ATに対する違和感の正体

 最近のATは本当によく出来ていると思う。1300cc なのにそこそこの出足がある(Alfaromeo 145 のようなパンチ力はないが比較の対象じゃないだろう)し、シフトのショックもない(CVTなので当然かも知れないが)。20年くらい前に乗っていた 三菱Lancer の 1500cc よりはるかにパワフルでスムーズだ。エンジンの最大出力は大差ないので、EFI とATの制御が貢献していると思う。

 しかし、どうしても馴染めない気持ち悪さがついて回る。これは Fit や CVT だからという意味ではなく、Lancer から Rantis 2014 にも共通する違和感だ。

 AT に乗っていて違和感があるのは、慣性走行出来ないこと、停車前のクリープ、パーシャールがないこと、エンジンブレーキの強さの調整ができないことだ。

慣性走行

 数百m先の信号が赤になったのが分かった時に、MTではクラッチを踏んでギアをニュートラルに入れる。その時点の速度と距離、道路の勾配を計算しブレーキで速度を調節しながら車列の後ろに付ける。右足はブレーキペダルの上に置いたままだ。145 だと 60km/h で平地なら 300m くらいは余裕で転がった。

 Fit はアクセルペダルから足を上げた時点で強制的にエンジンブレーキがかかり、速度が落ちすぎるので前が赤信号で並んでいる車が見えているのにアクセルペダルから足を離せない。これが気持ち悪く怖い。

 また、田舎の見通しの良い下り道でニュートラルでもスピードが落ちないようなところをニュートラルで下っていくのが好きだったがATでは出来ない。

 惰性で走っていて、カーブが見えたり交差点に差し掛かったら、その時の速度に合わせて任意のギアに入れてクラッチを繋ぐ。ギアの選択とエンジンの回転数が合えば全くショックはない。

停車前のクリープ加速

 上記のような状況で停止位置に近づいた時、MTの場合はブレーキを緩めなが近づく。10mクラ手前になったらブレーキペダルを踏む力はほとんどゼロだ。慣性モーメントが減っているのでそれに伴ってストッピングパワーを弱めて停止位置で自然に止まるような感じに持っていく。

 しかし、AT車ではこれが出来ない。停止位置のかなり前でアクセルを緩めエンジンブレーキを効かせながら近づき、50mくらい前でブレーキペダルに足を置く。速度と相談しながらブレーキペダルを踏み込み更に近づく。速度が十分に落ちて徒歩くらいの速度になった時点でブレーキをゆるめて近づくとシフトダウンしてクリープで現象で加速する。というか、減速のカーブが寝てしまう。これが心臓に悪い。

 自然に速度が落ちて、目の前に停止してる車が見えてきたところで意に反して加速するように感じるからだ。ATレバーをニュートラルにするという手もあるが、ATトランスミッションを傷める原因になるらしいのでお勧めしないし、自分でもしない。

コーナーリング時のトルク変動

 カーブを加減速せずに通り抜けることが出来ない。コーナーのRにもよるが、MTの場合にはコーナーに入る前にブレーキング・シフトダウンをし、右足はアクセルペダルに置いて加減速しないようにアクセルペダルを調節しながらコーナー出口に向かい出口が見えた時点でそのままアクセルを踏んで加速する。これがスムーズで安全だ。無理な負荷がタイヤに掛かることもない。

 ATの場合にはこれが出来ない。前もってギアを選んで置くことが出来ないからだ。車は車速とアクセル開度によって使用するギア比を選ぶ。ATのアクセルは加速か減速かしかないのだ。だから、等速で抜けようと思っても、エンジンブレーキがかかったり加速したりする。予期せぬ加速でラインが膨らんだり減速でタックインしたりしかねない。当然、その瞬間タイヤにはコーナーリングフォースとは別に前後の摩擦まで要求され斜め向きの負荷がかかる。

 理論的には、コーナーリングに使える摩擦力が減ってしまう。路面とタイヤの摩擦力は路面の状態とタイヤとトレッド面の面積と圧力によって上限がある。コーナーリングフォースは横向きにそれを使うが、無駄な加減速によってコーナーリングフォースのマージンを削ることになってしまう。まあ、ここらは限界ギリギリでしか問題はないし、そんな走りをする人間はATに乗ってはいけないだろうが。

