スローライフ幻想:中央と周辺と

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スローライフとは一体どんな生活をさすのでしょうか。実際のところ、私自身もよくわかっていません。しかし、30代になり自分自身のこれからの暮らし方、もっと言えば老いについて考え始めてもいいのかなあ……なんて思うのです。ちょっと古い話しになりますが今年のゴールデンウィークにニュース23でGo Slow!スローで行こうという特集がありました。この殺伐とした社会で人々は癒しとかスローライフとか叫んで、自分の居場所を探しているのではないでしょうか。そもそも自分で意識的にゆったりと暮らそうとしなければならないなんていうのも、変な話しなのでしょうけどね。

俺もこの特集は一部だけ観た。そのときは、都会に住んでいた人が田舎にこもって半自給生活を送っている様子が映っていた。しかし、感じたのは違和感だけだった。それを、上のエントリで思い出した。

 右の写真は、新聞に入ってきたチラシ。一昔前なら「ナチュラル」とか「エコロジー」といった言葉で飾られていた商品群だ。これが、スローライフの正体じゃないのかと思う。それは、都会にいて味わう、一時的な流行もののようにしか見えない。「エコロジー」や「癒し」に飽きてきたので、スローライフと言い換えてみただけ。テレビ局の会議室で、思いつきで耳当たりのいい(って表現はあったかな)言葉を思いついて、流行語大賞狙いでヘビーローテーションしてみただけじゃないのかね。


 こういうときに、俺の思い描くマスコミ業界人の基本的態を上手に表現したエントリがあった。

blog::TIAO: 「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると

トウキョウって処には不思議な磁場があって、そこで暮らしていると恰もトウキョウには全てのものが揃っており、そこで暮らしている自分までが素晴らしい人間のように錯覚する。

トウキョウ以外の地方の役割は、トウキョウの暮らしで疲れた方々を癒すためにあるべきだ、というのに及んでは、せっかく高い教育費を費やして何も学ばなかったということを自白しているようなものだ。こういった連中が中央官庁やシンクタンク、企業の戦略部門で働いている限りは、日本が再生することはないだろう。

トウキョウのヒヨッコたちはたまの休暇に地方へ出かけ、温泉や自然の景観に癒されるのを豊かな生活だと勘違いしているようだが、かれらにはそこで人が暮らしていることには想像が及ばない。

 もちろん、ステレオタイプに分析したものだ。それは、「トウキョウが駄目だからって、地方が素晴らしいとは持ち上げるほど自惚れてもいない。地方には地方の嫌なところ、後れたところ、駄目なところもたくさんある。」からも分かる。この点でも同意見だ。

 都会人の田舎に対する優越感は枕草子でも語られる古典的な勘違いに過ぎない。1000年も経たというのに、人間の感覚は変わらないようだ。

個人ホームページ不況とblogバブル?

 マクロな視点を持ち合わせていないのでよくわからないが、geekなpalm関係サイトを巡回している俺にとっては、htmlを編集するスタイルという意味のホームページからblogへの流れは感じる(自分自身そうだし)。それとは別の問題で、コミュニティというのか、先のエントリで書いたネット上で形成された仲間意識を持った一群レベルでの栄枯盛衰ははっきり感じる。

 Niftyのフォーラム時代は、Fmacuseを毎日巡回していたが、何年か前からは全く行わなくなってアカウントも休止した。visorを手に入れた頃からは、palm関係サイトを読んでいる。fmacがどうなったかは知らないが、palm関係サイトは勢いを失ったような気がする。まず、更新の回数が減っている。palm関係の新製品が出ても反応するのは特定のパワーユーザーだけだ。

