薄紙一枚:富田倫生さんが遺したもの(後編)

aozorabunko 富田さんが残した言葉で好きだったのは「薄紙一枚を残す」だった。何らかの業績で社会に貢献し名を残すことができなくても、自分にできることで社会に貢献できることがあれば進んでやろうということだ(と自分は受け取った)。

 自分がボランディアで青空文庫の入力を手がけたのもこの気持だ。自分には後世に残るような文章を書く能力はない。でも、青空文庫の入力ならできる。紙の本が絶版になり書店にも図書館にも無くなったとしても、デジタルデータは亡くならないだろう(コンピュータ文明が消えたら読めなくなるかもしれないが、その時には人類の文明時も壊滅状態だから紙の本が残っていても読む人間はいないだろうから問題ない)。自分の大好きな文章が今後何百年か後の人によって読まれるときにも、自分がキーボードを叩いて入力したテキストデータなのだ。

 ここで忘れてはならないのは、青空文庫の評価が(正当な評価には程遠いが)あるのは、青空文庫が一万数千件のタイトルを揃えたからだ。何の見通しも希望もない中でアホのようにデータを入力したボランティアが薄紙一枚の貢献を積み上げたのがこの数字なのだ。

 この記事は青空文庫を正しく評価していると思うが、誰にも見向きもされない数百というタイトル数の時から営々と入力してきたアホ共の視点を共有しているとは思わない。

「電子書籍の父」富田倫生さんが遺したもの–日本が目指す方向性とは(後編) – CNET Japan
 9月25日、青空文庫の創設者(呼びかけ人)の一人で、8月に逝去された富田倫生さんを追悼するイベントが都内で開かれた。青空文庫は、著作権切れの作品等をボランティアが電子テキスト化、インターネット上で無料公開している電子図書館プロジェクトである。

 イベントの模様などについては、各種メディアが手厚く報道していたので、ここでは一歩引いた視点から、富田さんと青空文庫の足跡にからめて、日本の電子書籍の現状と目指すべき方向性を2回に渡って探る。キーワードは「オープン」「民間主導」である。前編はこちら。
プラットフォームになれる条件
 AmazonやApple、Googleと比べると、日本の電子書籍事業は、「プラットフォーム」と呼ぶには、かなり不自由でクローズドな仕組みだといえるだろう。まず、契約はオンラインで完結できないし、仕様や利用条件なども、NDAなどを結ばないと開示されない。

 システム的に考えるとありえないことだが、そもそも仕様書を用意していない事業者もあれば、用意していても、更新しない、更新しても利用者に通知してこない事業者もある。

 各出版社の電子書籍の担当者は、情報の少ないまま、新端末の発売やビューワのバージョンアップがある度、すでに発売しているコンテンツの再検証を余儀なくされているのが実情だ。

 このような状態では、ノウハウやリソースの少ない小規模な、あるいは地方の出版社などが本を刊行するのは容易ではない。いや、刊行することはできても、仕様が変わったあとなどに、利用者がきちんとした形で本を読めるようにメンテナンスすることが困難だ。実際、コンテンツを提供しているのは、大多数が伝統的な出版社で、KindleやApple、Googleのように、毎日のように新規参入企業がある、という状況ではない。

 外資の電子書籍事業のあり方に、むしろ近いのが青空文庫である。青空文庫では、ソースコードにあたる「青空文庫注記」(青空文庫形式)の書き方が、公開されている。

 例えば、行の頭を下げるには、「[#3字下げ]」、ある行を版面の下につける、いわゆる「地ツキ」は、「[#地付き]」、改ページは「[#改ページ]」など、もともと見てもわかりやすいコードに、明快な実例と解説が付され、誰でも理解できるようになっている。

 公開されているのは、単なる仕様だけではない。「このように処理するとうまく行く」という、システム用語でいう「ベストプラクティス」も含む。さらに、「どうしてそういう取り決めになったのか」という話し合いの経緯も、サイト上に公開されている。もちろん、青空文庫コンテンツの利用の仕方についても詳細に説明されている。