エンジンブレーキの制御の難しさ

 MTの場合はアクセル開度とギアの選択だけでなく、半クラッチによってエンジンブレーキを制御できる。田舎のワインディングなどでは、コーナーに入る前に2速に入れて減速し、コーナーリング中はクラッチを踏んで回り込みながら右足は回転をキープし半クラッチでトラクションをコントロールしながらコーナーを抜けるといった走り方をしていた。

 ATでは当然無理。

結論

 こうやって、気になる挙動を列記していたら共通項がわかった。エンジンに伝わる動力をコントロール出来ないことだ。動力を伝える(エンジンブレーキを効かせる)度合いを自分のコントロール下に置けないといい変えると分り易いだろうか。

 MTで走っている時には常に先の状況を予測している。「この先赤信号やから加速する必要はない。距離があるからエンジンブレーキも要らない」とか、「このカーブは急だから速度を落として、回り込みはパーシャルでエンジン回転数を右足で3,000rpmくらいに保って、立ち上がりは半クラッチ」といった感じだ。これを、ほぼ無意識でこなしている。

 ところが、ATは先の状況を読むことが出来ない。速度センサーとアクセル開度、ブレーキの踏力、エンジン出力(回転数)しかない。これらをフィードバックしているので挙動がどうしても後追いにならざるを得ない。AT の性能に問題があるのではないから、根本的な解決は不可能だ。停止時のトルク変動などはチューニングで軽減できるだろうが、カーブの先を読めない限りコーナーリング中に立ち上がりに備えた動作は不可能だ。そうするための情報が得られないのだから。

 ただ、このような感覚も不要になる。早く自動運転の時代が来て欲しい。すべての車が自動運転になり、道路のインフラもそれをアシストするようになれば事故は大幅に減らせられる。スピード違反や一方通行無視、一旦停止無視なども出来ないから取り締まる必要もない。警察の大幅な人員削減が可能になるだろう。

 ETCというような中途半端なシステムも不要になる・・・って、思考実験は前にもやったなww

自動車トマソン

eco idle badge 自動車には何故か仕様を誇示するステッカーが貼られている。自動車の仕様などは買う時の判断基準にはなるが、買った後は関係ない。機能があれば便利に使えばいいし無ければ使わないだけだ。大半の機能などは走っている時には意識することすらない。まして、人に知らせる必要のない情報だ。しかし、自動車を自分のアイデンティティに使っている人にとっては重要らしい。今ではどうか知らないが、数十年前までは「ステッカー(エンブレム)チューン」という言葉まであった。

 自分は全然興味はないしどうでもいいが、こういうアイテムに現れる意識が興味深い。これを見るだけで、その頃に開発・搭載されたものが分かる。同時に、社会の関心事が透けて見える。そして、それらが貼られなくなるということは、それが普及しコモディティ化したか廃れたかのどちらかだ。

 1970年代は基本が4速MTだった。なので、AT車には「AT」、5速MT車には「5MT」が貼られていた。自動車のグレードがステータスシンボルとして機能していた時代だ。この時代には高いグレードや性能を表すステッカーやエンブレムが多用された(今でもV6とかいうエンブレムを付けた車が時代錯誤の老人には愛用されていてゴルフ場周辺で見かけるが)。

 同様に、コモディティ化によって貼られなくなったステッカーとして思いつくのは、ABS、エアバッグ、イモビライザーがある。古くはエアコンとかもあった記憶があるが、思い違いかもしれない。

 Fitには排気ガス基準クリアとか燃費性能というステッカーが貼られている。これは、排気ガス規制や低燃費への関心の高まりを示しているだろう。2014年の車にはもっと最近の基準や燃費性能をクリアしたことを誇示するものが付いているのだろう。

 今流行りなのはハイブリッドだ。ステッカーというよりエンブレムが付いているものが多い。Prius のように全車がハイブリッドの場合には控えめだが、Fit のようにハイブリッド車とそうでない車とが混在する車種の場合にはエンブレムだけではなくボディデザインも変えて差別化を図っている。2014 年にはハイブリッド車に乗ることをステータスと考えている人が多いことが伺える。

 先日気づいたのはアイドリングストップだった。それ用の仕様はおそらくオプションなのだろう。だからそれを誇示するためのバッジが貼られていた。これも全社がアイドリングストップになれば消える運命だ。

 また、「カーナビ盗難防止ビス使用」というものはステッカーそれ自身に存在価値がある。これは、カーナビの盗難を防ぐことが目的では無く、カーナビを盗もうとする行為を抑止するためのステッカーだ。カーナビ盗難防止ビスでカーナビの盗難を防げても、盗難行為のためにガラスを割ったりドアをこじ開けたりされるだけで修理費用はかかるからだ。というより、盗まれたカーナビの価格より車の修理の値段のほうが高くつくというケースも有るらしいから、その気にさせないのは重要だ。