 実際、このサイトも元々はvisor prismを買ったときのメモ書きから始まって、今ではほとんどprismのことについて書くことはなくなった。毎日使っているが新しいソフトを入れることもめったにない。このこと自体は自然な流れかもしれないし、悪いことではないだろう。そうやって、細々とでも書き続けているサイトを読むのは楽しみだし。しかし、多くが燃料切れを起こしてしまうようだ。これが、ネットコミュニティの衰退期というものなのだろう。

 blogもホームページや日記サイトの一つのコンテンツとして埋もれてしまうのか、多くのネットユーザーがメールを使うようにblogを書くようになるのかは分からない。ただ、日本のblogはコミュニティとしてのパワーを持つようにならないような気がする。それは、つながりのなさ、というより、つながろうという意思を感じないことが多いから。同じことについて書いてあるエントリがMyBlogJapanにリストされる。ところが、それらがトラックバックでつながっていることはほとんどないからだ。

 blogの普及について考えられているエントリを少しピックアップ。

Goodpic: ブログはキャズム(ハイテクの落とし穴)を越えてブレイクするのか?

network styly *: blogはキャズムを超えるか?

ARTIFACT −人工事実− | Weblogの「キャズム」をどの視点で見るか

DashiBlog: ブログ(Blog)の障壁

DashiBlog: Blogの活性状況

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 全然話は変わるが、サイトコミュニティの栄枯盛衰を加速した姿が2chで見られる。スレの盛り上がりや廃りが日単位で行われる姿は、ネットコミュニティのシミュレーション・加速・モデルのようだ。

ココログ効果

 日本blog界(?)にココログが大きな波を巻き起こしているらしい。常時高速接続と便利なソフトに刺激されたblogの普及がヲタの趣味にとどまらないブームとなりうるかどうか、ウォッチャーとしては楽しみだ。

 きっかけとなったのは「ウェブログ@ことのは」のエントリだった。

ココログはなぜパワーがあるのか : ウェブログ@ことのは

そもそも、NIFTYをプロバイダーとして使っているユーザーには、「パソコン通信」時代から練り上げられたツワモノが多く含まれているはずである。彼らはニフティ・フォーラムという戦場で鍛えられた「自己表現能力」や「他者の意見へのツッコミ欲求」が非常に高い人たちだ。そのニフティのツワモノたちが、「HTMLファイルを作って、リンクを修正して、アップする」という手間がかからず、しかも他者に「うちでこんな記事書いたよ」とお知らせする機能のついた「ココログ」というツールを与えられたらどうなるか。結果は目に見えている。ニフティ・フォーラムからインターネットに舞台を広げたパワーブロガーへの転身だ。

 自分でホームページを作り始めた1996年あたりから、comNiftyを起動することが少なくなり、アカウントは時々ある仕事上のメールのやりとりに使うだけになっていた。それも、3年くらい前から仕事自体がなくなり使わなくなった。毎月会費を寄付するのもばかばかしく休止してしまった。俺自身が強者かどうかはわからないが、ツッコミ欲求が高いことは認める。

日常/非日常Blog: Blogってよく分からないけどニフティでパソ通ユーザーだった妻(ならび同じような体験を持つごく少数の方々)のためのBlog RSSリーダーについて説明

WWWの時代になって、サーバにおいてある情報はわざわざ見に行かなければならないものになってしまった。パソ通では10個のフォーラムの最新情報だけをざっと読むなんて普通にしていたことなのに、WWWではいっこいっこのWebサイトに手動でブックマークを辿って見に行かなければならなくなった。

 でもそれって、パソコン通信の頃には実現していた情報環境なんだよね。Niftermで複数のフォーラムを一気に巡回して、新しく投稿された発言だけ読むなんてことは、みんなでやっていたんだし。

 そうそう、RSSリーダーのユーザーインターフェースを見てフォーラム、というか茄子を思い出した(マックユーザーはcomFifty+魔法のナイフ+茄子の組合せが標準的だった)。そんな茄子ユーザーがRSSリーダーを手にしたら、インターネットの掲示板で満足させられなかった欲求を開放するかもしれないと思った。

ココログとパソ通とせつなさと心強さと : highbiscus -北国tv

よーするに、Nifty者はネットコミュニティに一家言ある人が多く、メタブロガーが喜びそうなネタをバンバンしてくれるってハナシ。
んでメタブロガー集結してTrackbackバンバンやりあってる=盛り上がってる!ってなわけで、はてなDiaryブームのときと同じくクネクネしたい人がどんどんココログに移ってるって話しでしょう!!

