KNOPPIX  感性について考える

 会社の後輩が「中古でパソコンを入手したがADSLにつながらない」と言っていた。LANカード(というかマザーボード上のLANチップ)を認識できていないようだった。そこで、ハードの検証用にとKNOPPIX のCDを貸した。LINUXは起動したようだが、LANが生きているのかどうかも確認できないようだった。pingも知らないのでは説明のしようもなく諦めた。自分で調べようという意欲がないので、積極的に教えようという気にもならない。

 そして、俺があれだけびっくりして感激したKNOPPIXが彼にはゲームソフトが起動する程度にしか感じられなかったようだったことには失望した。俗に言う一流国立大学を出てはいるが、教えられたことを上手にやるだけしかできないようだ・・・

 何事によらず、楽しいと感じるためには事前の知識が必要だ。俺が理解できない碁だって、人によれば「これは・・・厳しい手ですねえ~」という一手だったりする。

 ただ、その一手やディスクを見たときに、理解しようとする気持ちがあるかどうか、それに共感できるかどうかは、知識だけではない。
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 KNOPPIXのつづりが間違っていたので訂正。赤マークはこれか?ついでにKNOPPIXにリンクを追加。M$のソフトを使わなくてもいいんだぜ。

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