 イモビライザー装備というのも同様の効果が期待できるのに、イモビライザーが一般化したのか、自分のFitにはイモビライザーが着いているのに、イモビライザー装備というステッカーは貼られていない。残念だ(因みに、Fitにはカーナビは付いていないので盗難防止ネジは不要だ)。

 これは自動車メーカーの自動車に対する考え方が未だにステータスシンボル又はフェティッシュに留まっていることを示す例だ。コモディティ化し差別化に繋らないステッカーは貼る必要を感じないのだろう。それがユーザにメリットになるとしても。

 こういう自動車メーカーの意識はその広告で良く分かるが、話がそれるので、気が向いたら書く。

AT車の安全に関する提言

AT-trouble 自動運転が完成するまでの暫定アイデアでしか無いが。

 AT車が普及するに連れて発生するようになった特徴的な事故がある。アクセルとブレーキペダルの踏み間違えだ。コンビニ等の車止めで止めて発進の際にDに入れる時にRに入れてしまい、アクセルを踏んでも動かないので強く踏んだら車止めを乗り越えて発進し、驚いてそのままアクセルを全開にしてしまうというパターンだ。

 これはMTでは考えられない。MTのシフトで 1 と R は逆(多くは1が左奥でRは右手前)になっているので入れ間違えることは考えられない。また、発進時もクラッチとアクセルを相談しながらなので、ペダルを突然踏み込むということはない。もし、クラッチを突然つないでもフルスロットルにしてもエンストする。それ以前に、クラッチ操作をしている時に何かあったら反射的にクラッチを踏んでしまうので、右足がどちらにかかっていても、少なくとも加速はしない。

 その点 AT はアクセルを踏めば踏んだだけ加速する。しかも、最近の車は力強い出足を演出するセッティングがされているうえにエンジンパワーが大きい。自分が子供の頃のあこがれだったスカGは160馬力だった。先日まで乗っていた Alfaromeo 145 でも 155馬力あったし、今時の大排気量の車なら軽く 200 馬力を超えている。145 を引き合いに出したのは、こんな古いおんぼろの安い車ですら40年前の高級スポーツカーと同等のパワーを持っているということの例としてだ。数十万円の中古車ですらこんなパワーがあるのだ。こんなものが生身の人間と並んで暮らしているのが2014年だ。

 だからといって、今更自動車のパワーを規制することは難しいだろう。ATは自動車の運転の負荷を減らした。これは間違いない。実際に、145を扱えなかった子供がFitなら一人前に走らせられる。交差点や細いコーナー等でステアリングに集中したい時にミッション操作をしなくても良いのは大きいと思う。自分でも渋滞や信号待ちの苦痛から開放された。一方で、AT車特有の事故を招くようになった。

 しかし、AT 技術が運転を楽にしたように、自動車のコントロール技術によりAT事故をなくすことはできるだろう。自動運転を待つまでもなく、今の技術で十分対応できるはずだ。

 今の車は EUC でコントロールされている。ドライバーの操作の大半はコンピュータを介してコントロールされる。直接操作されるのはサイドブレーキとステアリング(油圧アシストはされているが回した分だけ回る)くらいだ。ブレーキも通常は油圧アシストを受けているだけだがABSで制御されるようにもなっている。スロットルも同様だ。スロット開度とは無関係にフューエルインジェクションはコントロールされている。だから、自動ブレーキ(障害物に衝突しないアシスト機能)やオートクルーズが可能になったのだ。

 この技術を使えば、ブレーキ踏み間違えによるフルスロットルを感知することは可能なはずだ。一般公道を走る車でフルスロットルなんてあり得ない。半分以上踏むことさえ稀だ。コンピュータはアクセル開度の異常な上昇率により異常を判断できる。その時点の速度もEFIは速度感知センサーによって知っている。なので、徐行状態でフルスロットルになったらエンストさせればいい。

 

ATシフターへの疑問

shift lever 最近、久しぶりにAT車に乗り始めて、疑問を思い出した。

 きっかけはアイドリングストップ。MT の 145 に乗っていた時には、長時間待つような信号に引っかかった時には自分でエンジンを切っていた。しかし、Fit になってからはアイドリングストップをするのが面倒になった。なぜか?

