podcast ひいきびいき 53,54 :写真は何を写す、車、帰省

 昨年末に配信されたものだが、興味深い話題だったのでクリップしていた。

 写真には撮る人の魂も写し取られるというはるかさんの感想を聴いて、WILLY RONIS という写真家の言葉を思い出した。

 カメラは道具、道具は考えない。
 この道具の背景には私の目があり頭脳がある。
 シャッターを押す時、この頭脳が選択する。
 写真家の行為は心の中にある。
 客観性はない。

 男どもはカメラというとメカやスペックに夢中になって、写真が好きなのかカメラという機械が好きなのかわからなくなってしまいがちだ(自分もそうだ)。が、感性の豊かな人がうらやましい。

 また、初めて買う一眼レフカメラに50mm単焦点を選んだところも渋い。今ではズームが標準的だし一眼でも標準的なセットとして提供されるのも広角から中望遠までのズームレンズであることが大半な中、コストパフォーマンスの悪い単焦点を選んだのは素晴らしい。50mmは人間の視覚と一番近い遠近感で、自分が初めて自分のカメラを手にした時には標準レンズと呼ばれていた。

 大地さんの自動車話も楽しかった。甥が cooper mini、姪が mini mayfair に乗っていた頃があって、楽しかったので借りて乗った。これまでに乗った公道走行可能な車両で最もレーシングカートに近い乗り物が cooper mini だった。ハンドルは重いし窮屈だったが、路面との接地感や操作してる感でも圧倒的だった。

 miniの話を聴いて私が初めて買ったカメラを思い出した。デジカメが出る何十年も前の話で、オートフォーカスはもちろん、AEもなかった。写真を撮るということは、ピントを合わせシャッター速度と絞り値の組み合わせを決める事だった(ISOはフイルムで決まってます)。この感覚はminiとよく似ている。やることは多いけど、やればちゃんとその結果がフィードバックされる。機械任せで結果が機械の機嫌に左右されることがない。また、「ここをちょっと」という時に急に複雑な設定をしなければならなくなったりもなかった。

 はるかさんが帰省された時の、「お父さんが独立した人として接してくれるのにお母さんは子供扱いする」というのには「なるほど」と思った。息子たちが50を超えた今でも母はかわらない。無条件に子供として接するのが母というものなのだろう。

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