010 を使った時にリボンの設定を見直して真っ先にチェックを外したのだった。

 ブログがCSSをカスタマイズしている可能性があるので、ブログのCSSに依存したレイアウトは使えないために、span を多用したhtmlになる。特にtableは手でメンテナンスすることは難しいレベル。

  1. リストのテスト
  2. 文字飾、フォント太、サイズ
  3. リンクの入力は面倒 タグを手打ちすることはできないので、ハイパーリンクの挿入ダイアログを使う。
  4. 表はかなり印象が違う。
  5. タグを入れることができない。
  6. トラックバックを入れられない。
  7. フォントの設定が簡単なので、Windowsで表示しても少しは見易い(はず)。

アイテム

タイプ

タイヤ

チェーン

RX3

クロス

700cx23mm

トリプル

IZOARD

ロード

700cx23mm

コンパクトW

 

メリット

 ワードの画面でテキストを打っていたら誰が見ても仕事しているようにしか見えない。というか、仕事のウィンドウと複数開いて気晴らしが・・・してないっすよ。

 ブラウザのフォームは時にページの移動とかで入力中のテキストを失うことがあるが、アプリケーションは事故的なテキスト消失が少ないかもしれない。

 後、木沢さんが言われていたが、Surface RT はWindows のユーティリティが使えなく、現時点では Android 版や iOS 版にある WordPress アプリが出ていないので、標準搭載の Word をブログエディタに使えるのはメリットだろう。まあ、自分には全く関係ないが・・・

「第178回 Surface日本発売!!」に見るヲタの習性(こっち側)

WoodStreamのデジタル生活という podcast を先日から聴き始めた。誠実な語り口で偏りがないというスタンスながらも、ドザーの下地が見え隠れする所が微笑ましい。これは、ここがマカー風味な所と一緒だろう。ここと違うのは、MVP とかいう資格なのか地位なのかの方で自分のような素人ではなく、Microsoft の方との交友も広いプロフェッショナルということ。実際に役に立つ情報が満載ということだ。

 話はそれるが、Mac OS X のディスクユーティリティのセキュリティオプションがあるので、Mac を捨てる場合には光学ドライブかUSBから起動してフォーマットしてから捨てるといい。ドライブが壊れて動かなくて重要なデータが有る場合には物理的に破壊するしかないが。Windows については 第173回 ハードディスクのホワイトニング を聴くといいだろう。この回はマカーもドザーも情弱も聴いておくほうがいい。

 話を元に戻す。WoodStreamのデジタル生活 : 第178回 Surface日本発売!!で Surface RT が日本で発売されたことを受けた番組があった。家電量販店で売り切れていたとか木沢さんの交友関係者で買った人が多かったと言われていたが、自分のTLでは全く買ったという人はおらず、話題にしたツイートすら殆ど無かった。RT 販売時に小売店で売り切れたというのは去年のアメリカでの発売時や Windows pro 発売時にも起こった。しかし、RT の販売量が iPad はもちろん、Galaxy や NEXUS、kindle の足元にも及ばなかったのは 2012年10月~12月のシェアを見れば一目瞭然だ。それでも、自分のTLや知人がこぞって買っていたりすると世間一般もそうなんではと勘違いしてしまうのだ。この勘違いというか感覚のズレがヲタクと一般ユーザとの境界だ。そういう意味では木沢さんはコッチ側だ(^^;

 Surface のソフトキーボードが打ちやすいことについて、ソフトキーボードの判定を動的に行うことでタッチミスをカバーすることを力説されていた。そして、「これは他のメーカーではやっていない」と仰っていた。しかし、そうではない。自分のエントリ(iPad ソフトウェアキーボードの快適さの正体)では信用出来ないだろうから、「iPhone/iPadに込められた「見えないデザイン」| nikkei BPnet 」をご覧頂きたい。木沢さんが指摘されたことは既に iOS デバイスには搭載されていた。さらに、スプリットキーボードについても言及されていたが、これも iPad に搭載されていたし、Android 用のアプリにはそれ以前からこのコンセプトのキーボードアプリがあった。

 最後に、木沢さんは119Macにゲストで出られていたときに、Macユーザは新型を買う人が多いのでびっくりすると言われていたように記憶しているが、Windows RT に関しては逆の立場だ。自分の TL では Surface RT を買ったという人はいないし話題にすらなっていない。量販店に徹夜で並ぶ人の記事も見なかった。新しいデバイスなんて非ヲタ界ではコップの中の嵐ですらないのだ。

エヴァンゲリオンファン必聴キャラ占い(男性向け)

 あの、サワダリア・シンヤベッチーノ先生が11月3日に神戸16bitで行われたライブ “Loose” で披露した占い。

 エヴァンゲリオン登場キャラ8人のなかで一番好きとしたキャラによってその人の来し方行く末が分かるという占い。

 会場を埋め尽くした観客からは驚きの声が上がり、中には目に涙を浮かべている男性もいたと、三宮界隈では話題になっている。

 会場の様子は狭くて浅いやつら 漫画・ゲーム・アニメ・映画のポッドキャスト : #153 「新世紀エヴァンゲリオン」か、Facebookか、iTunesに登録して iPod や iPhone iPadで期間限定、無料配信中。