 MT の場合、信号で止まっているときにはニュートラルにする。アイドリングストップするには、エンジンキーを切るだけだ。信号が変わるタイミングでもう一度エンジンキーを回すだけでアイドリングストップは完了する。「クラッチを踏む>シフトレバーを N にする>クラッチを上げる>(静止)>クラッチを踏む>ギアを1に入れる」という一連の動作の「静止」状態にエンジンキーを回すという手続きが入るだけだ。

 ところが、AT の場合にはエンジン再始動のために P にしなければならないし再スタートのためには D にしなければならない。手間としては大して変わらないが、心理的な面倒さが大きい。AT の場合には「(Dのまま)」でいいものものが「P に入れる>エンジンキーを操作>(静止)>エンジンキーを操作>D に入れる」と、動作が二つ増える。さらに、MT の N はどのギアからでもワンアクションで入るが、D から P にするためには、D・N・R・PとNとRを通り越さなければならない。N位置でスターターが回れば手間は大差なくなるが、安全上それは望ましくないだろうから出来る車はない(古い mini のATができたが)。自分の場合は、セレクトレバーがバックを通らなければならないことが大きな障害のような気がする。ガクンガクンするし後照灯が点滅するのも後ろの車にとっては気持ちのいいものではないだろうと思うから。

 「PとRの配置が悪いのではないか」というのがこのエントリの本題。AT車のセレクタレバーはただのスイッチだ。MTのようにギアを物理的に動かすわけではない。だから配置は自由だ。

 RをPの横に置いたらどうだろう。RをPの奥に配置すると、PにするつもりでRまで押してしまう可能性が高い。なのでPが直線上の最奥になっているのは正解だと思う。そこで、Rを走行・N・Pの直線上に置かず横においてはどうかと思う。

 DからRに入れる場合は必ず静止するはずなのだから、Pを経由してRに入れるほうが合理的でわかりやすいのではないだろうか。手を伸ばした状態で左右にふるのは腕の力の入れ方で難しいかもしれないので、右ハンドルなら左奥に押す感じにすればいいだろう。

 おもちゃみたいな擬似シフト機能なんて要らないから、こういことに目を向けて欲しい。これはアイドリングストップ以外でも効果があると思うのだが。メーカーとしてはアイドリングストップ装備をオプションとして売りたいのかもしれないが・・

Fit 2006 のステアリングカバー装着完了

プロジェクト始動:Fit 2006 のステアリング改善でカバーをかってからほぼ一月、カバーはリビングのテーブルの上でホコリをかぶっていた。

 ついに、9月15日に作業を行った。

 

装着前
装着前
 作業開始前

カバーを被せたところ。かなりの力作業。
カバーを被せたところ。かなりの力作業。
 まず、カバーを被せる。かなり力を入れて引っ張る必要がある。革は平面で、ハンドルの内側に来る革の両端の長さに合わせてあるのだろう。こうしないと内側が余って凸凹になってしまうはずだ。

 引っ張って被せるだけでこのように革が内側に巻き込む。

start
下スポークから編み始める。その前に、縫い目をずらしてから作業に入った。
 今回使ったカバーは革にステッチが入っていて、その縫い目に糸を引っ掛けて編みあげるタイプ。革の穴に直接糸を通すのに比べて作業がはるかに楽(なはず)。

 下のスポークの左から開始した。

カバーのステッチに糸を引っ掛けて編んでいく。カバーの穴に直接糸を通すより簡単。
 カバーのステッチに糸を引っ掛けて編んでいく。カバーの穴に直接糸を通すより簡単。
 今回の糸の通し方は Alfaromeo 145 のものを参考にした。

 これが編み目。革のステッチをジグザグに通っているのが今回通したもの。今回は外側から巻き込むように糸を通した。どちらから通してもいいが統一しておいたほうがキレイに仕上がるだろう。糸の色をコントラストの高い色にする場合には重要なはずだ。今回は失敗しても目立たない黒糸にした(これ重要)。

 なお、糸の通し方はもっと凝った通し方も出来るだろう。裁縫の縫い方に色々あるのと同様に装飾的な糸の使い方も考えられるだろう。

完成。ステッチがあるタイプはスポーク部分の穴がごまかせる。
完成。ステッチがあるタイプはスポーク部分の穴がごまかせる。
 45分くらいで完成。製造販売している会社の実演動画でも50分かかっていたし、レビューには2時間かかったというものがあったので、もっとかかるかと思っていた。針を革の穴に通さなくてもいいタイプだから当然ともいえるが、予想外に短時間でできたし、難しいいこともなかった。

