ブログへのコメントが少ない理由

Twitter / @JunichiIto77: ブログやWeb記事の本体には誰もコメントを書かないの …
ブログやWeb記事の本体には誰もコメントを書かないのに、はてブやTwitterではみんな好き勝手に書く。コメント欄ってコメント書く人にとっては「アウェー」なんだよね。言いたいことはあってもアウェーでコメントを書く勇気はないから、中立地帯のはてブや「ホーム」のツイッターに書き込む。

 自分の心を見透かされたような気がした。確かに、他人のブログにコメントを書くのはハードルが高い。

 さらにハードルを高くする要素がある。それは、誰かのブログにコメントを付けても、埋もれてしまって自分でもどこに書いたかすら分からなくなってしまうというものだ。そのために、ブログにはトラックバックという仕組みがあるが、スパマーに使われたことやネットリテラシーの低い人々の流入の結果廃れてしまった。

 また、普段Twitterやはてブなど、自分をフォローしてくれている人がいる(フォローしてくれている人がツイートを読んでいるかどうか、「価値がある」と思っていてくれれるかどうかは別問題だが)ところに書いたら読んでもらえる(気がする)というのも大きい。他人のブログのコメント欄なんて、ブログ主の目に止まるかどうか分からないし、ブログ主の気分を害するかもしれないし、ブログ主の気分を害して削除されるかもしれない。だったら、Twitterに書いたほうが気が楽。

 そう、そうなんだ。だから、このブログにコメントがつかないのだ。うん。コメントは知らない所でツイートされているに違いない。グスン・・・

残念でした。ここには「読む価値のある」ことは書かれていません。

 さすがにMITだ(後の2校はわからないけど)。読む価値のあるツイートが36%もあるなんて自分のTLでは考えられない。そもそも、自分の垂れ流すツイートのうち「ほかの人に読む価値がある」と思われているものなど10%もないだろう。というより、フォロワーの方からは「読む価値があるツイートなんて一つもなかった(プゲラ)」と思われているだろう。ちなみに、このブログだってすでに200本以上のエントリを書き散らしているが、大半のアクセスは検索エンジンからで、検索できた人はほぼ全員が「ちっ、このサイト使えねえ」と一瞬でBackSpaceだろう。

 それはともかく、MIT の36%という数字は非常に高いと思う。雑誌や新聞はそれ自体がTLとも考えられるが、読むのは10%以下だろう(見出しを見て読む価値があると思って読んだと仮定して)。

 せっかくなので、参考にしてツイートをしてみよう。これで、ブログのアクセス数は100/日オーバーまちがいなしだなwww

あなたのツイートを輝かせる9つの黄金ルール – ロケットニュース24(β)

先日、マサチューセッツ工科大学などアメリカの三つの大学が合同で1500名のTwitterユーザーを対象に調査を実施したところ、読む価値のあると思うツイートは全体の36パーセントにすぎないという結果だったそうだ。

世界中で1日におよそ2億のツイートが発信されているといわれるが、この調査結果に基づけば、実に1億3000万のツイートが「読む価値なし」とみなされているのだ。多くの時間と労力が無駄になっていると思うと、非常に切ない現実である。
しかし、読む価値なしと思われてしまうのはもちろん理由があってのこと。今回の調査で得られた情報を元に、専門家がツイートを輝かせる9つのポイントを提案しているので以下にご紹介したい。
 
その1.古いニュースはつぶやかないこと
古いニュースはニュースでない。ツイッター上に流れる情報のスピードは速く、あっという間に情報は新鮮さを失う。既に他の人によって何度か紹介されているニュースはつぶやかないようにしよう。

その2.あなたの意見や発見を加えよう
何かの話しや情報を元にツイートする時は、単にコメントするのではなく、元ネタに参加しよう。つまり、あなた自身の意見や新しい発見を加えるのだ。それができないのなら、元ネタに絡まないこと。

その3.短くまとめよう
140字という制限があるとはいえ、制限ぎりぎりまで使ってダラダラ書かないこと。短くまとめるのが大事だ。

その4.文章は簡潔にしよう
文章はシンプルに。一つのツイートにハッシュタグや@メンション、略語をぎっしり詰め込みすぎないこと。

その5.移動するたびに居場所をつぶやかない
自分が今どこにいるのかを常につぶやくのはやめよう。特にツイッターユーザーの多くはフォースクエアのチェックインのツイートが好きではない。

