自由研究「怪談に見る人間心理」

怪談に見る人間心理
怪談に見る人間心理
 ひいきびいき81回「夏休み(3)」で自由研究をやってみたいという話題があって、なるほどと思った。チラ裏ではなく自由研究の課題として少しまとまったものを作るというのは面白い。

 そこで、夏といえば怪談をラジオでで取り上げた怪談を通してみる心理をまとめてみた。

 学生の頃と同じ 8 月 31 日に泥縄で仕上げ、「何か、他にあった気がするけど・・・」と思いながら完成度を上げられずに終わってしまった。

 課題は、今風に Prezi で作成した。口頭での発表部分を文章にしたので流れが悪くなりビジュアル情報を入れられなかったのが残念。Prezi 怪談に見る人間心理をどうぞ。

夏といえば怪談をラジオで

 Youtebe に大昔のラジオドラマが上がっていて懐かしく聞いた。中学校か高校の時にやっていたものだ。京都府に住んでいたのでノイズの波の中から聴いたものだった。入りのBGMとカップスターのCMはいつでも思い出せた。TBSラジオドラマ・夜のミステリー「遠藤周作・幽霊」はカップスターラーメンのCMは入っていないがBGMはこれ。

 このシリーズで怪談のラジオドラマを聴いたが、一番面白いのは小酒井不木の死体蝋燭だった。文章で読んだことのある作品だったが、ラジオドラマとしても面白かった。青空文庫版死体蝋燭 Youtube 版死体蝋燭

 ミステリーゾーンのシリーズに「体験実話シリーズ」という、リスナーからの投稿を題材にしてラジオドラマ化する企画があった。一般人が書いたものを元に、放送作家が脚本にするという程度の作りなので、出来が良くない作品も多い。しかし、だからこそ見えてくるものが有る。これは、人間の集団幻想とでも言う共通の心理的態度に立脚しているからだろう。

 恐ろしいという気持ちは動物としての人類が生き延びるために獲得した態度だろう。痛みや疲れは人間が人体を乱暴に扱わないようにするために必須だ。同じように、危険な状態に対して恐怖することによりその状態を避けようとする本能によって人類は生き延びたのだろう。というのか、そういう心理的態度を持った集団が淘汰を生き延びたのだろう。

 パターン分析をしてみたい。これを組み合わせればAIで幽霊話ジェネレーターができそうな気がする。ハーレクイーンシステムのようにだww

自照式のテールランプを強く推す理由

 夜に自転車に乗る人には自照式のテールランプを強く推奨する。自照式だと暗い道で赤いLEDの光だけが闇に浮かび上がるように見える。反射方式は光線を受けて返すということから、照射する側が暗いと反射も充分でない可能性が高い。自動車なら問題なくても原付バイクとかだと認識が遅れることも予想される。また、ライトとの位置関係によっては反射板に光が当たらないこともある。自照式ならその心配はない。

 実は、自照式のテールランプが有効なのは、街灯のないような暗いところではない。真っ暗な背景なら小さな反射でも認識は簡単だ。威力を発揮するのは薄暮の状態、街灯や民家の灯り、行き交う車のライトなどで明るい場所だ。特に、対向車がある中で暗い背景に沈んだ歩行者や自転車は見落とされ易い。暗いから見えないのではなく、明るい中で陰になっているから見えないのだ。そういう環境下では反射板ではアピールが弱い。こういう明るい自照式のテールランプが有効なのだ。明るくても自動車や2輪車のライトは付けなさいというのと同じ理由だ。大きな自動車でさえ見落とされる夕方は、自分の運転に困らない程度であっても自照式のテールライトやヘッドライトを点灯して欲しい。

 なお、都会のマナーの悪い自転車乗りで問題とされる無灯火についても同じ錯覚がある。街灯や自動車のライトで道が見えて自転車の運転に困らないからと油断して、相手からも自分が見られていると勘違いしてしまうのだ。自分が相手を視認できるからといっても相手も同じようにみえると思ってはいけない。
2014826_tail-lamp1 Izoard はサドルバッグに Cateye の3灯LEDランプを。サドルバッグを付けないRX3にはKnogのテールランプを付けている。

