映画:カリブの熱い夜(Against all odds)

 先日、夜中にやっていたので録画した。どこかで聞いた名前だったような気がしたので調べてみたら、Phil Collins のヒット曲のタイトルだった。

 映画は駄作だった。それも、半端じゃないクソだった。途中からスキップと早送りで観たが、時間の無駄遣いだった。とにかくストーリーがでたらめ。せっかくのメキシコのマヤ遺跡のロケも全く必然性なし。何もかもが納得いかない。監督が何を目指したのかさっぱり分からない。

 見栄えのいい主演俳優のプロモーションビデオでも作りたかったのだろうか?助演に豪華な俳優を揃えながらも(予想通りの役柄をそれなりに演じているところは流石だが・・・)、キーとなる登場人物の行動パターンが常軌を逸しているので脇が悍馬って無駄。主人公の行動を説明するシーンがカットされたんだろうか…もしそうなら、謝るけどね。

 クラブでの KID CREOLE & THE COCONUTS のステージだけ残して削除した。Phil Collins の曲も置いておきたいが全曲入っていないのと絵が邪魔なので削除。

成果主義の見直し?

 IT業界は数年前に自分が進めたことの効果について疑問を呈し、次々に「今度こそは・・・」と代替案を繰り出してくる。効果を出すには運用が重要だが、システム部門はそんなことには興味がない。新しいものを買わないと出入りの業者にでかい面ができないからだろう。

 そんな、失敗続きの日本企業のIT化だが、同じことは人事政策でも起こっている。この10年程度は「脱年功」「成果主義」がキーワードだったが、これに対して、人事政策評論家はアンチテーゼを提出することで、企業の人事担当者や経営者に取り入ろうとしているようだ。こういう際のキーワードには、常套手段に則って「日本型年功制」。問題点の指摘には頷けるものが多いが、全面的にとは言いがたい。

bpspecial ITマネジメント:インタビュー

 経営者は会社が抱えている本当の問題は何かということを考えて、もう少し“想像”してほしいのです。そもそも賃金制度の問題ではない「問題」は、賃金制度を変えたって解決できないのです。こんなの当たり前でしょう。髪の毛が伸びたからといって爪を切る馬鹿がどこにいますか。

 最初に成果主義を導入したときはそんなこと言っていなかったのに、今や「成果主義の評価は長期でやればいい」と言うようになっている。これはもう成果主義自体の否定ですよ。以前の運用に戻そうと言っているわけですから。前言っていたことと内容が変わっているのなら、「成果主義」という看板を下ろせばよいのに、いまだにその言葉を使っているのは、成果主義導入の責任を回避する行為でしかない。(^^)

 もし自分の名前と顔も一致していないような上司から、高い点数と高い給料を通知するメールを送りつけられても、「ああ、この上司は私のことを評価してくれている」なんて誰も納得しないでしょう? 普通は「一体どうやって計算したんだろう」と不思議に思うだけです。 (^^)

米国はどうなっている、中国や東南アジアはどうなっている──と海外のことばかり気にする人が多い。西アフリカの小さなベンチャー企業が、ある方法で成功したからといって、何か救われるのでしょうか。結局、自分の会社で役に立たなければ、何にもならないのです。海外からコンセプトの一部だけ借りてきても使い物にはなりません。

(–) 前編で、GEのジャック・ウェルチとか大きな自動車会社の社長の例を挙げておいて、「西アフリカの小さなベンチャー企業」を持ってくるのはおかしい。他社の例が参考にならないのなら、なぜジャック・ウェルチを出したのか。

以前、JISA(社団法人情報サービス産業協会)のとある委員会でITSS(ITスキル標準)の教育プログラムの評価にかかわっていたことがあります。そのプログラムは、最初はeラーニングで教育して、次のステップからは問題解決型の研修を行うというものでした。

 話を聞いていると、その研修プログラムを受けるための条件として、特定の仕事での「実務経験○年」ということが決まっているらしい。実務経験が何年間かないと内容を理解できないとかで、プログラムを受けることすらできないのです。そこで「実務経験をどうやって積むのか、自分ではどうしようもないでしょう」ときくと、「それは人事の仕事だ」という(笑)。結局、こういうITスキルを身につける教育プログラムを作るときでさえ、人事部が経験を積ませるためのローテーションをうまく組んでいるはずだということが前提になっているのです。