その6.リンクだけのツイートはやめよう
ブログや写真へのリンクだけをつぶやかないこと。なぜそのリンクをクリックすべきなのか、理由を書こう。

その7.嘆かない
嫌なことがあっても、ぶつぶつ愚痴を書かないようにしよう。ネガティブな感情や愚痴は好まれない。

その8.読み手をじらそう
自分のサイトのページを見てもらいたいのであれば、じらすことが大事だ。全ての内容を書くのではなく、フォロアーがついつい中を覗いてみたくなるような書き方をすること。

その9.些細なことをつぶやかないこと(セレブ向け)
これを見ている方でセレブの方いたら、ぜひ心得ておいてほしい。日常生活の些細な出来事はもはや興味をもたれない。フォロアーはあなたのプロとしての意見・見方を知りたがっている。
 
以上があなたのツイートの価値を高める9つのルールである。どれもちょっと意識をすればできることなので、早速実践していただきたい。読みごたえのあるツイートが増え、万人のTwitterライフが充実することを願うばかりだ。

CNN.co.jp:「魔術」を理由に女性の斬首刑を執行 サウジアラビア

 死刑問題については保留。

 興味深いのはその罪状。彼女が何をしたかではなく、死刑に相当すると判断された背景が理解しがたいから。

 何らかの液体を売っていたということは買った人間がいたということだ。その人物はその液体を何のために買い何に使ったのか?買った人間は罪に問われなかったのか?

 本人はどう考えていたんだろう。「これがバレたら死刑かも」と知りながら魔法使いとして魔法の液体を作ったのだろうか。本人は、その液体に何らかの魔術的な力があると信じていたんだろうか。

 記事で「同国では言論や信教の自由を行使した人を罰する目的で、魔術の罪が用いられることがある」ということなので、魔術は口実で裁判官も死刑囚も魔術なんか端から信じていなかったという可能性もあるが・・・

引用元: CNN.co.jp:「魔術」を理由に女性の斬首刑を執行 サウジアラビア
2011.12.14 Wed posted at: 12:51 JST
(CNN) サウジアラビア内務省は、女性が魔術を行った罪に問われ、斬首刑を執行されたと発表した。これに対して国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは「深い衝撃」を受けたと述べ、同国の死刑執行中止を訴えている。

内務省の発表によると、女性は魔術を行ったとして取り調べを受けて逮捕され、法に基づき有罪判決を言い渡された。死刑は12日に北部ジャウフ州で執行されたという。

アムネスティによると、女性に対してかけられた罪の具体的な内容は不明だが、同国では言論や信教の自由を行使した人を罰する目的で、魔術の罪が用いられることがあるという。

サウジアラビアは厳格なイスラム教国で、魔術や魔法を使ったり、アラーを冒涜(ぼうとく)したとみなされれば死刑を言い渡されることがある。

英国を拠点とするサウジの新聞アルハヤトは同国の宗教警察関係者の話として、この女性の自宅を捜索したところ、魔術に関する書籍や魔法に使ったとみられる液体の入った瓶などが見つかったと伝えた。この関係者は、女性が呪文を唱えたりこの液体を売ったりして現金を受け取っていたと語ったとされる。

アムネスティによれば、サウジでは9月にも魔術を行った罪に問われたスーダン人に対して斬首刑が執行された。同国で2011年に死刑を執行された人は女性5人を含む少なくとも79人に上り、前年の27人から3倍近くに増えているという。

次のキラーコンテンツは「心」?

 前のエントリで、人の生活の節目でネットが役に立つ可能性が高いという記事を読んだ。

 それに対して、旧旧メディア最大手がキラーコンテンツをぶつけてきつつあるらしい。日本にいては全く分からないが、アメリカでは数千人単位の信者を巨大な協会に集めショー要素を取り入れ「説教」を行うらしい。その様子をライブで流すテレビ局もあるらしい。

 古くから、人の生き方に深く関わってきた教会はネットと親和性が高いことは予想できた。実際に新興宗教は早い段階からネット勧誘を行ってきたし、毒ガスをばら撒いた教団は今でもネットで信者獲得工作や集金事業を行っているようだ。