 このタイプにして正解だった。穴が空いているタイプだとスポーク部分に穴が残ってしまう。車のスポークに合わせてその部分にステッチを入れてもいいが、キレイに縫うのは困難だし面倒だ。その点、このタイプは何もしなくてもそれなりに見える。

 糸は十分な長さがあって、少々失敗しても不足しないし、糸と針は2セット入っているので、一からやり直すこともできる。また、同じような糸を手芸屋で買ってくれば何回でもできる。慣れてキレイに編めるようになったら糸の色を変えるのも一興だ。おそらく自分は二度とやらないだろうがww

 ステアリングカバーは、ロードレーサーのバーテープだ。乗車時には常に手にし視線にも入るものなので、気に入ったものを使うというのは心理的にも機能的にも効果が高く、変化を実感できる。ドレスアップパーツとかには一切興味はないし改造する気もないがステアリングカバーは付けてよかった。これほどコストパフォーマンスの高い自動車用アクセサリはないだろう。

Fit 2006 のおもてなし

 様々なギミックが満載で、そっけない Alfaromeo 145 とは真逆だ。が、Alfaromeo 145 がそっけないのか古いからそうなのかは新しい Alfaromeo を知らないので分からない。

ギミック

 一番感心したのがルームライトだ。ドアの開閉ではなく、状況に応じてライトを点灯・消灯する。一つ一つがドライバーの動きを先回りするようでよく考えられている。

 シートのギミックも多い。リアシートの折りたたみ時に、145のようにリアシートのヘッドレストを取り外して座面を起こすことをしなくてもいい(ヘッドレストを取り付けるのが面倒で外しっぱなしにしていた)。また、前列を寝かしてリアシートと繋げられるようにもなっている。この車体で前列がフラットになるとは思っていなかった。

 リアのシートが邪魔にならないので、後部のスペースは意外に広かった。Alfaromeo 145 より全長は15cm近く短いが、有効スペースは 145 より長いくらいだった。Bianchi minivelo 8 を入れたら 145 より簡単に出し入れできた。

 その他、Alfaromeo 145 になくて不便だったボトルホルダーが4つも用意されている。地味に嬉しい。座席周りの物置スペースも多くて、しかも一つ一つが考えられていて使いやすい。Alfaromeo 145 のサイドポケットは浅くて財布を落としそうになった。

シート

 平たくて硬いうえに、サポートの間隔が広いのでフィット感がない。自分の体格では左右のサポートは無いのと同じだ。これが体に合うのは相当に大きな人だけだろう。今のままでも左右のサポートがもっと近くにあればそれほど不満は無いのに。Alfaromeo 145 のシートも若干広かったが、包まれて固定される感が有った。

 Fitのメインターゲットは日本国内だろう。それも、このサイズの車だと女性が乗ることも意識しているはずだ。だとしたらこのシートは失敗と言わざるを得ない。現行機種では改善されているかもしれないが。

ハンドリング

 FF・AT 車はみんなこうなのかもしれないが、ステアリングの切れ感がよくない。切れ感というか、戻り感が足りない。Alfaromeo や Familia neo はカーブの立ち上がりで戻す操作は不要だった。ハンドル自体が戻ろうとする力を手で抑制する感じだった。が、Fit を始めとするFF・AT車は戻さないとまっすぐにならない。

 これが気持ち悪い。常にハンドルで軌道修正している感じだ。ホイールのジオメトリーで真っ直ぐ走ってくれないという印象がある。2輪に例えるとヘッドナットを締めすぎた感じだ。

 重心が高いためにロールが大きいこととタイヤからのフィードバックが分かりにくいハンドリングと相まって、コーナーリングは楽しくない。ただし、145 は前オーナーが補強バーを付けたりしていたので、足回りも手を加えられていた可能性があるし、元々スポーツカーなので比較の対象ではないかもしれない。

燃費

 燃費計がついていた。EFIの燃料噴射量と走行距離から割り出すんだろうか。1980年代にF1が無給油だった時代に開発された技術だろうか?