(^^):これは、今の企業の経営層の問題点だ。経験の必要な仕事なら経験を積ませるしかないのに、自社でそれをせずに他者の経験者を求めるのは大きな矛盾だ。これは、中途採用市場の求人にも多い。業容拡大や新規立ち上げの企業ならともかく、創立後数十年もある企業がこういう求人を出している。アフォとしか言いようがない。

 そう考えると、成果主義だ能力主義だといって飛びつくような経営者は、ITだeラーニングだと聞きつければ同じように飛びついて惑わされているのではないでしょうか。導入すればなんとかなる、と考える点では、いずれも全く同じ構図に見えます。導入したものを本当に生かすのであれば、ベースに「人を育てる」という発想がないとダメです。

(^^):導入すれば何とかなるという発想はITの導入にもあてはまる。道具でしかないのに、目的化してしまうのだ。当然運用は破綻する。

企業が派遣社員に頼るようになるのは大問題です。私に言わせれば、10年先を見ていない、本当に愚かなやり方です。数十年経った時に、一握りの年老いた正社員だけで、派遣社員だらけの会社を運営することになる。想像してみればすぐに分かることですよ。普通の感覚だったら、会社の経営を投げ出したくなるでしょうね。

(^^):これに対する予想ができない近視眼的経営者が多すぎる。

現場の方に尋ねると、派遣社員には仕事を教えない、と言います。「どうせみんな辞めるし、自分の部下だという意識はない」と。正社員の新人がくれば周囲の雰囲気も明るくなるし、先輩らしく厳しく怒ったりもするけれど、派遣社員相手だと怒る気にもならないそうです。

(^^):派遣社員を叱る(怒るじゃなしにね)ことはできないだろう。育てる義務などないのだから当然だ。しかも、その人たちは学んだノウハウを残さずに去っていく。会社にノウハウが残らないのだ。これを、ナレッジマネジメントとして管理することがITに求められているが、うまく機能していない。必要なナレッジがどこにあるかを評価する人間が理解していないからだ。そして、目先の人件費の削減効果に目をくらんだ経営者には育てることなど眼中にない。これが、今日本の多くの企業で起こっていることだ。

アウトソーシングを使っている、ある企業の話です。中堅クラスの社員が会議で、「すみませんけれど、コンサルタント呼んできてもいいですか。業務全般を外注しているので、内容が分からないんです」と言う。こうなるとおしまいですね。

(^^):これがおそろしい。担当者レベルの引き継ぎを繰り返すような企業でもよくおこる。仕事を属人的に振り分け内容を組織の知識として体系的に保存しないからだ。だから、担当者が急病を起こしたりしたら、部署内でのカバーが全くできなくなってしまう。そんな企業が動いているのは運がいいだけなのに、その見えないリスクについて、低脳な管理者や経営者は気づきもしない。

 これはものすごく重大なことで、業務の一部をアウトソースすればよいとか、全部アウトソースするのは悪いといった議論ではなく、一体何を外注したのか社内の人が誰も分からなくなるような状態はまずい。ある程度は自前でできる人を育てていかないと“アウトソース”にもなりません。そもそも管理もできていないわけだから、これではアウトソースすることでコストがどんどん膨れ上がっていってしまいます。 (^^)

成果主義を導入して数年たつと、成果主義は形骸化します。「誰を昇進させるか」という人事がまず先にあって、それから「彼を昇進させるためには何点付けなければならないか」といってデータを集めるようになる。みなさんすぐに上手に整合性のあるレポートを作れるように上達しますが、これは結果から逆算しているだけなのです。この評価レポートを作成するプロセスは、全くの無駄ですね。そんなお金と手間のかかる“セレモニー”なんかやめましょうよ。

 ある人が、私に聞いてきたことがあります。「社員の給料の差をつけたいのですが、個性に差がないとは言わないが、給料に差をつけるほどの差がないので困っています」。私は、「差がないのなら、差をつけなければいいじゃないですか」と言いました。その人は、私の一言で救われたと言っていましたが、差をつけなければ評価したことにならないという強迫観念がどこから来ているのか、私には不思議で仕方がない。そんな根拠どこにもありません。

(^^):現場で大問題なのは、こういう意識を持った管理者の元にいる社員とそうでない(ある意味正直、別の意味で低脳)な管理者の元にいる社員とで、不公平が生じてしまうのだ。まともに機能していない人事制度の中で根拠のない差を付けられたら、不信感だけが募るだろう。また、昇進させれた人間も、胸をはれないだろう。実際には、胸を晴れるような成果など誰も上げていないのだから。

