成果主義の見直し?

 IT業界は数年前に自分が進めたことの効果について疑問を呈し、次々に「今度こそは・・・」と代替案を繰り出してくる。効果を出すには運用が重要だが、システム部門はそんなことには興味がない。新しいものを買わないと出入りの業者にでかい面ができないからだろう。

 そんな、失敗続きの日本企業のIT化だが、同じことは人事政策でも起こっている。この10年程度は「脱年功」「成果主義」がキーワードだったが、これに対して、人事政策評論家はアンチテーゼを提出することで、企業の人事担当者や経営者に取り入ろうとしているようだ。こういう際のキーワードには、常套手段に則って「日本型年功制」。問題点の指摘には頷けるものが多いが、全面的にとは言いがたい。

bpspecial ITマネジメント:インタビュー

 経営者は会社が抱えている本当の問題は何かということを考えて、もう少し“想像”してほしいのです。そもそも賃金制度の問題ではない「問題」は、賃金制度を変えたって解決できないのです。こんなの当たり前でしょう。髪の毛が伸びたからといって爪を切る馬鹿がどこにいますか。

 最初に成果主義を導入したときはそんなこと言っていなかったのに、今や「成果主義の評価は長期でやればいい」と言うようになっている。これはもう成果主義自体の否定ですよ。以前の運用に戻そうと言っているわけですから。前言っていたことと内容が変わっているのなら、「成果主義」という看板を下ろせばよいのに、いまだにその言葉を使っているのは、成果主義導入の責任を回避する行為でしかない。(^^)

 もし自分の名前と顔も一致していないような上司から、高い点数と高い給料を通知するメールを送りつけられても、「ああ、この上司は私のことを評価してくれている」なんて誰も納得しないでしょう? 普通は「一体どうやって計算したんだろう」と不思議に思うだけです。 (^^)

米国はどうなっている、中国や東南アジアはどうなっている──と海外のことばかり気にする人が多い。西アフリカの小さなベンチャー企業が、ある方法で成功したからといって、何か救われるのでしょうか。結局、自分の会社で役に立たなければ、何にもならないのです。海外からコンセプトの一部だけ借りてきても使い物にはなりません。

(–) 前編で、GEのジャック・ウェルチとか大きな自動車会社の社長の例を挙げておいて、「西アフリカの小さなベンチャー企業」を持ってくるのはおかしい。他社の例が参考にならないのなら、なぜジャック・ウェルチを出したのか。

以前、JISA(社団法人情報サービス産業協会)のとある委員会でITSS(ITスキル標準)の教育プログラムの評価にかかわっていたことがあります。そのプログラムは、最初はeラーニングで教育して、次のステップからは問題解決型の研修を行うというものでした。

 話を聞いていると、その研修プログラムを受けるための条件として、特定の仕事での「実務経験○年」ということが決まっているらしい。実務経験が何年間かないと内容を理解できないとかで、プログラムを受けることすらできないのです。そこで「実務経験をどうやって積むのか、自分ではどうしようもないでしょう」ときくと、「それは人事の仕事だ」という(笑)。結局、こういうITスキルを身につける教育プログラムを作るときでさえ、人事部が経験を積ませるためのローテーションをうまく組んでいるはずだということが前提になっているのです。

(^^):これは、今の企業の経営層の問題点だ。経験の必要な仕事なら経験を積ませるしかないのに、自社でそれをせずに他者の経験者を求めるのは大きな矛盾だ。これは、中途採用市場の求人にも多い。業容拡大や新規立ち上げの企業ならともかく、創立後数十年もある企業がこういう求人を出している。アフォとしか言いようがない。

 そう考えると、成果主義だ能力主義だといって飛びつくような経営者は、ITだeラーニングだと聞きつければ同じように飛びついて惑わされているのではないでしょうか。導入すればなんとかなる、と考える点では、いずれも全く同じ構図に見えます。導入したものを本当に生かすのであれば、ベースに「人を育てる」という発想がないとダメです。