 このように誰でも手に取れる形で、誰にでもわかりやすく仕様が公開されているため、この「注記」でコーディングされたテキスト、そこからプログラムで変換されたHTMLは、非常に広い範囲で利用されている。上に紹介したアプリやサービスで利用されていることはいうまでもないが、自己出版でデビューした作家の藤井太洋氏のように、執筆の際に使っている例もある。藤井氏は自作のプログラムで、青空文庫注記付きテキストからEPUBへ変換し、KindleやKoboなどでコンテンツを販売している。ソース(コード)と規約(仕様)、ベストプラクティスの共有によるイノベーションの促進。これはLinuxのような、オープンソース運動の理想そのものである。

 青空文庫は、テキスト版のオープンソース運動の一種と考えられる。このオープンさが、多数のベンダーや開発者を呼び込み、その周囲に、サービスとプロダクトのエコシステムが自然発生的にできている。つまり、プラットフォームである。

 外資系の電子書籍事業者も一種の「プラットフォーム」なっていることは上にも述べた。ただし、これらはビジネス志向、中央集権型のプラットフォームであるから、事業者のポリシー次第で参入が制限されたり、撤退をやむなくされたりするリスクがある。そう考えると、利用者から見て、より安心して利用できるのは、青空文庫のようなオープンなプラットフォームだろう。

 ともあれ、ここまで検討したように、青空文庫や外資の電子書籍事業と比べると、こぞって「プラットフォーム」志向を打ち出した日本の電子書籍事業は、その「プラットフォーム」としての機能や実態についていえば、こころもとないのが現状だ。

 そのことは逆に言うと、オープンな電子書籍プラットフォームとしての青空文庫が、高く評価されるべき理由にもなる。
日の丸電書プロジェクトが生み出したもの
 プラットフォームとしての青空文庫を支える要素として、「注記」が広く利用され、さまざまなアプリやサービスの基礎となっていることを指摘した。

 つまり「注記」が入ったテキストやそこから変換されたHTMLが、XMDFなどに変換されて、多種多様なサービスやプロダクトによって使われている、つまり最終的なフォーマットに至るまでの「中間ファイル」として機能している、ということだ。

 電子書籍の「中間ファイル」とは何か。レイアウトのための指示が書き込まれたテキストファイルで、EPUBやXMDF、ドットブックなどの最終的な配信フォーマットに変換することで電子書籍へと加工できる、保存・交換のためのファイル、電子書籍の「素」のようなファイルだ。

 電子書籍業界では長らく、このようなファイルに使えるフォーマットが望まれていた。過去の電子書籍プロジェクト用に制作した電子書籍のファイルが、そのプロジェクト用に特化したフォーマットであったため、別のプロジェクトに向けて同じ書籍を制作する場合も、一から作り直す必要があったり、利用者も一度購入した書籍が、そうした事業者の撤退の結果、読めなくなってしまった例が多発したからだ。

 最終的な「配信用フォーマット」にビルドする前の「ソースファイル」を、どのフォーマットにも自由に変換できる形式(中間フォーマット)で保管しておければ、少なくとも制作者側から見た「作り直し」のコストは低減される。このような目論見のもと始められたのが、総務省「電子書籍交換フォーマット標準化プロジェクト」だ。

 これは2010年、電子書籍の普及を目前にして、経産省、総務省、文部科学省が開催した「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」(通称「三省(デジ)懇」)において提起された課題(「交換フォーマットの共通化にむけた環境整備」)解決のために、約1億3000万円の国費を投じて実施された開発と実証実験のプロジェクトだ。日本電子書籍出版社協会(電書協)が実施主体となり、ボイジャー、シャープなどが協力した。

 2011年5月に発表された、このプロジェクトの最終報告書や仕様書は、「電子書籍交換フォーマット標準化会議」のサイトで見ることができる。

 ところが、それから2年以上の月日がたったが、この「交換フォーマット」がその後、どこかで大規模に使われているという話は、寡聞にして伝わってこない(※もし読者の中で応用例をご存知の方がいらっしゃったらご一報お願いしたい)。成果報告後、新端末や新ビューワー(リーディングシステム)が次々と出現したにもかかわらず、それらに対応したとの報告も見られず、サイトの中で予想されていたサードパーティーからのオーサリングツールのリリースもなく、国際規格化についての報告もなく、サイト自体、以後更新されていない。

