男モデル?

 会社の女性社員が「ガタが来たし、そろそろカメラ付き携帯にしよかな」と言っていたので、(彼女はdocomoだし)SO505iの青を押したが、キッパリと「形がなあ~いまいち」と却下された。

 話の流れで、auに乗り換えてもいいということだったので、何の迷いもなくA5305Kを勧めた。当然赤モデルね。こちらも、デザインで却下された・・・・

 う~ん、そうなんだあ・・・・と、思った。

 やっぱり、偏ってるんだなあ。俺。日本のメーカーもちゃんとボリュームユーザーを押さえているんだ・・・まあ、サイレントマジョリティこそが美味しい刈り取り場なんだからね。初ガツオやボージョレー・ヌーボーなんて年間の市場から比べるとごくわずかでしかないのだ。

 そんな当り前のことを再認識したよ。

 笑ってる場合じゃない。こんなページをよんでいる貴女・貴方・貴殿・・・同じ穴のむじなだ。ここに俺が書いて、「うんうん」とうなずくことがあったとしても、世間では「うんうん」とは感じないのだ(^^;…

treo600

 以前から話題になっていたTreo600が発表されたらしい。キーが小さすぎること以外は魅力的だ。A5305やSO505のようにして普段はキーを露出させないようにすればもうちょっと液晶を大きくすることができるのになあ。

 でも、カメラの性能が100万画素レベルだったら、俺にとって2003年6月時点で一番魅力的な端末だ。もちろん、日本での使用が可能ならばという条件付きでだが。とはいうものの、俺のprismが使えなくなったときの話だからね。

 逆に、類似製品が日本のキャリアでも採用されている可能性があるかもしれない(^^;

 それともう一つ。160X160の解像度では日本市場は無理。

性格診断を試してみると

性格診断
表:COOL
このタイプの特徴は・・・
●基本的に『なんかえらそう』です。
●最後に頼れるのは自分という主義。
●きっちりモノを考えるのが好きです。
●どっかでヒトはヒト、
 自分は自分と割り切っているタイプ

裏:セルフ、ジェネラル、リアリスト
らしい。

マジックカット

 息子はマジックカットが大好き。「もう、こういうもん全部がマジックカットになったらええのに」とつぶやいていた。で、先日カップめんを食べているときに俺が選んだもののソースがマジックカットだったのでそういうと、「僕に切らして」。

 意外なところにファンがいたんだなあ。息子がこんなところにこだわっていたということにもびっくりしたし、面白かった。

KNOPPIX  感性について考える

 会社の後輩が「中古でパソコンを入手したがADSLにつながらない」と言っていた。LANカード(というかマザーボード上のLANチップ)を認識できていないようだった。そこで、ハードの検証用にとKNOPPIX のCDを貸した。LINUXは起動したようだが、LANが生きているのかどうかも確認できないようだった。pingも知らないのでは説明のしようもなく諦めた。自分で調べようという意欲がないので、積極的に教えようという気にもならない。

 そして、俺があれだけびっくりして感激したKNOPPIXが彼にはゲームソフトが起動する程度にしか感じられなかったようだったことには失望した。俗に言う一流国立大学を出てはいるが、教えられたことを上手にやるだけしかできないようだ・・・

 何事によらず、楽しいと感じるためには事前の知識が必要だ。俺が理解できない碁だって、人によれば「これは・・・厳しい手ですねえ~」という一手だったりする。

 ただ、その一手やディスクを見たときに、理解しようとする気持ちがあるかどうか、それに共感できるかどうかは、知識だけではない。
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 KNOPPIXのつづりが間違っていたので訂正。赤マークはこれか?ついでにKNOPPIXにリンクを追加。M$のソフトを使わなくてもいいんだぜ。

IE6 for Macが開発中止 – IE5.x for Macのサポートは継続へ

 とうとうというか、いまさらというか、M$がmac用のブラウザから手を引いた。俺が使っているMacOS9.2用のバージョンはとっくにバージョンアップが止まっていたので関係ないけどな。

 「IE6 for Macが開発中止 – IE5.x for Macのサポートは継続へ 」相変わらずのM$のやり方だ。Appleがmac用のブラウザを開発したので「おいたした子にはおしおきを」ということらしい。そのうちOfficeも同じ運命だろう。

 不便なのはIEでしか見れないサイトが増えてしまっていることだ。このサイトは、Mozillaとconquerorでは大丈夫だったが、NC7 for mac PPCでは変な表示になってしまう。かといって、NC7に優しいhtmlを書くようにcgiを改造する能力はないし・・・

 とにかく、無料でばら撒いてライバルを蹴散らして依存状態を作り出しておいてから手を引いて、ユーザーを都合よく誘導するビジネスモデルは覚せい剤の売人と一緒だ。トロイの木馬のビジネスモデル(というのか?)とも似ている。

