沖縄の食べ物

沖縄の食べ物

 今回食べた沖縄料理は、ソーキそば、沖縄そば、タコライス、タコス(は沖縄料理とは言えないか)といったところだ。

 瓜関係が苦手な家族なので、ゴーヤ物は最後まで食べなかった。全然知らなくて、旅行中に兄に教えられた海ブドウとミミガーは土産パックを買ってきて気が向いたら食べるつもり。ミミガー状のものは、南国食堂のバイキングで食べた気もするが、食べ物にこだわった旅はしないので、追及はしていない。

 食ってみて、不味くてもOK、美味けりゃさらにOKというのが俺のスタンスだ。地元の人が食べている物があれば、それを食べればいいし、地元の人がマクドナルドに行っているところではマクドに行けばいい。海外旅行に梅干しを持っていくようなことはすべきではないと思う。かといって、地元の人ですらめったに食べない伝統料理を求めて走り回るのも違うと、俺は思う。

 とはいうものの、地元の有名店を探したり並んだリが大嫌いなので、俺が一人で旅をしたら地元のものを食べるということは少ない。実際、バイクで旅行していた頃の主食はカロリーメイトだったりした。今回は、家族がいるのでいろいろとチャレンジする気になったのだ。まあ、暇だし・・・子供は、「もう、沖縄の中高校生が行くとこ行こうや。マクドがあそこにあったよ。なんなら、ファミマの納豆巻きでもええで」という調子だった(^^;…

 沖縄ソバとソーキソバとの違いは、上に乗っているのが焼豚(関西のものとはちょっと違うが)かソーキと呼ばれる豚の角煮状のものが出るかの違いのようだ。麺もスープもラーメンとは別だし、うどん・そばとも全然違う。きしめんを細くしてラーメンの麺のようにこしを強くした黄色っぽい麺に豚骨風だけど濁っていないさっぱり目のスープだった。とにかく、豚肉のボリュームが半端ではないので、普通サイズで十分。ソーキは骨がついていることが多い(ひょっとして全て骨付きかも)ので、姉さんはご注意。

 食べやすくて美味しかったのが、タコライスだった。店によって、微妙に味が違うのもまた楽しい。素材をそのまま食べているような物なので、不味い心配が少ないのもいい。右は、ビオスの丘の食堂で食べたタコライス。

コンビニやみやげ物屋に右のようなレトルトパックが売ってあるので、買って帰った。これで、タコライスを作ってみた。用意するのは、ご飯、レタス、トマト、チーズ。レタスを切るのに時間がかかるが、調理は盛り付けるだけなので失敗はない。けっこうおいしく出来た。よく考えると、タコスを作るためのスパイスはこっち(関西)のスーパーでも入手可能なので、ひき肉を炒める手間を追加すれば、このタコライスの素がなくてもタコライスを自宅で作ることは出来る。お試しあれ。

交通事故に遭った

 事故現場を通りかかることはしょっちゅうあるが、自分でやるのは久しぶり。しかも、自転車で車と対峙したのは小学校以来。

 こちらは横断歩道を自転車で走っていて、左後方から右折しようとして来た車に引っかけられた。片側2車線右折車線・中央分離帯有りの大きな交差点で、対向車の切れ目に気を取られて俺の発見が遅れたのだろう。車に体がコンタクトしなかったのが幸いした。

 転倒し、路面で少し頭を打ったので、救急車と警察を相手に呼ばせた。意識も有り、他の部分は大丈夫だったが、内出血でもしてたらしゃれにならないから・・・

 やれやれ、これから事故処理ネタが続くかも・・・・うっつっつ

沖縄の建物

 建築に関してアカデミックな興味や知識があるわけではなく、自分で見て面白いものを収めている。好きなのは、作った人間の情熱が感じられるもの。

 他にもいろいろ面白い建物があったが、残念ながら収められなかった。

 沖縄の民家というと、漆喰で固めた赤い瓦屋根という先入観があるが、実際にはこういうコンクリート・陸屋根が多い。新しく建つ家の大半がこちらのようだ。写真はウッパマビーチの公衆トイレだが、「何で?」と思うほど強固だ。台風に耐えるためには、関西の海岸にあるような掘っ立て小屋ではダメなのだろう。このトイレは、風速80mにも震度7の烈震にも耐えられるに違いない。

国際通りにあるローソン。隣の土産物屋といいたまらない。この建物の2階は空き家か。そとに鉄骨をむき出しにし、補強ワイヤーのようなものを張り巡らすとは過激なデザインだ。