 報告書によると、このプロジェクトで策定された交換用フォーマットを使って作成したファイルは、XMDFやドットブックに、9割程度の精度で変換できるという。

 システムの世界では規格も重要であるが、実装(活用)もそれに劣らぬくらい重要だ。どんなにすぐれた規格も、使われなければ、ただの資料の束である。

 典型的なのがインターネットだろう。各社バラバラだったネットワークの通信方式を統一する機運が高まった1970年代末から1980年代初頭にかけて、日本とヨーロッパがISO(国際標準化機構)を中心に共通規格を作った。それがOSIと呼ばれるものだが、仕様策定を優先し、実装を後回しにし、仕様が複雑すぎたため、アメリカを中心に実装がどんどん先行したTCP/IPという規格に追いぬかれ、OSIに準拠したネットワークは普及しなかった。TCP/IPとは、つまりインターネットだ。

 ともあれ、OSIと同様の運命をたどりつつあるかどうかはわからないが、「電子書籍交換フォーマット」が実用に供されているという予兆は見られない一方で、青空文庫の「注記」が、交換フォーマットとして多種多様な環境で活用されていることは先に見たとおりだ。いまや実際に使われているものとしては、日本の電子出版用中間(交換)フォーマットの「デファクト」といっていいだろう。

 なぜ、総務省版「交換フォーマット」は使われていないのだろうか? この点について技術的な説明をすることは可能だが、長くなりそうなので省くことにする。

 ここでは一点だけ、フォーマットを決めた「主体」について指摘しておきたい。

 この「交換フォーマット」を策定したのは業界団体である電書協であり、発注元は総務省、つまり国である。アメリカの電子書籍ビジネスが「民」主導であり、個々の事業者主体で発展してきたのに対して、日本の電子書籍は、「官」が支援する「コンソーシアム(「フォーラム」)」や「業界団体」によって主導されることが多かったが、ここでも同じ構図が繰り返された。

 過去の例の中でもっとも典型的なのが、1998年に当時の通産省の旗振りのもと設立された「電子書籍コンソーシアム」。「ブック・オン・デマンド総合実証実験」と題した配信のプロジェクトを実行し、報告書を刊行したが、その成果が何かに活かされたかどうかはよくわからない。

 2010年の「三省懇」、そしてそれを受けた「交換フォーマット標準化プロジェクト」においても、1998年と似たような構図が指摘できる。

 筆者は内部に取材したわけでもないので、以下は一般論だが、こうした「コンソーシアム」の持ちうる一般的な弱点については、概念的に理解することができる。思いつきのまま挙げてみると次のようなものがある。

  • 1.「コンソーシアム」には各社・各団体のトップや幹部が集まる。そのため、現場のニーズや実態を踏まえない議論が展開されがちである。幹部が集まるため、具体的な問題解決よりも、それに取り組み成功させた、という威信が重視される
  • 2.官僚がからむと、その官僚の業績づくりが目的化される。予算がつけば、予算消化が目的化する
  • 3.多数のアクターが絡むため、プロジェクトの成否の責任の所在が曖昧になる。戦前の日本軍と同じで、目論見が外れても、誰かの責任が問われることはない
  • 4.日本の電子書籍が外資のそれに負けない「プラットフォーム」や「エコシステム」を作る気があるのなら、何よりもオープンさを重視すべきであるということ。少なくとも仕様書くらいは公開すべきであること
  • 5.業界全体が困っている課題について、解消策を公開の場で提言するなど、電子書籍という「コミュニティ」に貢献すること
  • 6.また大手出版社だけでなく、小規模・地方の出版社や、電子書籍専門出版社、自己出版作家など、弱い立場の組織や人が容易に参加できるようにし、支援すること
  • 7.「コンソーシアム」「フォーラム」のような華々しい「祭り」ではなく、利用者の利便性向上に全勢力を傾けること

 特に重要なのは(4)だろう。民間企業であれば、何かのプロジェクトが失敗した場合、その担当者は責任を問われるし、大きなプロジェクトであれば、会社自体も売上減、株価下落等で市場から審判を受ける。

 しかし官僚主導または官民合同のプロジェクトでは、このような「審判」が下ることはまずない。勢い、形だけの「成果」、見栄えがいいだけの「資料」、総花的な提言の「羅列」に終わりやすい。

