ワンセグへの懐疑

 iRiver T20 を使ってみて、FMラジオより podcast のほうが満足感が高いことを再認識した。同様に、iPodビデオのほうが携帯TVより魅力があると思った。

 なぜか。ワンセグのコンセプトである、外出先や移動中の空き時間なんて使い物にならないからだ。都合のいい時間帯(移動中や待時間等)に電波状態がいいという保証はどこにもないし、時間と空間が合致した場合に観たい番組を放映している可能性なんて、今のテレビの状況を考えれば分かるが、ほとんど皆無だ。

 テレビというメディアが今のような影響力を持ちえたのは、居間に置かれたことによるのではないか。固定されたテレビの受信状況が変わるはずがないので、ワンセグの三つの条件のうち二つは元々存在しない。ダラダラと流しっぱなしにすることも多いので、キャッチーなコンテンツさえあれば耳目を集めることができたのだ(影響力を振るったり金を儲けることがついてきたわけだ)。

 テレビというメディアが大きな影響力を持つメディアに育った過程を見てきた年代の人にとっては、テレビが見られるようにすることで大きく製品の魅力が上昇するように感じているかもしれないが、大きな勘違いだろう。これまでだって液晶ポータブルテレビがあったのに、持ち歩こうとは誰も思わなかった。駅のホームで立ったままポータブルテレビを観ている人なんか見たことがないだろう。

 それに対して、ダウンロード型コンテンツは音楽と同様に楽しめる。電波状態とは無縁だし、コンテンツの好みの問題もない(好みの番組しかダウンロードしないのだから当り前)。放送のタイミングに合わせるということも最初からない。唯一の問題は、好みの番組があるかどうかという問題だけだ。アメリカは、人気テレビ番組の有料ダウンロード販売を開始しているし、ニュース番組も充実しているのでほぼクリアされていると考えられる。日本でこれができないのは、コンテンツホルダーの頭の「悪さ(あえて書く)」のためだが別問題。(ワンセグもpodcastも普及しないというシナリオもある。というよりこれが一番可能性が高いかもしれないからな)

 モバイル機器で広告を配信するというコンセプトはメディア企業(と家電メーカー)にとっては都合の良い話かもしれない。これまで車内広告や屋外広告くらいでしか訴求できなかったところに広告が打てるからだ。しかし、上のような事情で、視聴する人間は少ないだろう。だとしたら、コンテンツの質は上がらず(というより、今のテレビ放送自体が低いのだから救いようがないが)、最初のうち物珍しさから使っていたユーザが離れてますます視聴率が下がってという負のスパイラルに陥るのではないだろうか。

仮面ライダー響鬼最終回

 新しいタイプの仮面ライダーになって初めて見たシリーズだったが。色々と未消化に終わってしまった。職業として、ローテーションで出動するというのや、プライベートの不器用な恋愛模様は面白かったが、幼児にはアピールしなかっただろう。そのためか、特別仕様のDVDは発売中止になったらしい。

 細かいことはいいとして、気になっていたのは主人公が乗っているバイク。主人公の響鬼は「ライダー」なのに人に乗せてもらっていた。それが唐突にバイクに乗り始めた。しかも、かっけええヤツ。ホンダが提供なのでホンダ車に決まっているが、一度も見たことのないものだった。

 調べたら、ホンダのショーモデル。ちゃんとホンダのサイトで仮面ライダーで使われた車両の紹介がされている。そういえば、vodafoneも登場人物と合わせて紹介されていた。すばらしい。マニアの情報交換網が活かせないのが寂しいかもしれないが、俺のようなライトなファンにはありがたい。そして、テレビ局・メーカーが一丸となって番組を支援しているところがビジネスとして素晴らしい。先日の神戸マツダの車検とはエライ違いだ。

 ホンダのお客様相談センターのコメントもナイスだ。「Q:ヒビキ(細川茂樹)がバイクショップで憧れていたバイクはなんですか?>A:CB1300 SUPER BOL D’ORです。CB1300SBを早く買えるといいですね。」。響が乗っているのは凱火に紹介されていた。モーターショー用のスペシャルマシン「VALKYRIE RUNE」らしい。他のライダーのと比べて圧倒的な存在感があったわけだ。