何が勲章になるのかは会社によって異なるのです。どこかよそでそれが成功したからと言って、その会社でうまくいくとは限らない。全く同じ事を真似ても意味がありません。だから、経営者の方には、自分の頭できちんと考えていただきたい。他の会社の事例はヒントにはなっても、結局、具体的な答えはケース・バイ・ケースなのですから。 (^^)

 えっ?最後はそれかい。だったら、この人のいう「日本型年功制」だって、あてはまるかどうかはケース・バイ・ケースじゃん・・・なんか、読んで損したような気分になった。

Visor Deluxe再登板

 娘にVisor Deluxe を借りて環境の復元を試みた。

 しかし、動かないソフトが多い。一番痛かったのはpook。一番利用時間が長いソフトなので、ホントに痛い。

 後、相変わらず標準PIMのデータ転送に失敗するのも痛い。こちらは多分、iMac の方に問題があるんだろうが、最近はPCでやっているから依存しない方向で逃げるつもり。バックアップが必要なものは手でメモリカードにコピーするしかない。

つながる喜び:ネットワーク音楽

ami  「Help!」はアミシャツ魂の中でトップ3に入る好きな曲だ。この曲を聴いていると、SALON MUSIC の「Don’t Close your eyes」を思い出す(iTMSでは残念ながら SALON MUSIC は見当たらないが)。

 ふと、SALON MUSICをgoogleで探してみたら、OVERHEATのページがヒットした。80年代にはOVERHEATがマネージングしていたらしい。今はRIDDIMを発行したり、Moomin、H-man、 Pushimをマネージングしている会社だ。

B00005YWZU.09._SCMZZZZZZZ_ リスペクトしているものが意外なところでつながっていたことを知ると嬉しくなってしまう。こういう楽しみ方をiTMSは提供してくれる(この2枚はiTMSでは買えないが・・・)。これは、従来の「レーベル(レコード会社)>アーティスト>アルバム>曲」というディレクトリでは得られなかった楽しみ方だ。音楽その物がネットワーク上に散在し、webでつながるのだ。

 ソースを忘れたが、こういう楽しみ方やシャッフルを、社会現象と結びつけたり心理学と結びつけたりして批判的に論じる文章を読んだ。しかし、これほど能動的に自由に音楽を楽しむ方法がなかっただけだ。これは、音楽の歴史を考えれば分かる。

 古代には自然発生的に木や石を叩いたり声で音楽を作り歌っていた。その後、社会的分業が可能になりプロの音楽家が現れた。この頃は、プロの音楽家の演奏会をみんなで集まって聴いた。初期には、宗教や祭(政)を盛り上げる道具として使われ、後期には娯楽として消費された(どちらも、今でも使われている)。その後、録音・再生という方法でこの時間・場所的制約を打ち破ったのがレコードというテクノロジーだ。ここ100年弱はレコードの時代だった。これにより、音楽の消費形態は大きく変わった。各人が各人の好きな楽曲を好きなときに聴くことが出来るようになった。そして、レコード(テープ、CD)という物理的メディアの制限をなくしたのがネットワークだ。

 音楽のデータとインターネットのDBが複合的に結びつくことで、新しい次元が開けるのか、レコードの延長上なのかはまだわからないが、これが従来の楽しみを否定するものではなく、可能性を広げるものだと思う。これは、レコードができたときにコンサートがなくならなかったのと同じ理由だ。CDをよく買う人間のほうがコンサートに出かける回数が多いはずだ。

TidBITS日本語版 791

OS X Tiger

TidBITS日本語版791号を掲載しました。管理人のvisor prism が起動しなくなり、MeDoc作成ツールも起動できなくなりました。利用している方もほとんどいないようですので、今後はdoc版のみといたします。

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骨髄「輸出」、じわり増加

 社会としてろくな話題のない日本だが、少しだけ嬉しい記事があった。

asahi.com:骨髄「輸出」、じわり増加 ドナー登録増え「出超」へ††暮らし

白血病の治療などで実施される骨髄移植で、国境を越えた協力が進んでいる。国内の骨髄バンクを運営する骨髄移植推進財団(東京都)によると、日本から海外への骨髄提供は順調に増え、93年から今年7月末までで132件に達した。かつては海外から提供を受けることが多かったが、近年は逆転、今年度中に累計で「出超」に転じる見込みだ。提供希望者(ドナー)の登録が日本で比較的順調に伸びていることが背景にある。