Tokyo Forum: きっと「フォーラム」しかなかったからだよ†

実際の所、ココログの中だけではない。ネットの中にはNIFTY出身者、フォーラム出身者はものすごく多い。それはもちろん同じ理由で、もともとそういう事が好きで、興味がある人は、必ずフォーラムを経験しているにすぎない。

 俺自身はココログについては特に意識してなかった。というか、あまり認識していなかった。たまたま、クリックした先がココログユーザーのblogであることは増えてきているが、Myprofileだって似たようなものだ。そこに特別な臭いを感じたことはなかったから。

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リンクを巡っているときのクリップ:

 「ココログ村」とか「メタブログ村」というネーミングは面白かった。だから、そこで行われるイベントを祭というのか。

 「コミュニティのノリを決定付けるのは、活発で外から見て目立つたった数人のヤツなわけで(highbiscus -北国tv)」というのは、また別のエントリで考えてみたい。

 ここをはじめとして、俺が作ってきたほとんどカウンターの回らないサイトは、「アクセスされないサイトはネット世間的には(Google的にはというか)『無い』のとほぼ同義(highbiscus -北国tv)」という意味では存在すらしていない。

 まあ、そんな辺境から様々な村や部族の栄枯盛衰を見ることは、スポーツニュースやAppleの新製品を見るのと同じくらい楽しい。これは、weblog村だけでなくmac村とかPDA村とかでも一緒なのだ。

蚊帳の外から:blog of the Yeah!

 スタート時点から関係ないと思っていたし、終わった今も思っているが、イベントに参加された方々のエントリで感じたことがあったのでクリップ。

 よくある失敗オフイベントの一つと言っていいかもしれない。多分、主催者の求めているものと参加した人の求めているものとが違ったのが原因のように、蚊帳の外からは見える。

天国と地獄: blog of the Yeah! 行ってきたよ

ここまで書いて思ったが、あそこまでつたないイベントだったからこそ、「blogが盛り上がってるから、それで騒ごうよ!」っていう彼らのこのイベントへのモチベーションが良い意味で分かったような気が。純粋というと聞こえはいいだろうけど、そんな感じ。

 これが全体的な雰囲気らしい。次のエントリは参加者側の視点というのか、blogger(とくくってしまっていいのかどうかは分からないが)の視点。

network styly *: blog of the Yeah! 2003について、いまさら。

しかし、本当に、「何」だったのだろうな、と思ったのです。
<<略>>
同じく、座談会でのビジネス的盛り上がりに対して、NDO::Weblog でいわれるように、ビジネスなひとびとは勝手に盛り上がってるみたいだけさ、それはあくまでhypeでしかないよね・現場と乖離しているよね、に同感2。

blog::TIAO: DRECOM主催の「blog of the yeah! 2003」の発表パーティへ参加したんだけれど

日本でもウェブログのユーザーが増えてきて、新しいWebパブリッシングやネットワーキングとしていろいろな角度から注目され始めた2003年だったんだが、それに悪乗りしただけじゃないのかな。

単にはしゃいでいる主催者とかっこつけてウェブログを語っている業界の方々だけのイベントだったようだ。

NDO::Weblog: Blog of the yeah に行ってきました。

「”Blog” ていうだけで何やらすごいものだとか、面白いコンテンツになるとか云々っていうのがマズー」という話は確かにその通りなのですが、ふと考えてみると、そういう「Blogすげーぜ」という台詞は誰が言っているのだろうということになります。
<<略>>
じゃあ答えは? …その多くはウェブログにビジネスの匂いを求めている人たち(いや、なんとかビジネスにしたいと思っている人たち)、あるいはウェブログブームをなんとか作ってやろうと画策しているメディアな人たち、でしょうか。彼らの求める先が分からないでもないのですが、そういう人たちが一番分かってないというか、ほとんどウェブログに触れてなかったりするのが大風呂敷の原因かも。