次のキラーアプリは宗教か?–盛り上がりを見せる「教会関連技術」市場 – CNET Japan

 「まるでロックコンサートに行くような感覚だ」と語るのは、映像音響処理技術者のPatrick Teagarden氏だ。Teagarden氏のように、教会を主要顧客とする映像音響処理技術者が最近増加傾向にある。「1つ確かなことは、メディアを利用することにより、人々の注目を集めやすくなるということだ。」(同氏)

 この教会関連技術市場の急成長ぶりが示されたのが、米国ネバダ州ラスベガスで4月24日から27日まで開催された電子メディアカンファレンス「National Association of Broadcasters(NAB) 2006」である。NABでは今回初めて、教会を顧客とするハイテク企業や家電メーカー向けの展示エリアが設けられた。

 

 信者を獲得するための手段を求める協会側とコンテンツに飢えているメディアがいるのだから、市場の形成は時間の問題だ。というより、マルチメディアコンテンツを使った心理操作は宗教の得意技だ。

神秘学マニア 文字を読めない信者のために絵や像を使ったり、信者を圧倒する建築物、音楽・・・世の東西を問わずに寺院で行われた心理操作は数多く、常に時代の最先端だった。それだけでなく、宗教に名を借りたエロ・グロ美術も珍しくない。さらに、宗教行事としての「祭」を定期的に開催して娯楽を提供する。そして、物珍しさや好奇心で近づいてくる人間を寺に引き込んだら、後は恐怖を植え付けて脱会できなくするのが常套手段だ。

 タチが悪いものになると、「XXをしないと地獄に落ちる」「YYをすれば天国に行ける」と、自分達に都合の良い行動を強いるようになる。それが、地下鉄サリン撒布であり、自爆テロとなるのだろう。一方でマザーテレサのような人物も宗教から生まれることも忘れられない。

 なお、ヒトラーも演説でこのようなテクニックを使ったという指摘もあり、宗教家だけに注意しているだけではダメだ。もちろん、ネットでも一方的な熱狂にうなされた集団的な書き込みは少数のリーダーによるミスリードを許すことにもなる。

 蛇足になるが、この動きについてすでに20年以上前に「神秘学マニア」で荒俣宏が分析していた。お勧め。

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人生の節目で重要な役割を果たすもの

 これには自分の感覚とよく合っていると感じる。ネットがインフラとして電話や交通網と同じくらいに生活にとって必要となってきているということを感じる。まだ全体の30%程度でしかないことは忘れてはならないが、過去2年間に大きな出来事が起こってなければ、この設問にyesとは答えられないだろうから、ネットユーザの間ではもっと比率は高いとも考えられる。

 ほかの情報交流手段(テレビ、ラジオ、新聞、電話、携帯電話)も含めて、どれが一番かといわれるとまだトップにはならないかもしれないが、俺の場合(多分これを読んでいる人)は圧倒的にネットだ。テレビやラジオにも有益なコンテンツがあるかもしれないが、必要としているときに必要な情報にめぐり合える可能性が低すぎる。電話や携帯電話は通信手段でしかないので、情報を持っている誰かが必要になるし、それを見つる手助けには全くならない。その点で、ネットなら必要なときに情報の検索ができること、通信手段の代替になることで圧倒的だ。

 実際に、ネットを使えるようになってから起こった「大きな出来事」を越えるときにネットは大きく貢献してくれた。情報を得るというより、ネットでの交流(一方的かもしれないが)で、状況を冷静に判断することができたし、おかげで大きな判断ミスを犯すことなく行動することができたと思う。

 これらは、決してテレビやラジオの有用性を否定するものではない。テレビやラジオ、新聞で行っている情報配信をネットに保管すればさらに「集合知」のレベルを上げられるということだ。

人生の節目でネットが重要な役割を果たす†米Pew調査

米Pew Internet Projectが19日にまとめたインターネット利用動向調査によると、米国人にとって、インターネットが人生の節目で重要な役割を果たすようになってきていることがわかった。

 調査は2005年2月21日から3月21日にかけて、18歳以上の米国人2,201人を対象に実施した。このうちネット利用者は1,450名。それによると、ネット利用者の45%が、過去2年間に起こった大きな出来事を乗り越えるためにインターネットが役に立ったと回答したという。