 この建物の過激さがよくわかる遠景。

 贅沢なスペースのとり方をした映画館。ニューシネマパラダイスにでも出てきそうな雰囲気だ。しかし、マルチスクリーンの郊外型シネコンに取って代わられる運命だろう。

 何のためのデザインかさっぱり分からない。デザインのためだけのデザイン。60年代の車のエルドラドフィンを思い出す。とにかくそうしたかったんだろうと思う。

 国際通から50mほど入ったところの肉屋

 肉屋の近景。カウンター周りの処理がが面白い。

 国際通に面した薬屋。どこでも、上りや人形でにぎやかな薬屋だが、提灯まで入れているところがここの店主の独創。沖縄風という意味ではないが、漆喰・瓦屋根にシーサーが沖縄を現している。

 後塗りしたに違いない鮮やかなブルー。角を落とした多角形の民家は沖縄風か。関西地方では、こういう贅沢なスペースの使い方をしている物件はほとんどない。

 向かって右は空手道場らしい。車庫か道場の入り口か分からないところにも小さな屋根が乗っているところにこだわりが感じられて楽しい。

沖縄のファッション

 ファッションについて語るものを持っているわけではない。街を歩いているときに、他の人の服を見て感じたことを書き留めるだけ。見ず知らずの女性の写真を勝手に撮ったり、webに載せたりするのは憚られるので、残念ながらこのエントリに写真はない・・・

 若者向けの服は大阪も沖縄も時差はない。沖縄の男子高校生の間では、バスケットのタンクトップが流行っていそうだったのが大阪と違うところ。このへんは、沖縄の地の利かもしれない。北谷町など、地元の高校生達がたむろしている店にはバスケットやボーダー風の服を扱う店が充実しているように見えた。

 女性は全く一緒。歩いたところが観光地ばかりなので、OLさんたちがどんな傾向なのかはさっぱりわからないが、学生風のジーンズ・チビTは一緒だった。沖縄の娘さんのほうが大阪駅にいる人よりスタイルが良く日焼けしていてよく映っている気はしたが、確かめたわけではないので、ひょっとして旅行者かもしれない。右は沖縄市のティーンズ向け洋服屋さん(多分)。建物と看板、商品がマッチしていていい感じだ。

 沖縄市の商店街は夜のお勤めの女性向けの洋服店(娘いわく「トキメモ風」)が大変充実していた。というより、そんな店ばかりだった。

 土地柄、放出品のフィールドジャケットや迷彩服などが非常な安価で売られているが、そんなものを着ている人は見なかった。

修学旅行・千羽鶴

 息子が小学校の修学旅行に昨日から行って、今日帰ってくる。場所は広島。

 先日、娘がクラブの先輩の入院見舞に千羽鶴を贈るためにノルマを持ち帰っていた。俺は折り方を知らないので、娘に教えてもらって手伝った。息子も一緒になって折っていて、ちゃんと知っていたので驚いた。修学旅行で原爆ドームにもって行くのを学校で折ったらしい。1時間ほどで80くらい折った。大半が俺と息子のコラボ作品(娘は途中で風呂に入った)だった。内職をしながら雑談も相手によってはけっこう楽しいものだ。指先を使うのは脳に刺激をもたらすのかもしれない。

 修学旅行というと、俺の子供の頃は大きなイベントだったような記憶がある。今回の息子の修学旅行は遠足の延長という程度の感じしかしない。俺だけでなく、本人がそんな感じだ。用意といっても、先日バッグを買っただけ。服も普段着のまま・・・

 俺の中では、5年生のときの自然学校の方がイベントとして大掛かりな気持ちがある。西宮の私立小学校では、5年のときに自然学校と称して、田舎に4泊5日で合宿する。日数も多く、イベントもあるので、準備するものが多い。行っている期間も長いので、毎晩「ああ、今日も静かだねえ」と感慨が深い。その点で、小学校の修学旅行は軽い印象なのだろう。

 なにせ、俺の行っていた小学校では、泊まりがけでのイベントは修学旅行だけだったし、2泊3日と、息子に比べると長かった。親とはなれて2泊3日なんて、この時が初めてだった。親も緊張したのだろう。準備には時間をかけた物だった。

沖縄のFM放送

 レンタカーで走り回ることが多かったので、途中はラジオのお世話になた。CDプレーヤーがついていると思っていなかったのでCDを持ってきていなかったのだ。

 そんなときに、ドライブの供になってくれるのはラジオだ。AMでFENがクリアに入ってくるが、3世代同乗の車内でFENを長時間聞くのは難しい。俺自身も半分程度しか分からないので、トーク中心の番組ではしんどいしね。そこで、民放のFM(多分FM沖縄)を聴きながら走ることが多かった。

 普段、関西地方ではFM大阪、FM802、KISSFMを聴いている。ほとんどが音楽番組といっていいだろう。関西では音楽はFM、トークはAMという住み分けがハッキリできている。