Blog of the Yeah!2003 Event レポート : ウェブログ@ことのは

やはりこういうイベントに参加する目的といったら「あのブログの人とお話ししたい」という交流の部分が大きいと思うので、むしろ「ブログ大オフ会(ついでに大賞発表!)」くらいのノリのほうが楽しめるのではないかな。

 しかし、そんなイベントも主催者からは、こんな風に見えているらしい。

Blog of the Yeah!2003Eventを終えて。  

先ほど、いろいろと昨日のことを書いているblogを見て回ったのですが、見るまでは
そういった段取りの悪さのために不評な意見が多いだろうなぁと心痛かったのですが、イベントは楽しかったです的な意見も多く、最後の最後まで皆様に支えられたイベントだったことを改めて実感いたしました。

普通であれば、たとえば普段yahooを使っている人が、年に一回yahooの運営者側と会う機会なんてないわけで。

 自分達をYahooの運営者にたとえているあたり、彼の視線がblogを書いている人間より、協賛してくれる会社方に向いていると思える。オフ会的な乗りかと思ったら、blogをネタに一儲けしようとする企業家へのblogの盛り上がりをアピールするためのショーだったということだろう。4000円の入場料とそれ以上の交通費、労力、時間を費やした参加者にはお気の毒としか言いようがない。

 ここに挙げたエントリがすべてではないし、肯定的な書き方のものも多かった。しかし、肯定的な意見も、この機会にオフで出会うことができたというものが大半だった。興味がある人はそれぞれのエントリのコメントやトラックバックをたどってみるといい。主催者が読んだというリンクリストには肯定的意見が並んでいる。

 ところで、一連のページを読んで一番面白かったのがこのエントリ。

トロッコ蜜柑総合研究所 – ニュース(blog)

 さすがに、blogなんてメンドクサイことをする人、しかもこういった賞にノミネートされる人、そう簡単な人ではありません。明らかにアキバ系の人、金の話をずっとしている人、サイトでは結構吠えていて、リアルでもやっぱり吠えてるけど、ちっちゃな声(たまに奇声)で隅っこでやっているから、誰だよあれ?邪魔じゃない?って見られている人など様々です。こんなイベントに2ちゃんねるのひろゆきさんや、いのえもんさんなどのそれこそ濃い人たちが集まったのですから、大変なことになっていたなぁという印象です。参加者の印象を自分も含めて一言で表すと、原宿とかに行ったはいいけど、どこ行って良いのか分からなくて、ついBOOKOFFに行ってしまう、そのうえ普段、同僚の異性からは、ヒッキー(ひきこもり)じゃない? なんていわれてそうな人たちかな。

ついでに、network styly *: blog of the Yeah! 2003について、いまさら。で言及されていたエントリが、Blog of the Yeah!開催の告知を見たときに感じていたことにとても近い。

Shuichi_Shibukawa_DQN_Diary(2003-12-14)

そういえば、blog of the yearが発表されてましたが、こういうのもすべて「東京的なもの」であって、「大阪」ですらないというところが、私にとってはある意味衝撃的でした。blog of the yearについては。
つまり、地方でも優秀な人はほとんど東京に出てきてしまう(関西の有名大学ですらそうだ)ので、有益な情報というのはかなり東京のエリア内のコアな部分で回ってる。
blogって、面白いことに人的なつながりを濃密に持っている人で、IQというか、頭の良い人が書くと面白いという性向があるような気がしてるのですが(切込隊長ってずばりそうじゃん)、そういう人って東京にほとんど集中してて、そういう人がオフラインでも情報交換を繰り返しながら新しい動きを作り出しているのではないか。つまり、情報化時代にオフラインのつながりがいかに重要かどうかが思い知らされるわけですな。

男女の物語:トラックバック応用技?