 1300 とはいえ、145 と大差ないボディに4ドアなのに、200kg 以上 145 より軽い。これが燃費の良さや出足に好影響を与えているだろう。

 昔はオートマといえばマニュアルより燃費が悪いことが常識だったが、今ではCVTとコンピューターコントロールによるきめ細かな変速とワイドな設定で、下手な人間がMTを使うより燃費が良くなっている。

AT (CVT)

 CVTの減速比はかなり広い。145 が2000ccとは思えないくらい狭く低いから余計にそう感じるのかもしれないが。1300 だからもっと巡航時の回転数は高いだろうと思っていたが、60km/h でも 1500rpm いかない。

 変速ポリシーには、高燃費を謳う車に共通する、「なにがなんでも回転を下げる」という強い意志を感じる。加速中でも、相当アクセルを踏み込まないと 2,000 rpm 以上にならない。

Fit 2006のオプション装備

 中古車なので自分で何かを選んだわけではなく、前のオーナーが購入時に選択したか、XXパッケージとかいう企画で一式が装備されていたのかは分からないが、予想外の豪華仕様だった。

  • オートエアコン
  • ウィンカー付きリモコン・ドアミラー
  • イモビライザー
  • CDオーディオ(AUX)
  • パワーウィンドウ
  • シート高調整
  • キーレスエントリー

 以下のものは、オプションではなく、全車標準装備。ABS は安全のためにはあったほうがいい装備だが、昔乗っていた Familia neo には無かった。Alfaromeo 145 にはあったが、グレードからいって当然だろう。Fit 1300 クラスの車にも標準装備されたことに意義がある。

  • ABS
  • エアバッグ(助手席含む)
  • 手動ヘッドライトレベリング

カーナビメーカに告ぐ。「逃げ出せ!」|Yahoo!カーナビ「本当にこれが無料でいいの!?」

waze
これはYahooではなく waze
 記事にもあるが、このアプリはカーナビ消滅の予兆かも知れない。カーナビに iPhone や Android 端末を装着するソリューションで支持を得ようとする動きもあるが、ここまでナビアプリが使えるようになったらその必要が無くなるのではないだろうか。

 カーナビは iPhone 対応を進めた。カーナビメーカーもビジネスチャンスとして iPhone の充電コネクタを搭載したものや、連携するモデルも現れた。しかし、アプリが充実することでこの蜜月期間も終わりだ。多くのデバイスやサービスがスマートフォンの普及とともに過去のものになった。カーナビも例外ではなさそうだ。

[N] 「Yahoo!カーナビ」iPhone版無料カーナビアプリを使ってみたら「本当にこれが無料でいいの!?」というくらいに普通に使えて驚いた!駐車場の空き状況やガソリン価格まで分かる!
カーナビは専用機派です。スマートフォンの小さい画面でカーナビとかあり得ないと思っていたのですが、ヤフーがリリースした「Yahoo!カーナビ」を実際に使ってみて、ちょっと考えを改めないといけないかな、と思い始めています。無料でこのカーナビが使えてしまうのであれば、普段使いには全く問題ないかもしれません。

無料で使える上に高機能。「Yahoo!カーナビ」凄いですね。クルマに搭載されているカーナビから、こちらに乗り換えてしまいそうな勢いです。カーナビ、カーナビアプリの競争がさらに激しくなるかもしれませんね。

 ここで、スマホアプリ型カーナビのメリットとデメリットを整理してみたい。

メリット

  1. 安価または無料
  2. 通信が標準装備なのでViCS情報やローカルシステムの情報がリアルタイムで得られる
  3. 地図データが無料で自動的に更新される
  4. アプリを選択できる
  5. 自分で取り付けられる
  6. (waze) SNS要素により、他の Wazer の位置をリアルタイムで把握できる
  7. カーナビとの互換性を気にする必要がない

デメリット

  1. 埋め込みができないので、ダッシュボードの形状によって収まりが悪い。
  2. 電源ケーブルが邪魔になるケースが有る。
  3. 設置場所によっては視認性が悪くなる。
  4. 圏外になると無力なる場合がある(アプリ・サービスによる)

 一番大きなアドバンテージは 1 だ。一般的なドライバーでカーナビのお世話になるのは年間で何回あるだろうか。それを考えると、何十万円もかけてカーナビを付けることがバカバカしくならないだろうか。運送業や、営業マン、サービスマン以外にはカーナビアプリで十分ではないだろうか。少なくとも、自分は、Yahoo! カーナビだけで十分だ。実際には Waze ばっかり使ってるけどwww

 また、7番目のメリットに浴するユーザは少ないだろう。”iPhone 対応” として専用のドックを搭載したカーナビや自動車があるが、iPhone のコネクタが変わったり iOS をアップデートしたりすると互換性がとれなくなる可能性が高い。スマートフォンは 2 ~ 3 年で機種変更するが自動車の買い替えサイクルはもっと長いからだ。