油ものは快感…摂取直後に「脳内麻薬」

 油揚げ菓子がたまらなくおいしいのはこの快感のせいだったのか。そういえば、甘いものにも同じような反応があるという研究結果があった。

 人類が今ほど食物に困らなくなってから(一部だが)、たった100年かそこらしか経っていない。生物としての人類はまだ、飢えの恐怖におびえる生物の本能を失っていないのだろう。甘いものや油物はそのまま高品質のエネルギー源だ。これを食べると快感が得られるのはエネルギー摂取への欲望を喚起するためだろう。

 また、不規則な食事習慣をしていると、同じカロリーの食事を取っていても脂肪が残りやすいというのもこの本脳のせいだろう。「不規則な食生活=>いつ食べられなくなるか分からない=>飢えへの恐怖=>もしものための貯蔵=>脂肪として溜め込む」だから。

竜頭蛇尾な記事「なぜ目覚まし時計の直前に目が覚める」

 タイトルに興味を持って開いたページ。

ピックアップ なぜ目覚まし時計の直前に目が覚める? – nikkeibp.jp – 健康

 「明朝、6時に起きないと出張先の会議に間に合わない」「明日はゴルフに行くから、5時に起きなければ」――。緊張しつつ眠りについた翌朝、なぜか目覚まし時計が鳴る5分ほど前にはっと目が覚めた経験はないだろうか。いつもと違う起床時間なのに、どうして正確に目が覚めたのか、疑問に思った人もいるだろう。

   中略

  毎朝、決まった時間に目が覚めるのは、置時計型の体内時計によるものだが、いつもとは違う時間に起きる場合は、砂時計型の体内時計が大きくかかわってくる。もともと、砂時計型の体内時計は、体内の臓器をいつもの生活リズムに合わせて準備させ、適切に活動させる働きがある。このため、起きなければならない時間の少し前に起床を“予測”して目が覚めると考えられている。(小又 理恵子=健康サイト編集)

 読者が知りたいのは、その”予測”のメカニズムだろう。ここで説明されているのは、体内時計の種類とつかさどる機能だけであって、「砂時計型の体内時計」がどうやって、「起きなければならない時間の少し前」を予測できるのかという疑問に答えていない。

 書くことがないんだったら書かなければいいのにと思う。新聞と違って物理的なスペースを埋める必要なんかないんだから。取材をしてページにしたいのなら、こんなタイトルはやめて、「体内時計には2つの種類があった」といった程度にして、「予測のメカニズムについては分かっていない」と言及する程度にとどめておくべきだろう。

割れ窓理論

 割れ窓理論の教材のような光景を目にした。

 それは、駅からの帰り道に放置された車。シルバーの大きなステーションワゴン。放置されて止められていても特に変化はなかったのに、窓ガラスが割られてから加速度的にスクラップになってしまった。タイヤを4本とも取られヘッドライトも割れれていた。フロントグラスが割れていないのは、物理的に強いからだろう。

 パトカーが巡回していたのに、見るだけでなんの手も打たない。法律的に手を打ちにくいんだろう。ただ、放置自転車もそうだが、こういうものを強制的に撤去する法的な手段を作らないと解決は難しいだろう。

 まあ、人口密集地ではないので、これが即治安悪化に繋がるとは思えないが、その道路を走っているときに感じる不安感が増えたことは間違いない。

 詳しい解説は、wikipediaの割れ窓理論をどうぞ。

遠近感の魔法

 駅までの道で幹線を使わずに田んぼの間を通る農道を通っている。気持ちがいいからだ。特に、この季節は特別な時期だ。田植え直前で水が張られた田んぼの間を走っていると不思議な浮遊感がある。朝に見える空や鉄塔もいいが、夜の月や星空はさらに気持ちいい。

050531_1931~001 自動車では、視点が低すぎて水面を見下ろす感じがしないのと視野に占める面積が少ないために、これを感じることはできない。また、徒歩だとスピード感(自分が移動しているという感覚)がないので、浮遊感がない。バイクと自転車でのみ感じられる浮遊感なのだ。バイクの場合はスピードが速いが、ライトと騒音があるのと、危険なのであまりゆっくり水面を眺められないのが減点。自転車はライトがなくてゆっくり水面を眺める時間があり騒音もなくていいのだが、自力でこぐというリアルな肉体的フィードバックがあるため現実感が消えない。理想は、田んぼにはさまれた細い道を自転車で下り降りるということだろうが、そんな都合のいいシチュエーションはめったにないだろう。

