頭の引き出しが多い人が勝つ時代
 精紳科医 和田 秀樹
 最近の国際的なコンセンサスの一つに、
「21世紀は知識社会」というものがある。
 この知識社会という言葉は、1990年代か
ら世界的経営学者のピーター・ドラッカーが
好んで使った言葉であるが、1999年のドイ
ツのケルンで行われたサミットでは、世の中
が伝統的な工業化社会から知識社会になった
ということが明言され、翌年にはそれに対応
すぺく、G8の先進8カ国の教育大臣が一同
に集まって、史上初の教育会合及びフォーラ
ムが開かれた。この際の議長サマリーでは、
それだけの知的レベルに達することのできな
い人は、「安定した職業及び、その職業によ
つて得るべき社会的・文化的生活活動に必要
な収入を得る見通しも立たない状態で、かつ
てない疎外の危険に直面している」とまで言
われている。
 この知識社会ということばが出てきた背景
には、機械やメディアの発達によって人間は
勉強しなくてよくなるという楽観に対する失
望がある。
 情報化社会や高度情報化社会 (IT社会)
と言われていた頃には、メディアの発達によ
つて、世界中の情報が手に入るようになるし、
あるいはインターネットの発達で人々は図書
館に行かなくてもいろいろな情報を得ること
ができるようになる。さらに、そのインター
ネットメディアがモパイルパソコンやPDA
あるいは携帯電話になることで、情報源が持
ち歩けるようになる。せ界中のさまざまな情
報を持ち歩けるのであれば、人間は頭の中に
記憶しておく必要はない−こんな希望が生ま
れたのはその頃だ。
 しかし、いざ世界中の情報が簡単に手に入
る状況が実現されると、実は勉強している人
と勉強していない人の差が余計につくことが
明らかになった。
 たとえば、インターネットで「デリバティ
ブ」ということばを検索すると、簡単に何万
もの情報にヒットするが、その情報がどれが
役に立つもので、どれがクズ情報なのかであ
るとか、あるいはどれが本当の話で、どれが
いい加減な情報なのかの判定をできるのは、
結局のところ金融にまつわる知識をもってい
る人なのである。逆に不勉強な人は情報の洪
水に対処ができず、かえって判断力が弱まっ
てしまう。
 ところで、情報と知識の何が違うかという
と、情報は頭の外にあり、知識は頭の中にあ
るということだ。そして情報の入手が容易に
なり、その数が膨大になると、かえって頭の
中にある知識の大切さが再認識されるように
なったのである。
 実際、コンピュータをモデルにして人間の
脳の情報処理を研究する学問に認知心理学と
いうものがあるが、それが発達するにつれ、
人間の脳は無から有を産むものではないとい
うことがはっきりしてきた。つまり、頭の中
にないものがひらめくなどということはなく、
知識がインプットされていないと思考などで
きないし、独創性というのも知識の組み合わ
せが独創的なのであって、中に情報が大量に
インプットされていないと発揮できないのだ。
 だからこそ、頭の引き出し、思考の材料で
ある知識が大切になってくる。
 頭の引き出しが多い人が勝つ時代がもう始
まっているのだ。
(和田秀樹HP http://www.hidekiwada.com/


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Last-modified: 2007-06-04 (月) 16:34:06