 まあ、なにがきっかけだろうが、これしか回復の方法のない患者にとって、適合する可能性が増えることは良いことだ。「やらない善よりする偽善」の心だ。

 ただ、下の表現はおかしい。これでは、韓国のドナーが少なくて日本が恵んでやっているような印象になる。韓国は日本の半分以下の人口しかない。そこで、日本の約半分のドナー登録者がいるということは、率的には日本と同等だし、国内自給率も大差はないはずだ。にもかかわらず、韓国から日本への提供数が逆に比べて少ないのは別の事情だろう。

日本人と韓国人は人種的に近く、HLAが合いやすい。韓国から日本への提供が日本からの提供に比べて少ないのは、韓国のドナー登録が約10万人と日本の半分で、骨髄バンクの規模が小さいためとみられる。

 ちなみに、右にバナーを貼っているように、俺もドナーだ。登録をして10年近く経つ。いつでも大丈夫な心構えはできているのに、未だに声はかかっていない。

iTMSの楽しみ方、音楽の楽しみ方

● 先日図書館で借りたレゲエ100%とかいうオムニバスに Tide is high が入っていたことを shuffle で聴いていてはじめて気づいた。知っているのはBlondieが歌っていたバージョンだが、懐かしかった。googleで調べたら、オリジナルは1930年代のジャマイカンポップスらしい。そういえば、PVではデビー・ハリーがカタマランに乗って、変な格好をした男たちが漕いで島に向かっていた。Blondieが南の音楽をカバーしていたということは面白い発見だった。当時は全くそんなことは知らずにBlondieの曲として楽しんでいたが。そして、再度Tide is highをiTMSで検索したら他のアーティストもカバーしていた。こういうのを芋づる式に探して聞くのもiTMSの楽しさの一つかもしれない。

● 昼休みに散歩していたら、ShuffleでPOLICEの曲がかかった。そして、それがよく知っている最近の曲と共通点があるのが分かって楽しくなった。曲は、Every bless you take.。バックのベースとなる音の作り方が、SALON MUSIC の Don’t close your eyes. 、ランキン・タクシーのHelpと同じだった(順序は逆だが)。そして、その音の使い方はBlondieのHeart of glass とも似ていることにも気づいた。こんな曲は、ほとんどの場合レンタルショップにはないので、気軽に集められる金額ではなくなってしまう。

● 先日タワーレコードでジミー・クリフのCDに「TVドラマ、エンジンのテーマ曲『I can see clearly now』収録」という宣伝文句があり、「Cool runnningの間違いだろうが」と毒づいてしまった。iTMSで検索してみたら、Jimmy Clif のI can see clearly nowはiTMSに入っていなかった。アメリカ版iTMSにあったことは言うまでもない。

● ビニール盤しか持っていないアーティストの名前を検索してみたが、日本のiTMSに入っているアーティストでも一部しか入っていないものが多い。Ry Cooder、Neal Young、Earl Klugh、Spyro Gyra、ELO・・・ビニール盤を買いなおすほどのファンではないが、shuffleに入れて楽しみたい曲が何曲かあるのだ。日本版iTMSでもアーティストはヒットするが目的の曲が見つからない。

 オンライン、単品販売で上のようなケースで、複数アーティストの芋づる買いが現実レベルで可能になった(月に何万円もCDに支出できるような人には必要ないだろうが)。にもかかわらず、日本の音楽流通業の古さと硬直性のために、アーティストと消費者のどちらもが損害を被っているのだ。

 一番腹立たしいのは、楽曲を握って「聞かせてやらないもん」と言ってる権利屋の運営するサイトでもちゃんと公開していないという点だ。試しに、iTMSに入っていない大物 Bruce Springsteen を検索した。アルバムはたったの5枚、しかもそのアルバムも全曲入っていない。「自分のところで売ってるからそっちから買って」なら、理解できなくはない。しかし、自分のところで売る気もないくせに、温存だけするのは呆れる。しかも、そんなレコード会社が「音楽文化」とか「アーティストの権利」の代理人のように振舞う姿は、亀井とかナベツネと同様の見苦しさだ。抱え込んだ楽曲を店頭に並べようとしないのはアーティストの権利を守ったとはいえないだろう。

「音楽配信は、レンタルや中古CDの代替として普及する」のか?