(^^):導入すれば何とかなるという発想はITの導入にもあてはまる。道具でしかないのに、目的化してしまうのだ。当然運用は破綻する。

企業が派遣社員に頼るようになるのは大問題です。私に言わせれば、10年先を見ていない、本当に愚かなやり方です。数十年経った時に、一握りの年老いた正社員だけで、派遣社員だらけの会社を運営することになる。想像してみればすぐに分かることですよ。普通の感覚だったら、会社の経営を投げ出したくなるでしょうね。

(^^):これに対する予想ができない近視眼的経営者が多すぎる。

現場の方に尋ねると、派遣社員には仕事を教えない、と言います。「どうせみんな辞めるし、自分の部下だという意識はない」と。正社員の新人がくれば周囲の雰囲気も明るくなるし、先輩らしく厳しく怒ったりもするけれど、派遣社員相手だと怒る気にもならないそうです。

(^^):派遣社員を叱る(怒るじゃなしにね)ことはできないだろう。育てる義務などないのだから当然だ。しかも、その人たちは学んだノウハウを残さずに去っていく。会社にノウハウが残らないのだ。これを、ナレッジマネジメントとして管理することがITに求められているが、うまく機能していない。必要なナレッジがどこにあるかを評価する人間が理解していないからだ。そして、目先の人件費の削減効果に目をくらんだ経営者には育てることなど眼中にない。これが、今日本の多くの企業で起こっていることだ。

アウトソーシングを使っている、ある企業の話です。中堅クラスの社員が会議で、「すみませんけれど、コンサルタント呼んできてもいいですか。業務全般を外注しているので、内容が分からないんです」と言う。こうなるとおしまいですね。

(^^):これがおそろしい。担当者レベルの引き継ぎを繰り返すような企業でもよくおこる。仕事を属人的に振り分け内容を組織の知識として体系的に保存しないからだ。だから、担当者が急病を起こしたりしたら、部署内でのカバーが全くできなくなってしまう。そんな企業が動いているのは運がいいだけなのに、その見えないリスクについて、低脳な管理者や経営者は気づきもしない。

 これはものすごく重大なことで、業務の一部をアウトソースすればよいとか、全部アウトソースするのは悪いといった議論ではなく、一体何を外注したのか社内の人が誰も分からなくなるような状態はまずい。ある程度は自前でできる人を育てていかないと“アウトソース”にもなりません。そもそも管理もできていないわけだから、これではアウトソースすることでコストがどんどん膨れ上がっていってしまいます。 (^^)

成果主義を導入して数年たつと、成果主義は形骸化します。「誰を昇進させるか」という人事がまず先にあって、それから「彼を昇進させるためには何点付けなければならないか」といってデータを集めるようになる。みなさんすぐに上手に整合性のあるレポートを作れるように上達しますが、これは結果から逆算しているだけなのです。この評価レポートを作成するプロセスは、全くの無駄ですね。そんなお金と手間のかかる“セレモニー”なんかやめましょうよ。

 ある人が、私に聞いてきたことがあります。「社員の給料の差をつけたいのですが、個性に差がないとは言わないが、給料に差をつけるほどの差がないので困っています」。私は、「差がないのなら、差をつけなければいいじゃないですか」と言いました。その人は、私の一言で救われたと言っていましたが、差をつけなければ評価したことにならないという強迫観念がどこから来ているのか、私には不思議で仕方がない。そんな根拠どこにもありません。

(^^):現場で大問題なのは、こういう意識を持った管理者の元にいる社員とそうでない(ある意味正直、別の意味で低脳)な管理者の元にいる社員とで、不公平が生じてしまうのだ。まともに機能していない人事制度の中で根拠のない差を付けられたら、不信感だけが募るだろう。また、昇進させれた人間も、胸をはれないだろう。実際には、胸を晴れるような成果など誰も上げていないのだから。

何が勲章になるのかは会社によって異なるのです。どこかよそでそれが成功したからと言って、その会社でうまくいくとは限らない。全く同じ事を真似ても意味がありません。だから、経営者の方には、自分の頭できちんと考えていただきたい。他の会社の事例はヒントにはなっても、結局、具体的な答えはケース・バイ・ケースなのですから。 (^^)

 えっ?最後はそれかい。だったら、この人のいう「日本型年功制」だって、あてはまるかどうかはケース・バイ・ケースじゃん・・・なんか、読んで損したような気分になった。

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