 眼の焦点距離を無限遠にして見下ろすということは普通の生活ではない。眼下に無限遠を望む感覚が脳にフィードバックされて、広い空間にいるような錯覚を起こすのだろう。これは、飛行機に乗ったり高い山に登って周囲を見下ろしたときの感覚に近い。これが、通常の風景の中で、田んぼの仕切られた枠の中にはめ込まれた鏡面から得られるから面白いのだろう。窓を異空間への扉とする寓意はよくあるが、それと同じように、昨日まで只の掘り起こされた地面でしかなかったところが無限への扉になる不思議さが心を捉える。人間が眼で見るのではなく脳で見るのだということを再確認させられる。

 この感覚はどんなカメラでも収められない。眼に映る光景を再生できても対象物への遠近感を再現することはできないからだ。浮遊感を代替できるのは、巨大なスクリーンでも5.1chサラウンドでも不可能だ。これを再現するには、感覚器官からのフィードバックを逆手に取るしかない。意思で感覚器官をコントロールし脳が「見る」ことを誤らせてしまうのだ。そう、感覚器官を能動的にコントロールして脳に錯覚を起こさせる方法。裸眼立体視だ(並行法が効果的)。小さな紙に打たれた黒のドットはこの広大な世界への入り口になるから面白い。裸眼立体視の快感、特に並行方で見る快感は、この浮遊感覚と似ている。

 裸眼立体視が苦手な人は、眼をつぶることだ。眼を閉じたとたん、回りの見慣れた風景は広大な空間になる。ならないのは、脳が、「今眼を閉じたからこんな感じなんだな」と、眼からのフィードバックにフィルターをかけてしまうからだろう。しかし、無心にして眼からの感覚をフィードバックすれば目の前には真っ暗な無限遠が広がるはずだ。

 話は変わるが、この光景はある意味、人間(動物)にとって恐怖の源泉だ。真の暗闇の恐ろしさはその広さにある。自分の手すら見えないほどの暗闇では、安全な通りなれた道であっても恐怖と広大ななかに放り出された寂寥感を感じる。

 この感覚が先天的なものか経験的に獲得したものかは俺にはわからない。先天的に視覚がない方はどうなんだろう。そこには、俺たちよりもはるかに深い闇の中に放り出された心細さの中にいるのか。それとも、それを克服した人間にのみ許される広大な自由な空間が広がっているのだろうか。

 しかし、真の自由こそが人をして不安にするのかもしれない。「闇の絵巻」の盗賊に対するようなあこがれ、自分が不安になることを克服したものに対する畏敬の念といばいいのか、を感じる。

 写真は、駅からの帰り道で撮ったもの。湖に山が写っているように見えるが、実際には田んぼに浅く張られた水面だ。日常的空間の中に突然湖のような水面が現れるところが面白い。

認知・意識

 昨日のエントリでリンクしたwiredの記事にある「意識の上ではポップアップ広告を無視しているのだが、そのときにはすでに、ポップアップ広告が意識の中に入り込んでいるのだ」は引っかかった。

 そう、何等かの心的不協和をおこさせ、そのときにメッセージを刷り込むというのは、巧妙な心理トリックだ。そこには、好意的な印象すらない。心地よいままに視聴し忘れられるものより、反感を持って受け止められるものの方が効果が高いのかもしれない。テレビの場合はチャンネルを替えられたり電源を切られたりしたら元も子もないので限界があるが、webサイトやスパムメールは入り込んでくるからタチが悪い。

 RD-X4を使うようになって、録画した番組を観るときはCMをほとんど観なくなった。逆にCMを飛ばすことや、編集で削除することを快感に感じている。このこと自体、テレビとCMが意識に刷り込まれていることの証拠だろう。救いなのは、飛ばしたCMについては、そのメッセージが入ってこないことくらいだが、逆に、イン/アウトの瞬間にインパクトのあるメッセージを叩き込まれる可能性はある。

 実際に、うるさくて大嫌いな0033の広告は、いやなイメージで焼きついている。購買には至っていないが、ケータイへの電話代割引登録のプレフィックスは0033しか頭に残っていないのも事実だ。これからは、CM入りの瞬間にメッセージを埋め込もうとするうるさいCMが増えるかもしれない。

 また、CMの枠でも、単に時間帯で何回というようなものではなく、CM入りにプレミアが付くかもしれない。