 Cateye のランプは設計が古くLEDは電球に変わる光源としてだけ使われている。それに対して、新しいタイプのランプはLEDに最適化されていて、プラスチックのレンズによる輝度の低下を招かないようになっている。極端なのはKNOGのランプでLED自体が赤く発行するものでレンズが存在しない。

 娘と息子も暗い時間帯に乗ることがあるので、自照式のテールランプの必要を感じていた。先日 RX3 のタイヤを買う時に一緒に買ったのがこれ。シャレオツなミニベロに付けても外観を損なわない。アルミ削り出しの質感が予想以上だった。
2014826_tail-lamp2 娘の Bianchi に取り付けた所。横方向からもレンズが見えるようなっている。

 CR2032 を直列で2個使う仕様のためか、KNOG(CR2032 一個)よりも明るい。昼間でも横の壁に赤い照射が見えるほどだ。

 Wiggle では一つ 900 円程度だが、他に買い物がない場合には送料がかかり割高になる。一つだけ買うならSOIDIER(ソルジャー) サイクルテールライトからどうぞ。自分が買ったものとはブランドは違うようだが機能的には大差はなさそう。

続 ヘッドアップディスプレイが事故を減らさないと思う理由

 ヘッドアップディスプレイを使って視線が前方に固定されてもハンズフリーが禁止されない限り携帯電話の使用による事故は減らないと書いた。更に、ヘッドアップディスプレイの効果に対する疑問をまとめたい。

 まず、ヘッドアップディスプレイの位置だ。ヘッドアップディスプレイはフロントグラスの内側(ドライバー側)に置かれる。つまり、ドライバーは運転中に1m程度の距離と外界とを視線は移動しないが、焦点をどちらかに合わせなければならないだろう。つまり、ディスプレイを見るときには外界への視力はほとんど期待できなくなるということだ。

 しつこいようだが、人間が集中して見ることのできる範囲はわずかだ。ヘッドアップディスプレイに視線を持って行って意識とピントをそちらに合わせたら、視界に入っていたとしても道路の端を走る自転車など見えていない。横断歩道にいる子供もだ。

 さらに、別の観点から、運転中に視線を集中するのは間違いだということを力説したい。横や後ろに注意を払うとが脳への刺激になる。人間の見ている視野は非常に狭いことを学んだ。そして、その視野以外の部分は脳が、それまでに見た情報から適当に組み立てていることも分かっている。人間は比較するものがなければ距離も大きさも判断することが不可能だ。距離感や相対的な面積などを常にフィードバックし空間を認識しなければならない。だから、一カ所に固定することは危険だと思う。これに関する実験棟が有ればお教えいただきたい。

 人間の生活速度が徒歩や自力での走る程度の速度域で生活している限りは、この方式が有効だった。昆虫や鳥のように広範囲を同時に見えなくても、脳内に作った世界像でやってこれた。それより、前方に二つ並んだ目によるステレオ映像による正確な遠近感把握によって細かい道具を作ることができたのかもしれない。周囲などは、常に見えてなくても困らなかったのだ。

 それが、馬、そして自動車を手に入れた人間は、従来方式の世界像認識能力しか持たないのに、自力では到底出せない速度で移動できるようになった。これが、現在の人間の注意力の限界を超えている事は明白だ。公道が破綻しないのは、これを前提にしたルールを作ったからだ。右側通行や左側通行というルールがあるから向こうからくる車がどっちに逃げるか考えずにいられる。このルールのない場所だと歩行時ですらぶつかりそうになるだろう。

 なお、航空機にはヘッドアップディスプレイが実用化されている。これは当然。パイロットは元々視覚情報に頼って飛んでいないからだ。

ヘッドアップディスプレイが事故を減らさないと思う理由

 走行中の携帯電話の使用を禁止したのに事後が減らなかったのと同じ理由だ。ここでも、ハンズフリーにすれば事故が減るという勘違いを犯している。

 「目が見ていること」と「脳が見て判断可能な状態にあること」が全然別であることを考慮していない。「視線が向かっている先にあるものは見落とされない。事故はそっちの方向に目が無かっていないために起こる」という錯覚に囚われているのだ。このブログで散々取り上げてきたように、光線が入っていても、意識がそちらを向いていなければ、見ていないのと同じなのだ。つまり、ヘッドアップディスプレイによって視線を前方に釘付けにしても”見落とし”による事故は減らない。

