教育改革の原点は「価値教育」の導入にあり
UFJ総合研究所 理事長 中谷 巌

 教育改革の必要性が叫ばれるようになって
久しい。しかし、教育改革が実をあげている
という話はあまり聞かない。思うにその原因
は、本質的な議論をせずに、小手先の改革に
終始しているからではないだろうか。教育問
題は21世紀の日本にとって圧倒的に重要な
地位を占めるということを考えると、ここら
で一度、日本の教育のあり方を根本にかえっ
て考え直す必要があるのではないか。

 筆者のみるところ、日本の教育で最も大き
な問題点は、教育の現場が「価値」について
一切タッチしなくなった点にある。ここでい
う 「価値教育」とは、「人間はどう生きるべ
きか」「人間はなぜ働くのか」「国とは自分
にとって何なのか」といった根元的な問いか
けをし、それに対して各人が多様な 「価値
観」を持てるようにする教育を指す。
 現在、こういった問題をまともに取り上げ、
教室で教師と生徒が議論するといった風景を
見つけることは非常に難しい。先生は文部科
学省や教育委員会から出される指導要領に従
って、教科教育の消化に余念がない。北朝鮮
の拉致事件について、あるいは、自衛隊のイ
ラク派遣の是非といったなかなか答えの出な
い問題について、生徒たちと教室でしっかり
と議論をするといったまじめな取り組みが現
代日本では不可欠だと思うが、こういったこ
とはほとんどの学校で行われていない。
 戦後、マッカーサー主導の教育改革のエッ
センスは、日本が再び国家主義的な偏りを持
つた国にならないようにという点にあった。
このため、教育勅語が廃止され、道徳教育は
御法度になった。確かに、教育勅語は天皇へ
の忠義を尽くすといった戦後の民主主義日本
には合わない側面があったが、その中身は国
や社会を愛し、公共精紳を忘れない事、仲間
や兄弟は仲良く一致協力して社会の発展のた
めに尽くさなければならないといった万国普
遍の道徳を説いたものにすぎない。
 こういった万国普遍の徳育が禁止されたた
め、日本の戦後教育は知識を詰め込む教育一
辺倒になってしまった。古事記に書かれてい
る日本の神話は天皇制復活につながるから禁
止、能や歌舞伎といった日本の伝統芸能も一
切学校教育の場から追い出されてしまった。
宗教や武士道、茶道などもすべて若者の目に
触れる場所からは閉め出された。
 その結果、日本人は日本のことを何も知ら
ない奇妙な国民になってしまった。経済がグ
ローバル化する中で、外国人からは「日本人
ビジネスマンは退屈だ」といったささやきが
聞こえてくるが、これは「価値教育」欠如が
もたらしたものだ。退屈な人間とは⊥人間に
興味も好奇心も持たない「教養のない」人の
ことである。人間や社会、国家存在などに興
味を持つ人間は自然と話題が豊富になるし、
古典や宗教、文化などにも目がいくようにな
る。しかし、「退屈な人間」が国際社会で尊
敬されることはほとんどない。
 知識詰め込みに備した教育を改め、「価値
教育」をいかに導入するか。これこそ教育改
革論議の原点でなければならないと思う。

daily UFJ総研 UFJ経営情報クラブ

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と、勘違いなことを書いている。私的複製がそのまま権利の侵害になると考えているならファックスなんかで送ってくるな。
 内容を書き写して自分のもののように発表したり、コピーを撒いたりしないかぎり侵害にはならないだろう。見せたくないなら送ってくるな。


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Last-modified: 2006-08-19 (土) 10:56:11