 自分のところで関連するエントリを書かずにトラックバックとリンクだけで構成したエントリというのはどうか。その書き手が気付いていないページ同士を勝手にくっつけてしまうというのも面白いと俺は思うのだが。関心空間でやるメタキーワードみたいか・・・

 こういうエントリに反応してしまうのは自分がバツイチだからか・・・不幸フェチという説もあるがどうでもいいか。

 まあ、何にしても立場は違うが、熱い戦いだ。まあ「離婚に勝者はいるのだろうか」は書いたのが当事者ではないが、女性の立場だろうし、もう一方はその女性に糾弾される立場の、こちらは当事者だ。

吉田耕介の熱風ちゃんねる: 離婚に勝者はいるのだろうか(若造の主張)

いえないこと・・・: もう恋しい・・・

blogのタイトルについて

 タイトルについて、分かりやすく書くように心がけるようになったことは前に書いた。下のエントリを読んで、タイトルをつけるときに心構えを考えると、前にも書いたが、ミスマッチを少なくすることだと思う。

N@N: 【TB Q&A】 なぜあなたはそのエントリーをクリックするのですか?

確かに見掛け倒しで内容も伴わないといけないわけですが、これから先、ますますブログ人口は増えることが容易に想像でき、こういった最新エントリーサービスを提供するサイトも増えてくるかもしれません。登録数が増えればこのリストに表示される時間も短くなるわけで、そうなるとMyblogList や BlogPeople などの人気表示サイトでの他人の評価も重要視されていきますが、「自分の思いを大勢の人に読んで欲しい」と思う人は、やはり新着表示の中でも目を引くタイトルにしなくてはいけないのかなぁ~って思うのです(中には「自分はコツコツと書きつづけるだけで、別に脚光を浴びなくてもいいんだ」という方も勿論いると思います)。時に自分の気持ちと裏腹に、何気につけているタイトルが人を引きつける場合もありえます。

 で、その効果がはっきりと分かった。俺のタイトル付けはかなりいい線いっている。だって、MyBlogJapan経由のアクセスはないから。

 MyBlogListというRSSリーダーができたときに、ユーザー登録しないと使えないのかと思って、ユーザー登録していた。いつも、トップページのリスト上の「RSSリーダー」というボタンでRSSリーダーに入っていてログインをしていなかった。たまたまログインしたらMyBlogListアクセス数という数字があって、トータルがゼロで*/546位だった。これって、俺の書いたタイトルをみて「けっ、くだらねえ事書きやがって。パスパス」となったということだろう。不幸なミスマッチを防げてよかった(;_;)

#いっぺん、嘘で風俗ネタっぽいのをかましてどんな数字が出るか試してみるか。

広告blog:MyBlogJapan

 まあ、どんな内容を書こうと自由だが、こういうノイズ(俺にとってという意味だが)が増えるとMyBlogJapanの新着新着リストとして使いづらくなる。ただでさえ、登録件数が増えて満足感の高いエントリに会う確率が下がってきているのに・・・まあ、これは俺の読み方にも起因する面も大きいが、このことについてはべつの機会にまとめたい。

CK Project: 注目のアフィリエイト:[2]ケータイの通話料金を削減する『エミューアクセス』

 ついでにつっこむなら、この方法では相手に端末と違う番号が通知されるか非通知と表示されるはずだ。まあ、仕組みを読めば分かるんだけど。

blosxomという選択枝

設置ヲタ魂に火がついた、っていうか。:m:p:d – michieru’s Blog

 michieruさんが、blosxomの設置に燃えているらしい。俺は何の力にもなれないが、勝手に見守っていたい。

 このMTは、linux/Duron1.2Gを独占して動いているので、重いと感じたことはない。しかし、レンタルの場合は一つのプロセスに割り当てる資源に制限が加えらているのだろう。制限が加えられていなくても、複数ユーザーによる競合は発生するだろうし。