 このことは皮肉にも、携帯電話の禁止が事故を減らさなかったことから証明されている。また、おそらく、走行中の携帯電話の危険性を検証した実験からも証明されるだろう。なぜなら、走行中に携帯電話をしている人の視線は前方を見ているからだ。前方を見ているにもかかわらず、注意がなくなるから危険なのだ。

 なお、この勘違いは走行中に携帯電話をしているドライバーも同様に犯している。「電話をしていても前は見ているから大丈夫」と思い込んでいるのだ。酒を飲んで自動車を運転するドライバーと同じレベルの言い訳でしかないことを気づいていない。そして、「突然横から車が来て」事故になる。突然現れたわけではなく、方向指示器を出して車線に入ってきた車に気づけなかっただけだとしても。問題は、携帯電話をしていなければ当然に避けられた事故を避けられなかったとしても、当人が気づかないことだ。

現代のクルマ社会が抱える大きな問題を変える小さなスクリーン : ギズモード・ジャパン

最近はスマートフォンをカーナビとして使う人も増えてきましたが、運転中にスマホの小さな画面を覗きこむのは絶対に危険で、現代社会の大問題であります。そんな時には、ダッシュボードに置いてスマホからの情報を透明なスクリーンに投影してくれる、Navdyのポータブルデヴァイス「Heads-Up Display」はいかがでしょう?

Heads-Upは5.1インチのディスプレイにナビ情報に加えて、重要な通知も映しだしてくれるすぐれもの。運転手は目線を動かすことなく目の前に表示される情報を見ながら運転ができます。透明なディスプレイを置くだけなので、道路標識などの交通情報を見逃す心配もなさそうです。

さらに、赤外線カメラを使ったジェスチャーコントロール機能を搭載。運転中にスマートフォンを操作する必要もありません。これって理想的なヘッドアップディスプレイのスタイルかもしれませんね。

iPhoneとAndroidスマートフォンの両方に対応し、接続にはBluetoothを利用します。また、車の情報を読み取れる「OBD-IIコネクタ」にも対応し、車の情報を読み取りながら電力を供給することもできるそうです。

現在プレオーダーを受付中で、本体価格は299ドル(約3万円)。出荷は2015年の早い時期になるそうです。スマホを覗きこむ「ながら運転」を減らして、快適なドライヴがまた一歩進化しそうです。

「運転中の携帯電話禁止は事故を減らさない?」について考える。

bluetooth_im2 「じゃ、運転中に携帯電話を使ってもいっしょやんけ」というのは早計。「なぜ禁止したのに効果がなかったのか」を検討しなければならない。記事にあるなかではハンズ・フリーが禁止されていないことが最大の理由ではないかと思われる。ハンズ・フリーを禁止しないのは携帯電話の使用を禁止しないのと同じ効果があると思われる。スマートフォンを禁止してガラケーを禁止しないのと同じだ。

 また、それ以外にも、「禁止したけど守られていない」可能性も大きいのではないだろうか。禁止後6ヶ月間でどの程度浸透したのか、携帯電話をかけながら運転しているドライバーが実際に減っていないなら事故が減ることもないはずだ。

 日本でも禁止されているが、自転車で走っていると携帯電話で話をしながら車を運転しているドライバーをしょっちゅう見る。そして、こういうドライバーほど遵法意識が低かったり自信過剰だったりするから事故率が、携帯電話をかけない人より高いのではないだろうか。

 「運転中の携帯電話使用は危険であると一般に言われる。」という表現が気になる。一般的ではなく、科学的な実験の結果として存在する。

小記事:運転中の携帯電話禁止は事故を減らさない?:科学ニュースの森
 運転中の携帯電話使用は危険であると一般に言われる。実際に運転シミュレーターを使った実験では、酔って運転するのと同程度に危険だという結果が示されている。2008年7月1日には、カリフォルニアで携帯電話を手に持った状態での運転が禁止された。しかしコロラド大学ボルダー校のDaniel Kaffine博士らによって、その後6ヶ月の間に交通事故が減ることはなかったことが分かった。