 ついでに、googleで拾った仮面ライダー響鬼占いの結果:

panheadさんは、 安達明日夢くん タイプです。

ドラマー少年・安達明日夢くんタイプのあなたは、気位が高いです。いつも人目を気にしています。自由気ままに生きている人に憧れをもっています。用心深いタイプで、確信の持てないことには手をつけません。口には出しませんが自分なりの美学を持っています。人の影響を受けやすく、すぐその気になってしまいがちです。お年寄りには席を譲りましょう。

恋愛について:
ムードに弱く、恋に恋する傾向があります。恋愛をゆっくり進めようとします。愛する人の前では子供になり、すねたり甘えたりします。愛するよりは愛されたいタイプです。記念日やイベントを大切にします。

適正職業;
ヒビキの後継者

panheadさんのラッキーアイテム:
竜巻(バイク)

 よし、今日から俺が通勤に使っているSRXは「竜巻号」だ。今年の目標は、お年寄りには席を譲ることだ!

賞味期限切れ

 とっくの昔に賞味期限は切れていた。2年以上前から我が家では、「親が子供に見せたくない番組リスト」上位だった。企業の社内報の一コーナーのようになっていたからだ。民放ニュースバラエティーのような効果音やナレーションにもうんざりだった。

 富士の測候所や南極観測船なんかには結構感動したんだが。

東京中日スポーツホームページへようこそ

 NHKが人気番組「プロジェクトX・挑戦者たち」(火曜午後9時15分)を今年度いっぱいで打ち切る方針を固めたことが21日、分かった。2000年春にスタートするや「泣けた!感動した!」と大きな反響を呼び、“社会現象”にもなったが、最近は過剰演出など問題点も噴出していた。

 あるNHK幹部は「画期的な番組だった」と自賛しながらも、「既に番組の使命は終え、賞味期限を過ぎていたのにやめる決断ができないところにNHKの問題があった。番組を評価していた海老沢会長が退陣したことが影響したのは間違いない」と認めた。

「越中おわら風の盆」

風の盆恋歌 NHKアーカイブスはNHKならではの作品が多く、その底力を見せてくれる。

 大分前に録画した風の盆恋歌という番組を覩た。銀塩フイルムにしか撮れない暗くて深みのある映像に惹かれたからだ。ドキュメンタリーかと思って録画ボタンを押して寝たのだった。

 後の説明によると、この番組は1988年だかに衛星放送の開始直後の頃に実験的に行われたものらしかった。そして、なんかの賞をとったらしかった。

 画像は、ひたすら盆踊りや街の情景を流し、バックで男女の会話と独白でドラマが演じられるというものだった。放映辞には、完全な生中継で、朝方の4時30分から5時30分に放映されたらしい。画像は、ほぼ真っ暗な中にちょうちんとカメラの前の暗い照明に浮き上がる踊り手くらいしか見えない状態から、すっかり明るくなり、町並みが現れ、遠くの山のシルエットが見え、朝焼けが見えはじめ、踊りの全容が現れるあたりまでが映し出された。ラジオドラマとリアルな画像を組み合わせる手法は面白かった。出演は二人の男女だけ。リアルタイムでこれだけのものを演じられるのは凄い。

 ただ、天邪鬼な俺なんで、いろいろ引っかかることが多かった。

 「衛星放送の機能を活かした企画性と芸術性を評価され・・・ギャラクシー賞を受賞しました」とアナウンサーが言っていたが、衛星放送のというのはおかしいだろう。生放送なんて地上波だってできたんだから。NHKが衛星放送を売り込む姿勢は一時のISDNを進めるNTTと良く似ている。全然、番組の内容とは関係ないが、一番引っかかったのがこれだった。

 祭りについて考えることがあったが、いつものように全然まとまらないのでいつかそのうち。

 なお、この番組には原作があったらしい。「風の盆恋歌」(高橋 治)というものがそれ。これについては、いろいろなソースで書かれているので興味があればあらすじは十分に分かるだろう。

 この内容についてもいろいろあるが、ネタばれにもなるし、好みの問題もあるので、追記にする。この作品を好きな人は読まないように。

 原作はたった20年ほど前の作品なのに、メンタリティが違いすぎる。全然共感できないのは、俺が以上なんだろうか。引っかかったことを列記すると、

・処女性にこだわることの不毛さ。まるで、2chのガキのメンタリティだ。
・肉体関係に対する強いこだわり。これは、翻せば精神性を否定することではないか>あなただけ今晩は
・残されたものへの無神経さ
・俺よりも若いはずの登場人物(女性の娘)の価値観が俺より古いこと
・死ぬことによる清算を潔さのように扱う感覚のアナクロさ。無責任さ。

CMカットが著作権法違反?