 ところが、沖縄はちがった。AM放送ばりのトーク中心の番組がほとんどで、そこでかかる曲も中途半端に古いものが多くて、ラジオ好きの娘も当惑していた。「同じかけるなら新曲をかけたれよ」と突っ込んでいた。古いといっても、80年代アメリカンロック特集とか70年代ブリティッシュ特集とかテクノポップとかアンプラグド集とかいう訳でもない。俺の知らない日本のポップス歌手の歌だ。

 沖縄というと、偏見かもしれないが、いや間違いなく偏見で、音楽が溢れているようなイメージがある。FENのDJ風のFM音楽番組がいっぱいあって、アメリカと時差のないロックが溢れているような貧困なイメージが・・・・俺だけか?さすがに、町中に沖縄民謡が溢れれていて、誰もが鼻歌に沖縄民謡を口ずさんでいるとは思ってはいなかったけど、トーク中心のFMにはびっくしりした。沖縄の若者はFENで音楽情報を仕入れるのか。

 走り回ったのが昼で、遅くとも10時頃に終わっていたから、若者向けの深夜枠がどんな放送をしているのかは確かめていないので、時間帯で住み分けているのかもしれない。

バカの壁(NHK)

 先日録画した養老 猛司のドキュメントを観た。当然、新書としては珍しくポピュラーヒットしている「バカの壁」をモチーフにしたものらしい。よく分からないのは、俺がバカの壁を読んでいないから。

 バカの壁とは自分で自分の限界を決めて諦めてしまうことの愚かさのことか・・・

 死についての考察は、俺が考えているものと似ているところもあり、似ていないところもあり面白かった。似ているのは「死は身近にある」「死を隠すことは誤り」といったところか。自動車事故の死亡者数批判も同意。

 死は根源的な恐怖なのだろう。そして、全ての生物は死に向かって日々カウントダウンしている。この恐怖を思い知らされることは不快だ。そして、その刺激を忘れる、あるいは弱めるための無意識の情動がある。その刺激は激烈で心理に大きな隙を生む。マスコミはこれを利用して、自分に都合のいい反応を消費者に起こさせようと利用する。ある時は死を隠蔽し、ある時は死を象徴として利用する。

 それらに搾取されるのに慣れ、感性が麻痺してしまったのが現代の日本人(他の国に行ったことがないので判断不能)なのではないか。その結果、前にも書いたが(前のサイトでは検索機能がなかったので、自分でも探せない。ひょっとしたら別のサイトかもしれないし・・・)、人の死をゲームキャラの死と同等視してしまう人間が出来てしまう。

 災害報道で違和感を持つのは、災害の程度を死者の数で表現しようとすることだ。「この地震では、死者は2人・・・」「イスラエル軍の空爆では2人の死亡が確認されました」・・・これは、「ロシアによる大韓航空機撃墜で500人の尊い命が失われました」「WTCでは4000人・・・」「神戸の地震では5000人・・・」「原爆では5万人・・・」と同じだ。同時に死んだ人の数が少ないからといって、家族の悲しみが小さいわけじゃない。通り魔に家族を殺された人にとって、その通り魔が別に10人殺していようが、初犯だろうが、悲しみも憎しみも変わらないだろう。それを端的に現すのが、交番の「今日の交通事故死者数」なんだろう。だから、養老猛司は批判したのだろう。(俺の読み違えかもしれんが・・・)

 死体に人称があるというのは面白い。脳死状態の家族が反対する場合の気持ちに少し共感できるようになったかも。

 ただ、講義の感想を聞かれた学生が「言葉の定義がないと話を進められない」といったことに対しての「会話というのはそういうものではない。会話の中で自分の語の定義を行い、必要があれば変更していくものだ。出発点から定義はない」といったことには、賛同できなかった。少人数のゼミならそれはいい。しかし、大教室に数百人の学生を集めた人気教授の講演的授業で、教授が学生からフィードバックを得ることは難しいし、一方的に話すときに、話者が言葉の定義を曖昧にして喋ったら、講義にならないだろう。

 先ず、説明する語の共通認識を確立した上でスタートし、必要があれば修正ればいい。それが壁を超える方法だろう。彼女は語の定義にこだわって、語の定義を超える議論をしないというのではなかったはずだ。

 科学が、色々な限界を超えてきた過程で、様々な壁を乗り越えた。そして、その壁を乗り越えるためには壁を壁として認識する必要があったはずだ。光学機器やコンピュータが発達する前の天文学・物理学は手の届く範囲の事実を集め議論するしかなかった。「そこにあるのに目に見えない(by rankin taxi)」状態だ。そして、それを彼らは謙虚に認め、「予想」した。