あと10・・・

 先日のTOEICの結果が返ってきた。715だった。当面の目標の675はクリアしたが、その上のハードルの725と730は無理だった。725あればさらに2万、730あればさらに1万追加だったが・・・しかも、725の2万は今回の試験で無効になってしまった(;_;)

 ちなみに、今回はリスニング385、リーディング330だった。リスニングはあんまり変わってないが、リーディングが前回より50点増えた。リーディングは実力以上だが、リスニングはもうちょっといけたかもしれないので、残念だった。途中で2回ほど集中力が切れたからなあ・・・

 こんな点は二度取れないかもしれないから余計に悔しい。730のタイトルホルダーになりたかったなあ。TOEICのランクでは470~730までは同じカテゴリーだ。470なんて俺以上に使い物にならないのに・・・というより、ほとんど聞き取れていないのに・・・

キーボード

 Inspiron 8500をいいとは思わないが、このキーボードには好感を持つ。液晶にあわせて横に並べるキーを増やしたり無駄にピッチを広げたりせずにしているところ。

 こんな当り前のことが分からない東芝。東芝のノートPCといえば、良質なノートPCの代名詞だった時代があったのに・・・

 しつこいけど、一番右の一列はいらない。あるいは、電源ボタンのところに並べればいい。他のモデルではそうしているはずだ。只でさえホームとenterまでが一列多いJIS配列なのに、さらに右に配置しているためにモニタの中心に座って作業することができない。

QUALIA

 SONYの新しいブランド。QUALIA。かっこいいし、お金持ちにはどんどん買ってもらったらいい。かっこいいしね。

 どうでもいいけど、ここに書かれていることには違和感。「QUALIA」を「脳の中にある『感じる力』」と定義している。そして、「経済価値の追求から感動価値の追求へ」とシフトするらしい。しかし、テレビやプロジェクタやCD、デジカメ。全部、再生機器じゃない。デジカメはそうでもないかもしれないが、テレビやプロジェクターなんて感動価値を作り出すもんじゃないだろう。NHKが盛んに宣伝しているハイビジョンテレビに感じる胡散臭さと一緒。

 自転車で少し離れた公園へ行ってへとへとになっているときに、小さなラジカセでお気に入りの音楽を聴くより、空調の効いた外界から遮断された空間でビデオやCDを楽しむことが「感動」なのか。

 もちろん、再生を否定しない。オリジナルにこだわることのほうが無意味だと思う。しかし、それが全てということではない。どんなに高品質にしようが再生は再生だ。

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 PCは今のところラインナップに入れる予定はないらし。難しいのは良く分かる。ステータスとなりうるスペックのものを作ってもあっという間にエントリーモデル並だから。でも、デジタル家電を出しておいてパソコンは既存のVAIOは手抜きっぽいだろう。

 ここで、SONYの社外マーケティング担当として、仕様を考えたい。皆さん(というほどたくさんの人はここを読んじゃいないだろうけどね)も、どんどん書き込むなり、皆さんのサイトで策定するなりして楽しもう。

 しかし、機能的にはAppleが提唱したデジタルハブしかないねえ。機能や規格は差別化できる性格のものではないからなあ。

 まあ、他の家電も似たようなものだから、見た目の奇抜さと金のかかったパッケージング、特別サービスくらいしかない。サービスでは、5年間のアップグレードサービスを50万くらいで行う。1年に一回最新CPUと新バージョンのOSへのアップグレード。さらに、マザーボードやHDもその時々に追加料金で交換可能というのはどうだ。

 金をかけてもいいのなら、パッケージングは比較的楽だろう。冷却は当然水冷でしょう。熱交換部を外に出して熱帯魚のヒーターにするというのはどうだ。というより、熱帯魚の水槽と一体化したパッケージ。熱帯魚の水温・給餌・水質管理もさせるのだ。もちろん、カメラで熱帯魚の映像をストリーミング放映するのだ。

 となれば、ケースは水槽に密着していても違和感のない大理石。というより、水槽のベース部部分に埋め込んでしまうのもいいね。

 PCのコントロールは全て音声認識とジェスチャーでやるようにする。

 キーボードはいらない。物を考えたり、調べたりといった能動的な行動をするためのツールをこのシリーズは目指していない。安楽で外界から閉ざされた地下室のようなところで、ぬくぬくと再生空間を楽しむのが「感動価値」だ。山に登る苦しみを知らずに、頂上の景色を楽しむのだ。人付き合いのしんどいところをすっ飛ばして、気持ちい所や楽しい上澄みだけを疑似体験するのだ。それがこのSONYの新しいコンセプトなのだ。(ほんとか?)

 たとえるなら、今のテレビバラエティみたいなものだ。アメリカで流行った形式をそのまま流したり、海外で作られた番組を垂れ流して芸能人がコメントをつけるだけとか、全くおんなじ形式の歌番組とか過去のテレビのダイジェスト再放送とか・・・・オリジナルで作る労力の数十分の一でできる。そんな番組を引きこもって楽しむのがQUALIAだ。