CMカット機能「著作権法違反も」 日枝・民放連会長 – asahi.com : 経済

日枝久・日本民間放送連盟会長(フジテレビジョン会長)は12日の記者会見で、DVD録画再生機を使ってCMや見たくない場面を飛ばして番組を録画・再生することが、「著作権法に違反する可能性もある」と述べた。電機メーカーなどに何らかの対応を求められないかを検討するため、民放連で研究部会を設けた。

 CMを番組のどこに挟み込むかは保護すべき表現なのか?それに、ユーザーが受け取った電波をどう記録したいかはユーザーが決めればいい。そのときに、利便性の高い方法(スゴ録とか自動延長とかいった機能)を工夫するのは家電メーカーの競争として望ましいだろう。

 それを、広告を見せたい一心で、適当な法律を持ち出してくるのは、一時期に電鉄会社がやった「心臓ペースメーカーに影響があるので電源をお切りください」というのと同じだ。

 まあ、俺は好きなCMとかを録り溜めたいし、うっとうしいCMをカットするのが快感なので、CMカットは使わないが(^^;

ゾルバ゙ = カムポス・モンテシノス <> 豊川悦治

 オリンピック前に地上波で放送されたオリンピック盛り上げ番組の一つを今頃観た。こういうのを残して置けるのがHDDレコーダーのいいところだろう。

 「その男ゾルバ」という文学作品と映画をイケメソ男優が旅するというものだ。イケメソの男優が荷物も持たずにかっこつけて歩くのだ。観光客との差を訴えるのかもしれないが、現実から遊離してしまっている。なんでオート3輪の荷台に乗らなければならないのか。ほかの場所では、2CVやバイクが当然のように用意してあるのに、そこでだけ「タクシーの奪い合いに敗れた」なんて、安物の演出にしか見えない。というより、安物の演出そのものだ。

 そういう演出こそがそこで語られるゾルバという人物と相容れない。ゾルバは人生の達人であり、リアルな苦しみや喜びを知っている人物だろう。そして、コーディネーターと通訳つきで用意された「出会い」とは程遠いはずだ。

 こういう演出にはいつまでもうんざりする。そこで語られる感想を誰が語っているのか全く分からなくなってしまう。

 ギリシア人にギリシア語で話しかけられて英語で答えるっておかしいし・・・

 それはそうと、この魅力的な人間と同じような登場人物を思い出した。こちらも俺にとって、理想的な「人」だ。それは、夢野久作の「水棲人(インコラ・パルストリス)」の登場人物カムポス・モンテシノスだ。

 この人物や旅については別に考えたい。

地球大進化

 地球大進化は面白い。今日の5回で最終回だが、今になって前に録っていた4回目を観た。

 大陸が一塊だった頃はプレートも大きくて、そのプレートの一部が地球の中心部に落ち込んだことから起こされた、マグマの上昇によって引き起こされた環境変化で地球上の95%の生物が全滅したということだった。

 それはいい。というより「そうでしたか」としか言いようがない。問題はその後。「この時、メタンが空気中に放出され酸素と結びついたために酸素の濃度が30%から10%まで激減した。ご先祖(キノドン)はさらなる暗黒の時代へと向かっていったのです」と言っていた。「うんうん、酸素濃度が低くなると適応するのは大変だったろう。」と思っていた。

 ところが、次のシーンで「大量絶滅の後、空白の時代の後、ところが、大量絶滅から1億年後、生物が出現し始めた頃、世界は大きく様変わりしていました。そこは、巨大爬虫類が支配する世界でした。」って、2.5億年前の絶滅からいきなり1億年って・・・それに、突然恐竜が巨大化したのではないだろう。

 進化の途上で、淘汰の中で生き残って共存していたのだ。恐竜の中でも、淘汰はあって、種は入れ替わっていったのだ。その結果生じた一時期のスナップショットを持って、支配とか君臨といっても意味はない。暗黒の時代と言われても、その時代に生まれ死んでいった初期哺乳類一匹一匹にとってはそれなりに生きていたのだ。それは、今の時代が、大型哺乳類にとって暗黒の時代だろう。

