スローライフ幻想:中央と周辺と

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スローライフとは一体どんな生活をさすのでしょうか。実際のところ、私自身もよくわかっていません。しかし、30代になり自分自身のこれからの暮らし方、もっと言えば老いについて考え始めてもいいのかなあ……なんて思うのです。ちょっと古い話しになりますが今年のゴールデンウィークにニュース23でGo Slow!スローで行こうという特集がありました。この殺伐とした社会で人々は癒しとかスローライフとか叫んで、自分の居場所を探しているのではないでしょうか。そもそも自分で意識的にゆったりと暮らそうとしなければならないなんていうのも、変な話しなのでしょうけどね。

俺もこの特集は一部だけ観た。そのときは、都会に住んでいた人が田舎にこもって半自給生活を送っている様子が映っていた。しかし、感じたのは違和感だけだった。それを、上のエントリで思い出した。

 右の写真は、新聞に入ってきたチラシ。一昔前なら「ナチュラル」とか「エコロジー」といった言葉で飾られていた商品群だ。これが、スローライフの正体じゃないのかと思う。それは、都会にいて味わう、一時的な流行もののようにしか見えない。「エコロジー」や「癒し」に飽きてきたので、スローライフと言い換えてみただけ。テレビ局の会議室で、思いつきで耳当たりのいい(って表現はあったかな)言葉を思いついて、流行語大賞狙いでヘビーローテーションしてみただけじゃないのかね。


 こういうときに、俺の思い描くマスコミ業界人の基本的態を上手に表現したエントリがあった。

blog::TIAO: 「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると

トウキョウって処には不思議な磁場があって、そこで暮らしていると恰もトウキョウには全てのものが揃っており、そこで暮らしている自分までが素晴らしい人間のように錯覚する。

トウキョウ以外の地方の役割は、トウキョウの暮らしで疲れた方々を癒すためにあるべきだ、というのに及んでは、せっかく高い教育費を費やして何も学ばなかったということを自白しているようなものだ。こういった連中が中央官庁やシンクタンク、企業の戦略部門で働いている限りは、日本が再生することはないだろう。

トウキョウのヒヨッコたちはたまの休暇に地方へ出かけ、温泉や自然の景観に癒されるのを豊かな生活だと勘違いしているようだが、かれらにはそこで人が暮らしていることには想像が及ばない。

 もちろん、ステレオタイプに分析したものだ。それは、「トウキョウが駄目だからって、地方が素晴らしいとは持ち上げるほど自惚れてもいない。地方には地方の嫌なところ、後れたところ、駄目なところもたくさんある。」からも分かる。この点でも同意見だ。

 都会人の田舎に対する優越感は枕草子でも語られる古典的な勘違いに過ぎない。1000年も経たというのに、人間の感覚は変わらないようだ。

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