 カーナビメーカーはカーオーディオに戻るしかないだろう。スマートフォンと連携するカーオーディオとしてしか生き残れないだろう。充電用の USB ポートとオーディオ入力(3.5mm AUX か bluetooth audio)。大ぶりのスマートフォンを固定できるアームがあれば十分だ。カーナビメーカーはすぐにでも出口戦略を図るべきだ。

自動車メーカー

 自動車はスマートフォンとの連携ではなく、それ自体がネットワーク端末になることが予想される。近い将来 SIM カードスロットのある自動車が発売されるだろう(思い切った言い切り)。通信機能を持った自動車はそれ自体がスマートフォンなので、Yahoo! カーナビを使うか Google のナビを使うかはユーザが決めることになる。液晶モニタを追加搭載するような形状ではなく、ダッシュボードに組み込んだ液晶に情報を表示し入力はハンドル部分に組み込んだタッチパネルと音声で行うだろう。

 この時点でサードパーティの後付のカーナビ市場は無くなる。車内AV機器と自動車メーカーの部品メーカーとならざるを得ないだろう。

 ただし、それも自動運転が普及するまでだ。自動運転が実用化され目的地まで自動的に運んでくれるようになれば運転をアシストするための装置は不要だ。自動車と対話するためのUIしか要らなくなるだろう。が、それはかなり遠い将来だ。少なくとも自分が行きている間には無理だろう。

ヘッドライトは明るければ明るいほど安全か?視覚の限界と錯覚

こんな車が前から来たら該当があっても無灯火の自転車は完全に見えない。
こんな車が前から来たら該当があっても無灯火の自転車は完全に見えない。
 人間の視覚が脳で形作られることは多くの本で学んだ。実生活においても錯覚による誤認識を経験することがある。というか、しょっちゅうやっている。

 先日、自照式テールランプの有効性を考えているとき(自照式のテールランプを強く推す理由)に、「脳はすすんで騙されたがる」の一節を思い出した。

人の目はなんらかの変化がなければなにも見分けられないのだ。・・・夜間には問題なく見分けられる星が日中に見えない理由は単純だ。周辺の空があ まりに明るいために、星によって明るさがわずかに増加しても、視覚系はそれをコントラストとして検出できないのである。(脳はすすんで騙されたがる P26)

 人間が「見る」ときに周囲の明るさや色とのコントラストで検出しているから、真っ暗な田舎道では暗い反射板でも良く見えるのに、街灯や住宅の電灯、自動車のヘッドライトで明るい道路では見えなくなる。街灯がない田舎道で対向車があると周囲が全く見えなくなるのはこのせいだ。

 特に危険なのは、センターラインがない道幅の道路で対向車が連なっているような場所だ。こういう道は歩道がないので歩道に逃げ込むことができない。また道路に直接電柱が立っていて自転車や歩行者は電柱を避けるため道路の中央に近い部分に出なければならない。さらに、対向車と自転車、歩行者との位置が近いため、対向車のヘッドライトに合わせて虹彩を絞り込んだ結果網膜に通じる光量が減ってしまい、発行していないものは検出できない。こういう場所で非視認性を確保するために、自転車は輝度のある自照式のテールランプが必要だ。歩行者も何らかの「光りもの」を身につけることが望ましい。

 ヘッドライトの光量が増す一方だから、この危険は増大していると感じる。ヘッドライトの輝度が高いと走りやすいし、運転している側からは見落としは減る。が、それは対向車にとってその車の周囲にあるものが見えにくくなることを意味している。「自動車の安全」が他の交通者の危険を増大させては社会的な損失だ。

 携帯電話の使用に関する錯覚と同様、ヘッドライトが明るければ明るいほど安全になるというのは錯覚だ。自動車のヘッドライトが明るくなればなるほど、2輪車や歩行者が見えにくくなるケースが存在する。歩行者や自転車は明るいライトの車が多い道を走っていると、自分は道路を見やすくなるのでライトの必要性をあまり感じない。このため無灯火の自転車が発生しやすい。「ママチャリでゆっくり走る文には街灯と車のライトで十分」と思ってしまうのだ。しかし、危険性はそこにはない。車から見えるかどうかなのだ。

