いつも読んでいるhanaさんのサイトにあったCLIEの新型についてのコメントを読んで感じたこと、色々。
まず、原点回帰のCLIEさんというエントリで、
こういう機種を発表してしまうと国内では、CLIEらしくないとか、また激しいいちゃもんを付けられてしまうんでしょうが・・・・
と、書いた次の日の
話題騒然、ニューCLIE?というエントリで、
昨日から話題騒然(?)のニューCLIEですが、正直、食指が動きませんね。最初に思い出したのはVisorEdgeですが、それほどまで薄くもなさそうですし、デザインも良くも悪しくも和風だし。
と書かれている。う~ん、どっちなんだ?
「好き勝手に書く」と宣言されているページの揚げ足取りをするのはやめて、「こういう考え方もあるんだなあ」と思ったフレーズについて考える。
れにしては、ヘッドホンジャックも無いというのは厳しいですね。自分でカスタマイズするのがPalmとしたら、この機種はどんなにアプリケーションを追加しても、使い方の広がりを感じられないような気がします。
この「広がり」というものに引っかかった。PDAに求める「広がり」の根幹は、自由にアプリケーションを追加するということだと思う。それこそが、携帯電話や昔の電子手帳とpalm以降のPDAとの違いだと思う。ハード的機能をいろいろ搭載することだけが「広がり」ではないと思う。
多分、「広がり」に期待するものが違うのだろう。hanaさんは、マシンの機能が増えることによる用途の拡大を「広がり」と感じているのではないか。俺は、ハード的な拡張が出来なくても、ホットシンク一発でソフトをインストールし用途が広がる環境こそがpalmの「広がり」だと思っている。もちろん、ハード的な拡張も出来るに越したことはないが、それだけが「広がり」じゃないと思う。
俺がザウルスを使っているときに、palmを見て一番うらやましかったのがこれだから。当時のシャープは個人開発者のことなど眼中になく、ハード的にはソフトを追加することは可能だったにも関わらず、広がらなかった。何より、感激したのは、「置き換えアプリ」だった。ハードウェアに割り当てられた、メーカー製のソフトをユーザーの設定にゆだねるという発想はザウルスには一切なかったからだ。
確かに、ハードのサポートは強烈なインパクトがある。しかし、何年か前までは誰も欲しいとは思っていなかったものを、必要と思わされているのではないかとも思う。この疑問は自分にもはっきりあてはまるんだが・・・