 後年の技術の進歩により事実と証明されたものもあり、全くの外れであることが証明されたものもある。しかし、そこに壁があることを認識しないと先に進めなかっただろう。

 死について考えるときいつでも思い出すのがランキンタクシーの「もしも俺がこの世で一番偉ければ、存在理由は唯一つ、生きてるみんなの幸せそれだけだ」というフレーズだ。人は簡単に死ぬ。そして、やり直しはない。生まれ変わりもしない。方法は国や宗教によって異なるか知らないが、分解されてしまう。そして、別の何かに再構成されるのだ。そんな、遺伝子リレーの中継にしか過ぎないのがすべての生物だ。だからこそ、生きてる今を大切にしなければならないと思う。死んだ人間のために生きている人間が生を軽んずるようなことがあってはいけないと考える。だから、「ご先祖を祭らなければ罰が当たる」というようなのはインチキ宗教だと思う。

インターネット2

 村井純のインターネットの続編。1999年頃に書かれていて、すでに古くなった記述があるが、社会的な影響や教育については未だに色あせていない。 ということは、回線やハードウェア、ネットのサービスはすごいスピードで変化しているのに、社会や教育は全然速度に追いついていないということだ。

 特に、教育については子供がいる関係で、実情を知っているだけに、萎える。娘の行っている高校、娘が通っていた中学校、息子の行っている小学校はすべてテストケースとして、比較的早いうちからパソコン教育に取り組んでいた。特に中学校では、地域で最初に光ファイバー接続された。しかし、ほとんど使っていなかった。

 娘が高校で受けている授業を聞いてびっくりする。電源を入れて・・・ソフトを起動して・・・・とそれぞれのステップに数分かかるらしい。そして、やっている内容も、例によってワードで文書を作るとかというレベルらしい。インターネットも、ブラウザで先生の指定するURLを入れてリンクをクリックするだけ。

 娘は自分でサイトを作り、他のサイト運営者とも掲示板等でやり取りをしている。友達にもそんな人間はいるようだし、ほとんどの家庭でネット接続したPCはあるようだ。

 なのに、学校で習うのがこんなレベルでどうするの?それ以前に、学校でネットの授業で教えるべきは、OSやソフト固有の使い方ではない。特定のOSやソフトのローカルな使い方なんか覚えたって、学生が社会に出る頃には。なくなっているかも知れない。そんなことより、ネットのしくみやそれに伴う「望まれる行動」を叩き込んで欲しい。インターネットのイメージだけでも伝えておけば、そこで行われていることがかなり理解しやすいと思うんだが・・・

 これと同じように、マスコミでMSのウィルス騒ぎのときにwindowsUpdateの仕方を教えたりするのもおかしい。マスコミが伝えなければならないのはもっと本質的な問題点だ。「危険なのはMSのwindws**を使っているパソコンで、該当するユーザーはMS社に問い合わせろ」で十分だ。車のリコールと同じように、該当するソフト名とバージョンを告知し、サポートは不良品を売った会社がやるべきなのだ。マスコミ、特にNHKがMSのサポートをするのは間違いだ。

PHSという選択枝

 どこかのサイトを観ていて、H”には500円/月でメール送り放題というサービスがあることを知った。これで、100万画素の写真を送信できるならいいけど、対応端末は11万画素・・・100万画素端末が出たらこんなサービスできなくなるのかもしれない。

 それ以前に、俺の場合はサービスエリアが不安だ。自宅と通勤経路の大半は大丈夫らしいが、親の家の近辺が怪しい。俺がケータイを電話として使うのは、主に外出先ではぐれた家族と待ち合わせるためだ。その時に電波が不安定なんではしょうがないからな。

 PDAもケータイ(PHS)も絶対に複数持ち歩きたくない性格だから。

したたるものにつけられて

 小林恭二自選恐怖小説集。

 実は、古本屋で小林泰三と間違えて買ってしまったのだった。しかし、楽しめた。初めの方は、モチーフは面白いし、記述も上手いが俺の好みではなかった。中盤から時代物が入っていて、拾い物をしたと感じた。

 一つ気になった作品があった。それは、日本時間の夜9時か10時頃と思われる時間に何等かの天体が地球に衝突して規模から考えて全人類が滅亡してしまうと登場人物が思い込んでいる(そしてそれは全人類のコンセンサスとして受け入れられているらしい)日の午後に何人かの主人公がとる行動を独立的に描いている。

 それだけの規模の天体を1週間前まで発見できないなんて考えにくいのと、発見してから衝突までの時間が長ければ別の展開があるんじゃないかということは別の話として、気になる描写がいくつかあった。

 絶望した人々が暴徒と化したり、無秩序化した東京が修羅場と化したり、無法化したデパートで女性がブランド品に群がっていることなど、貧困な発想だと思う。