 詳しくは分からないが、mtはDB操作をするので、通常のcgiよりcpu負荷が高いのかもしれない。通常のhttpリクエストに対する負荷の大半はファイルの送信で、ボトルネックはネットワークとディスクのIOだろう。だから、cpu負荷に対する備えは相対的に低いのではないだろうか。

 あと、ISPなんかだと、ユーザーが別々にcgiを設置して動かすより、mtを一つ稼動して管理人だけを増やしていくほうが効率がいいんじゃないかとも思う。そうなれば、専用サーバーにしてプロセスを常駐させれば実行効率も上がるだろうし。このアプローチが、雨後の筍状態のispのblogサービスなのだろう。書き屋さんは書くことに専念するというのは、分業の方向として正しいかもしれない。

 ところで、blosxomってなんて発音するの?ブロッサム、ブロッスザム、ブロッザム、ブロッゾム・・・・

Blogの増殖で変わる世界について考えるについて考える

Blogの増殖で変わる世界について考える:CNET Japan – 梅田望夫・英語で読むITトレンド

様々な職業について、独自の情報ソースと解釈スキームを持ち、一線で仕事をしているそういう連中が、「俺もやってみるか」とカジュアルに情報を発信し始めれば、それは面白いに決まっているのである。

まぁ、全体として、英語圏のBlogというのは、そんな雰囲気になっている。

 独自の情報ソースを持っている人がその情報を発信するのなら面白くなるだろう。日本のblog(ウェブ日記)で発信される独自情報の大半は私小説的な日常であって、「情報発信」とはいいがたい(それでも、ポータル風サイトよりはるかに面白いが)というのが日本の現状だろう。
 しかし、オリジナルの情報ソースを持っているからといって、それを発信できるのか疑問だ。日本で、そういうサイトとしてPOBoxの作者のサイトや自分でジェットエンジンを作ってしまったバイク屋さんのサイトがあったけど・・・

スター誕生ってほどのことではないが、在野の「writing talent」がBlogによって発掘される話。アメリカ人好みの話だが、ジャーナリズムの業界構造そのものが変化するのではなく、その業界で働くためのパスが多様化しているというのが記事の

 これは、俺がそうなるという意味ではなく、ありそうな気がする。原稿用紙を用意して投稿用の文章を書くことは敷居が高くても、blogツールならば書き始める時の「初めの一歩」がやりやすくなるから。ピラミッドの底辺が広がれば上位は高くなる可能性がある。既に日本でも、ウェブ日記出身の作家は現れた。エロ関係に限定されるのが日本の現状と限界ではあるが(単に俺が見落としているだけかもしれないが)・・・
 ただ、雑誌や新聞で散見するひどい文章を書く「記者」なんかより、まともな文章を書ける人が幾らでもいることは有名どころのblogサイトを読めば一目瞭然。新聞社・雑誌社に就職した有名大学出身の受験勝者みたいな人間全てがまともな文章を書けるという保証はない。むしろ、大半がダメといっても構わない。こういった、適性の必要な職業へのパスとしてblogが使われれば、マスコミの文章もましになると思われるし、そうなって欲しい。マスコミ志望の人間が自分のblogの質でアピールできるようになればいいのにと思う。

さて最後に、そういうふうに質の高いBlogが増殖している(と同時に関心のないBlogもその1000倍、1万倍くらい多く増殖している)、また質の高いBlogの中でも自分に関心のないテーマの書き込みのほうが大半、という現象を前にして、これからどんなふうにうまく時間を使って、自分にとって面白いもの、意味あるものを抽出して読むことができるのか、という悩みに行き着くのである。