音楽配信は、レンタルや中古CDの代替として普及する—普及の目安は1曲100円以下、80円くらいが妥当では : IT Pro ニュース
 音楽のヒットランキング情報を提供し続けているオリコン。同社では、昨年から音楽配信ビジネスにも乗り出している。アップルの参入により、活気づいている感のある音楽配信について、社長の小池恒右氏に聞いた。

狙いは3つあります。エルダー層の開拓、旧譜の活性化、そして対価がきちんと支払われないコピー楽曲の駆逐です。

音楽配信なら、CDショップの棚に置けなかったような幅広いラインナップが実現できる。

 ここまでは納得できる。ところが、ここからが納得できないことのオンパレードだ。

 順を追ってお話しましょう。まず、CDの売り上げがどんどん縮んできています。ところが一方で、JASRACの権利料徴収額は右肩上がりに増えているんです。つまり、音楽に接する機会というのは増えているはずなんです。なのにCDが売れない。これは、例えて言うならば、いくら上から上質の音楽を流し込んでも、流し込むバケツに穴があいているようなものです。どこからか、権利者が正当に受け取れるはずの対価が漏れてしまっているのです。これだけCD産業が落ちているのは日本だけなんです。

 
 JASRACの権利料徴収額が増えているということは、権利者が正当に受け取れるはずの対価が支払われているということだろう。

 「正当に受け取れるはず」と言っているが、それの主語は何だ?JASRACの正当性については置いておくとして、JASRACが受け取ったお金こそが、演奏者や作曲者への正当な著作権使用料だろう。途中でCDコピー、流通業者が儲からないからと言って、おかしいというのは間違いだ。生産地と消費地を結ぶ道路が変わるのだ。にぎわったドライブインでも廃れることはある。しかも、そのドライブインが、私有地を盾に納得のいかない通行料(高額なCD料金)をドライバーに課していたら、バイパスへ行くのは当り前だろう。

 ブロードバンドの普及や、記録媒体であるHDDやフラッシュメモリーの価格低下といった状況は各国共通です。CD産業を苦しめる日本独特の原因は何か、と突き詰めていくと、これはコピー問題が背景にあるとしか思えない。それも、レンタルから派生している中古、コピーがそうです。権利者に対して対価が支払われないものが流通しているのです。

 他の要因を考えないのはおかしい。CDの小売価格をアメリカと比べればわかる。日米で同じアルバムを出している日本レーベルのアーティストutadaのアルバムで比べると、amazon.com では$13.98(約1500円)、amazon.co.jpでは3000円だ。こんな価格差を無視して、「日本だけ減少傾向」と嘆いてみても当てはまらないだろう。

 むしろ、同じ製品を外国より高くしか買えない日本の消費者が損をしているのだ。景気後退と社会保障費の増加で可処分所得が減っているときに、小売価格を上げているのは日本のCD販売業者くらいだろう。

 コピーや中古を生み出すだけでなく、レンタルそのものも対価を十分に払っているとは僕は思わないんです。レンタルのマーケットは約600億なんですが、レコード会社に対してはその15パーセント、90億しか払われていません。CDショップは、レンタル店と同じ設備投資や人員配置が必要なのに、レコード会社へ7割持ってかれてしまいます。同様の商材を扱っておきながら、片や原価率15パーセント、片や原価率70パーセントというのでは勝負にならないでしょう。

 ここからは突然、レンタルの話。前に、レンタルは問題はないと言っておきながらだ。それに、原価をレコード会社に納める上納金だけで比較するのはおかしい。レンタルショップの仕入額は上納金だけではないだろう。

 

  音楽配信が、レンタルや中古を駆逐すると仮定すれば、最低でも1000億円のマーケットは形成できるでしょう。ただし、まずは価格がレンタルのレベルに近づく必要があります。1曲100円くらいが1つの目安になりますね。本格的に普及するには、80円くらいまで下がらないとダメじゃないかな。音楽配信であれば、レコード会社には7割以上リターンがありますから、この程度の価格でも、レンタルの代替と考えれば反対する理由はないはずです。

 配信楽曲数については、新譜や大物アーティストなど、CDでの販売が期待できるものについては、じょじょに広がっていくんでしょうね。過去のランキングとの連動を考えた場合には。旧譜の充実も必要です。