 DQNのビッグスクーターやデコトラ(最近見ないが)は安全対策万全といえるww

自転車から見た自動車デザイン

fit hybrid のフロント。ガルウィング風の下部のデザインとグリルのメッキパーツ。グリルとライトまでが一つになるデザインがちょっとくどい。
fit hybrid のフロント。ガルウィング風の下部のデザインとグリルのメッキパーツ。グリルとライトまでが一つになるデザインがちょっとくどい。

 全く興味がなくて、「変なことが流行ってるな」程度の認識しかなかった。8月に車を買い換えることを意識してから、主にリアのラゲージスペースに注目して走っている車を見るようになった。結果、流行のデザイン傾向が見えてきた。

 自動車のデザインは設計された時期の流行りに大きく左右される。使用される製造技術や要素技術に左右されるというのはPCにも似ている。他社が採用した新機能(特に外観に影響する機能)はこぞって採用される。

ドアからリアに至るアクセントラインがくどい。
ドアからリアに至るアクセントラインがくどい。

 最近ではLEDだ。ウィンカーやストップランプなどのLED化が進んでいる。LED化自体は消費電力が少ないので合理的だ。フィラメント式の電球と違ってバッテリーが弱っても暗くならない(LEDのウィンカーが点かないくらいにバッテリーの電圧が下がったら始動できない)。

 問題なのは、LEDライトを搭載していることをアピールしようとするあまり、不要なデザインを産んでいることだ。LEDは配置の自由度が高いから様々なデザインが施されているが、視認性を意識するよりLED搭載をみせびらかすことが目的のようなデザインが多い。くどくて不要なデザインのテールランプやスモールライトを見るとうんざりする。

横に張り出したランプとウィンドウ下に配されたメッキの飾りがくどい。下部の左右の穴も無意味。デザイン要素が多すぎる。
横に張り出したランプとウィンドウ下に配されたメッキの飾りがくどい。下部の左右の穴も無意味。デザイン要素が多すぎる。
 次が装飾的なメッキパーツの多用だ。フロントグリルやリアパネルに、ウィンカー周辺にメッキパーツが配されている車が非常に多い。

 後、装飾的モールディング。ラインをステッカーで貼り付けたり描いたりということは全く見られない代わりにアクセントラインを板金技術で作ることが大流行中だ。さらに、前と後ろの下部に逆ガルウィング風の意匠を施したものが多いのも最近の傾向のようだ。

 これらが相まってゴテゴテの山車のようなバックパネルの車が非常に多い。特に、ハイブリッド車にその傾向が強い。これは、単にハイブリッド車が新しいからかもしれないので、詳しくはわからないが。

fit よりはシンプルだが、バンパー下の凸凹とライト下のメッキパーツが不要。
fit よりはシンプルだが、バンパー下の凸凹とライト下のメッキパーツが不要。

 2014 年はこのゴテゴテピカピカが流行っているが、LEDランプ類やハイブリッドが普及して差別化の”売り”でなくなったら廃れるだろう。むしろ、こういう目立つものは廃れると惨めだ。数年後に2014年の車より2006年の車のほうがよく見えるようになる間違いない。

サーフラインのようなラインからリアバンパーまで流れるラインがダサい。テールランプのメッキもくどい。
サーフラインのようなラインからリアバンパーまで流れるラインがダサい。テールランプのメッキもくどい。

 Fiat panda や Wargen Golf、Honda city、Wargen beetle 、Austin mini のようなデザインが自分の理想だ。こういうデザインで、現代のパワートレインとエレクトリックデバイスを積んだ車がほしいと思うけど・・・儲からないんだろうな。というか、そもそも新車を買わない奴らは自動車メーカーにとって客ではないんだろう。

Fit 2006 の荷物室、ドアノブ修理

 昨晩、雨が降っていたので娘を迎えに行った。そして、自転車を初め車に乗せてみた。

 リアシートを倒してタイヤを外した mini velo を積んでみたら Alfaromeo 145 に載せるより簡単だった。天井が高いせいかもしれない。

 今日、懸案だった助手席のドアノブの修理に行った。レバーとリリースロッドが外れていただけだった。5分位で作業が完了した。感謝!

 助手席のドアを内側から開けるためには、ドライバーが降りて外から開けるか、助手席のウィンドウを下げて手で外側のドアノブを操作して開けるしかなかった。これは、乗れるようになって初めて助手席を内側からひらこうとした時からだ。助手席のドアを塗装した時に再組み上げの時にロッドが正しくかかっていなかったのだろう。

 修理に行くのが面倒で嫌だったが、終わってホッとした。このままノートラブルで10年くらい走って欲しい。