 これは大きな問題だ。MyBlogJapanが出来たときに、タイトルを表示してくれるので効率的になった。しかし、それは一時的だった。一日あたりの登録リストは数百になっているので、全部の内容を読むのはもちろん、タイトルを読むことも難しくなった。タイトルから中身を類推して「当たり」に巡り会う確率も大きく減ってしまった。
 これに拍車を掛けるようになったのが、blog版spamともいうべきblog型広告だ(例:ひかりTOKUX2情報局)。「エロスパム分析でもしているのかな?」と思ってクリックしたら、単なるエロ広告をblogのエントリにしているだけの業者だった。困るのは、実際にそんな切り口で面白いサイトもあるということだ。
 このサイトのような純粋なノイズ以外にも、タイトルで中身が分からないものや、タイトルをつけていないエントリも「当たり」を見つける確率を下げてしまう(仮にそのエントリが高品質であっても、タイトルだけで素通りしてしまう可能性が高くなった)。日記才人(旧日記エンジン)が、カテゴリ分けを行ったのと同じように、カテゴリ別新規登録リストを作るしかないかもしれない。
 さらに難しいのが、誰にとって「高品質か」だ。俺がお気に入りのサイトが全ての人にとって素晴らしいという保証はない。むしろ、その人のブックマークやリンクリストは個性に溢れていると思う。評価も当然違うし、そうあるべきだ。
 ただ、これは本や雑誌、テレビ、ラジオ・・・ウェブサイト、全ての情報メディアにあてはまる問題かもしれない。「どこかのサイトのリンクリストからたどったページが面白かったのにURLを忘れて見あたらない」というのはよくある。本や雑誌は、特定の出版者や作家をに絞ってウォッチしているのが現実だろうからね。
 blogもウェブサイトや日記サイトと同じ道を歩むような気がしてきた。それは一言「玉石混交」。いい情報に出会うこともあるが極めて希。しかし、必ずそこにあると信じて読み続けない限り出会うことは出来ないということだ。

blog・タイトルに困る

den_en relax !: blogのEntryのタイトルのつけ方

 cgi型の日記マネジメントツールを使い始めたときに違和感を感じたのがタイトルだった。タイトルをつけるほどのことは書いていないし、書いている途中で話が別の話題になったりということがしょっちゅうだったから(今でもだが)。

 「新規」ボタンを押したときに「よし、これについて一筆啓上」とか「XXについて俺の意見を世に問おう」なんて意気込みで書いていないから。

 そこで、前のツール(coolnote)を使っているときには、漠然としたことやスペースを入れたりしていた。それが、mtになってから意識が変わった。recent とかのリストでタイトルが並ぶからいやでも目に付くようになったからだ。

 さらに、追い討ちをかけたのが、最近アンテナ代わりにしているMyblogJapanだ。ping.bloggers.jpのほうがスタートは早かったが、タイトルは表示されない。サイト名を覚えているようなところはともかく、新規参入が激増している現在、全員のサイトを見て、面白そうなところ覚えておくことは不可能だ。また、エントリーの多いサイトが同じサイトが大量にリストされてしまうのも残念。そこで、俺のようなヘナチョコに優しいMyBlogJapanを愛用しているのだ。

 そう、やっと本題だが、自分が読む側に立ってリストを眺めるときに、多量のリストからどこを読むかを決めるのはタイトルだ。タイトルがあるおかげで大きくタイムロスが防げる。

 そこで、自分のタイトルにも気を使わざるを得なくなった。思いつきだけで書いているサイトなので、エントリーごとに関連がない。だから、読む人が、「携帯電話について書いてるな」とか、「生活苦についてぼやいてるからパス、パス」とわかるようなタイトルをつけるよう心がけている。くどくなりがちなのはそのせいだ。

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 ぺ天使のツブ焼き

blogを公開するという事はコンテンツの発信人になると言う事だ。あなたはライターでありコピーライターであり、編集者であるのだ。せっかく書いた物なのだから、もっと見られる事、見せる事を考えよう。

 これくらいの気持ちを持って決めたらもっといいのが思いつくかな。センスの問題もあるし。本文とのバランスもあるしね。俺の場合(^^;