 この研究では、なぜ携帯電話禁止が効果がなかったのかを調べたわけではないため、様々な理由が考えられる。例えば、携帯電話を手で持たないで通話することや、携帯電話の代わりにCDプレイヤーやカーナビをいじることによって事故を減らさなかったことが考えられる。また、運転シミュレーターによる実験では実際の運転とは異なるため、携帯電話による通話が実際には事故を増やすわけではないということも考えられる。

 なぜこのような結果となったのかを調査・解析することで、より効果的なルールを作ることができるだろう。

No evidence that California cellphone ban decreased accidents, says researcher

色々と残念:「一連の事件すべて自分」片山被告勾留

 地道な捜査陣の勝利という点は評価できる。しかし、地道な捜査が遠隔操作といったネットワーク犯罪に勝利したのでは全くない。この点では完敗だった。ネットワーク犯罪に警察が勝利したというためには、ネットワークの証拠から犯人の特定をしなければならなかったが、できなかった。日本の警察がネットワーク犯罪について完敗した事案として記録が残った。

 なぜか。片山容疑者の軽率な行動が無ければ捕まえられなかったし、裁判を行って衆人を納得させられる証拠を集めることができなかったからだ。それができていたらとっくの昔に有罪判決を勝ち取れていただろう。

 また、エドガー・アラン・ポーの「黒猫」に描かれた犯罪心理の発露の事例として見ると興味深い。小説やテレビドラマ、マンガ、アニメでも悪者はおしゃべりで圧倒的に有利な状態で黙って事を成せば逆転されずに済んだだろうということがしょっちゅうある。「黙って、うしろから撃っておけば死なずに済んだのに」だ。主人公を絶体絶命のピンチに陥らせた上で逆転させたほうが盛り上がるという演出としか思えなかったが、片山被告の行動を思うと、あえてそういうことをすることで破滅すると分かっていてもしてしまう衝動があるのかもと思ってしまう。

「一連の事件すべて自分」片山被告勾留 NHKニュース5月20日 14時27分
パソコンの遠隔操作事件で、これまで無罪を主張してきた元会社員、片山祐輔被告が一転して「私が真犯人で、一連の事件はすべて自分の犯行だ」と認めました。
片山被告は保釈を取り消され20日午後、東京拘置所に勾留されました。

パソコンの遠隔操作事件では、インターネット関連会社の元社員、片山祐輔被告(32)が威力業務妨害などの罪に問われていて、ことし3月に保釈され裁判では一貫して無罪を主張してきました。
しかし、弁護団によりますと、19日夜になって片山被告が一転して一連の事件はすべて自分の犯行だと認めたということです。
また、今月16日に報道機関などに送られた自分が真犯人と主張するメールも片山被告が送ったことを認めたということです。
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「1930年代 日本の観光ポスター」は美しかった|2014年のポスターは美しくないのか?

 創造力のない人間が書いた記事の典型だ。至言「人は今も昔も変わらない。変わったという人は昔を知らないだけ」で指摘されている通りだ。「2014 年に 1930 年代のイラストを見たら美しく感じる」というだけなのだ。

 1930 年代に生きていた人にとって、これらは美術館に飾ってめでる物ではなかっただろう。もっと生活に密着した、「外国のデザインを取り入れたおしゃれな広告」でしかなったはずだ。それ以上でもそれ以下でもない。今なら海外ブランド品のTVCFのようなものだ。今のCMを美術館に置いて鑑賞するなどということはないだろうし、数年後には古臭く感じてしまうに違いない。そう、iOS や Mac OSX のデザインのようにだ。数年前にはスキューモーフィックを絶賛していたおしゃれなデザイン系の人がこぞって「フラットデザイン最高。スキューモーフィックは古臭い」と言い出したようなものだ。フラットデザインが普及してGUI全てがフラットデザインになったら、「6 までの iOS のデザインは美しかった」とか言い出すんじゃないのwww

 自分が子供の頃はテレビではミニのワンピースが流行っていた。自分が大学に入る頃にはそんな服を着ている女性は皆無で、当時はデザイナーズブランドの服が流行りで真っ黒だった。男はツータックで肩パッドの入った1930年代のようなスーツが流行っていた。今ではそんな服を着ている人はいないだろう。しかし、20年もしたらぶり返すかもしれない。その程度のものだ。