 これには同意。ただ、価格が150円になった今、普及のキーポイントはタイトルだと思う。それも、廃盤になったようなレコードを、オリジナルのまま出して欲しい。ベスト盤やアンソロジーは物理メディアだからこそ必要だったもので、オリジナルのレコードが全てダウンロード販売されていたら、そこからピックアップするのもいいし、オリジナルのままディスクに焼くのもできる。iTunesのライブラリが自らのベスト盤でありアンソロジーになるのだ。ここ数年ブームだった、ベスト盤や企画もの(80’sロックとか、70年代フォークとかの集大成シリーズ)は急激に衰えるだろう。iTMSのおかげでPCが音楽ライブラリになったのだ。

 後戻りはない。

 CDになったときに、LPレコードのジャケットに比べてちゃちなパッケージに物足りなさを感じたものだった。今度は、CDに慣れた年齢層が同じ悲哀を感じる番だ。CDの物流を販売するというビジネスモデルから早く撤退することだ。

 後戻りはない。

 ちなみに、先日レンタルCDショップに行ったときに、DeftecのCDは置いていないという断り書きに気づいた。iTMSで上位を独占しているグループだ。レンタルで売るよりオンラインで売るほうを選んだのだろう。iTMSに入れなかったり、CCCDを作ったりするより、こうしたほうがはるかに、本人にとってもレーベルにとっても良かっただろうと思う。

ついに来たのか_| ̄|○

 恐れていたことがついに来た。

 朝、いつものようにvisorにwebがピルゴムを起動し、prismに転送しようとしたが、反応しない。いや、変な反応の仕方だ。画面が真っ白。「?」と思いながら、リセットをしてみた。しかし、全く起動しなかった。起動プロセスどころか真っ黒のまま電源が入らなくなってしまった。クレードルに置いても充電ランプは点灯しない。朝は、時間切れでそのままクレードルに置いて家を出た。

 帰ってきても変化はなかった…もうだめか…

 しかも、数ヶ月前からホットシンクが不調で、データのバックアップがとれていない。progectとJfile、memo帳にしか新しいデータは入れていないが、そのダメージは大きい…

ルーター設定

 親の家のルーターを修理に出していて、ネットにつながらなかったことが発覚した2週間前。俺の自宅にあった有線ルーターを取り付けに来たのが先週の土曜日。その後すぐに店から、「新品等交換するので使ってみてくれ」との電話があったらしい。

 お盆と花火のために親の家に帰ったときに無線ルーターをセットアップした。

 前回のものはバッファローWBR2-G54、今回届いたのはバッファローWYR-ALG54/P。スペック上の機能が微妙に機能ダウンしているようだが、ルーターの性能は上回っている。一台の同室にあるノートPCを子機にするだけなので、必要にして十分だ。外部からのパケットは全て破棄しpingに答える必要もないしね。

 セットアップしようとマニュアルを開いたが、「簡単セットアップ」とか書かれたA2八つ折の印刷物と「おまかせ」とか書かれたCDしか見当たらない。しかも、ルーターのインターネット接続の設定には、「インターネットエクスプローラーで設定してください。」くらいしか書いていない。マニュアルのどこにもルーターの初期値のIPアドレスが書かれていなかったのだ。これでは、有線でつないだPCからPPPoEの設定をすることができない。CDをマウントし、マニュアルと書かれたフォルダを探し、htmlを開いて数ページ探したら見つかった。ルーターにさえつながれば、ブラウザで設定し再起動したらつながる。

 コストダウンのためにマニュアルをCDに載せたり、簡単に設定するためのユーティリティを添付することは悪いことではないが、ルーターにブラウザでアクセスする方法(ルーターのIPアドレス)だけは紙に書いてほしい。

 ルーター上の設定画面はシンプルで、やるべきことを知っている人間には分かりやすいが、何をやればいいのかが分からない人には手のつけようがないものだ。ここにこそ、ウィザードとマニュアルが必要だ。マニュアルに書いてあるIPアドレスにブラウザでアクセスしたら、有線でのLANとインターネット接続までは完了できるようにすべきだ。ルーターの本体に書かれたMACアドレスの横にでも、工場出荷時のパラメーターは書いておけばさらにいいだろう。そうすれば、マニュアルもCDも見なくても、有線でのネット接続までは導ける。無線や詳細設定はメーカーのマニュアルをダウンロードすればいいんだから。

 なぜ、工場出荷状態にこだわるかといえば、他の人間がセットアップした場合に無線LANの暗号化キーとかルーターの管理パスワードが分からない可能性が高いからだ。そんなときに、メモを探すより、サクッとリセットして一から設定したほうが早いからだ(もちろん、個人用限定ね)。