 今、人類が地球を支配しているという発想が根本にあるのだろう。

素晴らしき哉人生

素晴らしき哉、人生!
 関心空間で知った感動映画を借りていた。今日、独りで観た。

 古い映画だし、詰めの甘いところは多いが、今の俺には泣ける。

 ただ、主人公のように人のためになる目に見えることを残してきた人ならあのやり方で簡単に鈴をならせられるが、大半の凡人には使えないとも思う。だから、鬱爆弾のダメージは倍だ・・・(;_;)

刑事コロンボ

 テレビでやっていた物を観た。

 残念ながら、ピーターフォークがプロデューサーになったシリーズは駄作ばかりだ。つまらないオーバーアクトというか、過剰演出が多すぎる。

 謎解きシーンには証人と立ち会いの警官だけでいい。昨日の作品では、目撃証人はいなかったのだから、立ち会い警官だけで十分だった。

 それと、犯人を特定するのは簡単な作業だったはずだ。公然の恋人がいて、その恋人は被害者が犯人のゴーストライター(音楽作品のだが)をしていたことを証言できた。そして、死体にあった鍵束に部屋の鍵がないなんて、誰だって真っ先に犯人を疑うだろう。むしろ、恋人の事情聴取をしていないことが不思議だ。

 それに、指揮台がおかしな方向に倒れていたことに気づく捜査員がいないことは考えられない。

 また、何十年も使ったことのないエレベータを動かした跡があるなんて、素人でも一目瞭然だ。さらに、コロンボはそのエレベーターを見に行ったときに、何の証拠保全もせずにずかずかと入っていった。指揮棒もそこで見つかったのに、捜査員に証拠写真も取らせていない。

 昔のシリーズでも、証拠物を見つけたときに写真も撮らずに持ち歩くことがあったが(それでは、裁判で証拠として採用されない)、そんなレベルのものではなかった。

 犯人を決めて捜査するのは常套手段だが、なぜそうしたかの根拠が示されなかったのもダメ。

 まったく、ダメダメで、アレじゃ、裁判で犯人が無実を主張したときに有罪に持ち込むことは不可能だろう。

 吹き替えも、昔の吹き替えをやっていた人が亡くなっているために違う人がやっているが、元の名調子を意識しすぎて過剰になってしまっている。このようなシリーズを観るのは哀しい。また、こんな作品を観た若い人(子供)が、俺たちが刑事コロンボに対する反応を勘違いしてしまう。「俺たちの観たコロンボはこんなんじゃない」と叫びたい気分になる。

 だから、子供たちには見せなかった。

地上波デジタル放送:分かりきってた事

地上デジタル、急がれる「ピュアハイビジョン」化

 プラズマや液晶の薄型デジタルテレビが、この夏のボーナス商戦でも主役を演じて
いる。ただ、せっかくのテレビを買ったのに、売り物のハイビジョン放送番組が少な
いことがここにきてデジタル化のデッドロックになりそうな気配だ。【西  正】

■■ケーブルテレビ局に寄せられる苦情

 2003年12月の地上デジタル放送開始後、半年を経過し地上デジタル放送が見られる
薄型のデジタルテレビが好調な売れゆきを示していたこともあって、地上デジタル放
送に関心を持っている世帯もそれなりに広がりを見せ始めている。

 地上波デジタル放送の開始当初は、開始された三大広域圏のうち、中部、近畿につ
いては電波による直接受信が可能な世帯も多かったのだが、関東地方ではアナログ周
波数変更対策が未済である地域が多く、電波で受信できた世帯は数万世帯でしかなか
った。そこで、関東地方で特に顕著な動きとして目立ったのが、ケーブルテレビ局に
新たに加入して、ケーブルテレビ経由で地上デジタル放送を見ようということであっ
た。

 そのため、開始時の2003年12月には、新規加入者が過去最高を記録したケーブルテ
レビ局も多かったという。地上デジタル放送の開始は、明らかにケーブルテレビ営業
にとっての追い風となった。

 しかし、実際に視聴者が放送を見始め、それなりに慣れてきたところで、一転して
苦情が局に寄せられるケースが多くなってきた。その多くは、目玉商品であるはずの
ハイビジョン放送が、薄型大画面のサイズである16:9になっておらず、既存の4:3の
テレビ画面に合わせて制作したものをアップコンバートしただけのものであったこと
から、放送画面の外の部分が真っ黒になってしまうというものだ。