 日本のデザインが面白いのは1930年代に始まったものではない。むしろ、このデザインは江戸時代の浮世絵がフランスに輸出されて生まれたポスターの逆輸入だ。この記事を書いた人は富嶽百景とか見たことがないのかもしれないが。そして、ここで注意したいのは(自分的にだがw)、浮世絵もポスターも美術館に展示してしかめっ面して鑑賞するようなゲージツではないということ。生活に密着して、庶民が「お、この絵(版画だが)ええやん」として売買されたものだ。今ならCDやDVDのおまけやカレンダー、コミケのコンテンツみたいなものだ。当時の庶民の願望や欲望がそこにあることだ。

 美術館にある「作品」にならないと良さがわからないのは貧しい。いま、街にあるものも同じように「評価」できないのは、芸術そのものを見ているのではなく、他人が評価したものを見ているだけだ。こんなことはウォーホルが見せてくれたことだ。自分は常に、身近にある今の大衆芸術と美術館にある芸樹を同じ土俵で鑑賞したいと思う。値札で価値を計るしか脳のないのは見ていないのと一緒だ。

「1930年代 日本の観光ポスター」は美しかった

日本では、1930年代初頭から中頃にかけて、国立公園や温泉など各地の観光名所を宣伝する、美しいポスターが制作された。日本国外に流通することは珍しかったこれらのビンテージ・ポスターには、古い寺の塔や満開の桜の光景が、鮮烈な色合いと、すっきりした幾何学的なデザインで表現されている。

当時の名古屋市や大阪市、あるいは仙台市の鉄道局が制作し、日本のアール・デコ調デザイン全盛期を伝えるこれらのポスターは、非常に稀少なため、博物館や美術館の展示品としても価値があるものだが、その存在は米国ではこれまでほとんど知られていなかった。

アンティーク収集家であり、ビンテージ・ポスターにも詳しいルディー・フランチ氏は次のように述べている。「これらは、ほとんど偶然に発見された。ポスターを相続した若い男性は、それらに価値はないと考えていたのだが、あるとき偶然、ビンテージ・ポスターについての解説を無料で提供している私のウェブサイトを訪れたのだ。私は、彼のポスターを調べ始めて間もなく、これらが大量の宝物であることに気づいた」

これらの前衛的なポスターは、長い年月を経て、稀少価値の高い芸術作品へと変化を遂げた。今回の出来事は、今は大事にされていない広告チラシなども、いつの日か、博物館の壁に展示されるほどの価値を持つようになる可能性があることを示している。

これらの観光ポスターは、「Heritage Auction」が米ダラス市で2014年3月22日、23日に開催予定の「Vintage Movie Poster Signature Auction」(ビンテージ映画ポスターおよびサインのオークション)に出品される。予想落札額は、500ドルから800ドルの間だ。

車の正面が「顔」に見えるワケは?  ウィーン大が実験

2014218_02 「錯覚の科学」でも指摘されていた人間の脳の習性の一つだ。それについては、答えは出ている。下の研究はその範囲がどこまでか、自動車に対する感情への投影について踏み込んだところが新しいんだろうか?自動車や機関車を顔に見立てるのは自分が子供の頃からあったので、全然目新しいとは感じないが・・・

 自分としては、「どこまで抽象的なものを顔として認識するのか」を調べて欲しいところだ。

車の正面が「顔」に見えるワケは?  ウィーン大が実験 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
【9月24日 AFP】あなたにはフランス車ルノー(Renault)の「トゥインゴ(Twingo)」が、笑った顔に見えますか? フォルクスワーゲン(Volkswagen)の「ビートル(Beetle)」はおっかなびっくりの顔? 旧東ドイツの国産車「トラバント(Trabant)」は悲しそうで、BMWは怒った顔?

 わたしたちがこのように車の正面を見て人間の表情を連想するのは、顔から重要な情報をつかもうとする生来の習性のせいだという研究報告が、今週発売された科学誌「ヒューマン・ネーチャー(Human Nature)」に発表された。
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TED 知覚・認知・ミスディレクションについて Apollo Robbins

 「脳はすすんでたまされたがるAmazon で買う)」にも取り上げられていたマジシャン Apollo Robbins のTEDでのプレゼンだ。脳内のフランクの例えが非常に分かりやすい。同じマジシャンでも先日読んだ「心を誘導する技術」の中辰哉とは大違いだ。

 ここから先は動画を観てから読んで下さい。
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