 高いお金を出して新型テレビを買ったのに、さらには、デジタル放送を見るために
ケーブルテレビにまで加入したのに、どうして見づらい映像を見せられなければなら
ないのか、とのクレームの声が大きくなっていったのである。そうしたことはクレー
ムだけでは済まずの大半はケーブルテレビ局に寄せられることになったばかりか、解
約理由に発展してしまうケースも見られることになった。ほんの1、2ヶ月の間にまさ
に天国と地獄のような異なる様相を呈することになったのである。

 もちろん、ケーブルテレビ局側に責任があるわけではないのだが、地上デジタル放
送を新規加入者増の追い風としたばっかりに、クレーム対応については放送局に向け
てくれとも言い難い事情があったのであろう。

 そうしたハイビジョン番組が多いことから、16:9のテレビ画面に合わせて作られて
いるものは、「ピュアハイビジョン」作品と呼ばれて区別されている。視聴者からす
れば、ピュアが付いたり付かなかったりということは理解に苦しむところだが、地上
デジタル放送の視聴者が限られている現状からすると、地上波局の予算との兼ね合い
から、2種類のハイビジョン番組があることは仕方のないことなのかもしれない。

 とは言え、すでにケーブルテレビ局に向けてクレームが出ていることを考えれば、
地上波局としても真摯に受け止める必要があるのではないか。BSデジタル放送の開始
時もそうであったが、デジタルサービスならではのコンテンツが不十分であるという
ことになると、視聴者側の関心が急速に薄れていってしまうことになりかねない。

■■デジタル化の完了にも影響

 地上デジタル放送が始まったばかりとは言え、予算が限られていることを理由とし
て、相変わらず4:3のテレビ画面に合わせたハイビジョン番組を放送し続けていれば
、視聴者のデジタルシフトはなかなか進まないということになるだろう。現在のとこ
ろは予算上の余裕があると考えられる東京局、名古屋局、大阪局が放送しているが、
強力な局ですらそうした状況であるとすると、2006年までにデジタル放送を始めるこ
とになっているローカル局にとってはさらに厳しい対応を強いられるという形になっ
てしまう。

 ピュアハイビジョン番組の比率を高めようとしても、海外からの映像素材を使わな
ければならない場合などには対応し切れないことは当然である。それだけに国内制作
の番組についてはハイビジョン対応がなされることが不可欠の要請となってくる。単
純に広告予算との兼ね合いだけでピュアハイビジョン放送が行えないと言い始めれば
、視聴者側のテレビ買い替えのスピードも鈍化してくることになるだろう。

 三大広域圏から始められた理由も、そこに立地する地上波局の経営体力が見込まれ
てのことである。ただ、ローカル局の場合には、そもそものデジタル化投資すら、局
の存亡の危機につながりかねないことが指摘されている。そうした局に、デジタル放
送開始早々からピュアハイビジョン番組を揃えるように求めることには無理があるの
かもしれない。

 地上デジタル放送の開始により、放送の総デジタル化を迎えた今、地上波局にとっ
ても厳しい経営を強いられるサイマル放送を行う期間を短縮し、2011年に予定通りア
ナログ放送を終了させるためには、ピュアハイビジョン番組の放送比率を高めていく
ことは急務であろう。

■■ローカル局統合の必然性

 また、三大広域圏の局ですら対応し切れていないピュアハイビジョン化を、体力の
ないローカル局に求めることには無理があるという妥協がなされてしまうと、全国レ
ベルでのデジタル化の完了を予定通りの2011年になしとげることは絶望的になりかね
ない。

 マスメディア集中排除原則の緩和により、ローカル局の統合が可能になろうとして
いるが、経営の効率化という見地に加えて、デジタル化の推進力の強化という見地か
らも、体力の強化策としてローカル局の統合の必然性が明らかになってくるように思
われる。ピュアハイビジョン化を進めることは簡単なことであるとは思わないが、そ
れを遅らせれば遅らせるほど、地上波局の体力を磨耗していってしまうことも併せて
考慮に入れられるべきであろう。

 まあ、予想通りだ。

 しかし、「べきであろう」と偉そうに書いているが、マスコミにも責任の一端はある。毎日インタラクティブの記事でも、「今買っておいて損はないでしょう」といった電気屋のコメントを載せていた。

 なお、本文の5段落におかしな文章があるが、原文そのまま。