 「交換フォーマット標準化プロジェクト」が過去の「コンソーシアム」の轍を踏んでいないことを祈りたいが、何しろその後の情報がないだけに、行方が気がかりである。

 ついでに、この「交換フォーマット」策定の前提の1つが崩れつつあることも指摘しておきたい。「XMDFはオープンな国際規格、記述フォーマットは自由に利用してビジネスをしてかまわない」という趣旨の宣伝をしていたシャープが、2013年6月24日、制作ソフト「XMDFビルダー」をアップデートした際に、この「記述ファイル」の書き出し機能を削除してしまったのだ(Ver.3.4.3.0。しかも6月中に新バージョンをインストールしてライセンスファイルを更新しないとビルダーは使えなくなる、とされていた)。

 「XMDFは記述ファイルレベルではXMLの一種で、データのサステナビリティが高い(つまり、ビューワやツール、ハードウェアなどが変更されたりなくなったりしても、コンテンツの記述ファイルは容易に他のビューワー等に再利用できる)」という触れ込みで、その「記述ファイル」からの変換のために、多額の国費を投じて「交換フォーマット」を作ったはずなのに、肝心のオーサリングソフトが、記述フォーマットへのエクスポートをサポートしないというのだ。もちろん、XMDFの配信用フォーマットとあわせて、コンテンツを記述フォーマットでも保管・管理していれば問題ないが、管理コストが増えてしまう。

 「日本のハードウェアメーカーは、コンテンツを商売のタネとしか見ていない。商売にならなければ、すぐ撤退し、データも使えなくなる。これでは安心してパートナーシップを組めない」というのが、これまで実施された電子書籍プロジェクトに対して、出版社が今ひとつ本気になれなかった理由としてささやかれてきた。

 シャープの6月の決定は、この不安を、まさに裏書きする結果となった。その後同社は、記述ファイルの書き出し機能を復活させた新版を8月に発売すると発表したが、再度延期になり、この原稿執筆時点(10月3日)で、新バージョンはリリースされていない。

 10月7日、シャープはXMDF利用者向けのメールマガジンで、記述フォォーマット出力機能を追加したXMDFビルダーを有料販売すると案内した。対応OSはWindowsXP/VISTA/7(32bit/64bit)で、価格は税込2万790円(税抜1万9800円)/ 1ライセンス。不思議なことに、同社の「XMDF情報スクエア」は、6月の「XMDF記述ファイルエクスポート機能削除」の報告を最後に、この件についての情報提供を取りやめている。

富田さんと青空文庫が教えてくれたこと
 富田さんたちが立ち上げた「青空文庫」は、さまざまな障害があって発展を阻害されてきた日本の電子書籍(出版)が、本格的に離陸するための大きな礎石となった。

 青空文庫が発展の過程で生み出した「注記」、それにしたがって作成された膨大なテキスト、さらにそこから変換されたHTMLファイルは、事実上の交換フォーマットとして、多くのアプリやサービスに使われた。「注記」以外の様々な仕様やノウハウが公開されたことで、青空文庫はオープンな「プラットフォーム」となった。

 「注記」などの仕様は、シンポジウムの席上で決められたのではなく、常に実装と並行して、実装の必要に応じて決められた。そのために、非常に実用性の高いものとなった。ニーズが先に見えていたから、「作ったが、使われない」ということにはならなかった。

 国の支援がないために、資金や設備では苦労されたようだが、その分、見た目だけの「成果」を生み出す必要もなく、無意味な「報告書」「仕様書」を作る必要もなかった。

 これらのことから、筆者を含め、日本の電子書籍事業関係者は、どんな示唆を受け取るべきだろうか。僭越ながら最後にまとめてみたい。

 このような課題をすべてクリアした事業者が現れたら、きっとその事業者は、国内だけでなく、国際的にも評価されるだろう。そのときこそ外資のそれとは違う「プラットフォーム」が立ち上がることになるに違いない。

 「青空文庫」の「青」には、「青は藍より出でて藍より青し」、つまり電子書籍が紙の本を超えていく、紙の本にできなかった世界を拓いていくという思いが込められているという。

 電子書籍のムーブメントは、これまでのところ米国中心に動いているが、そこから生まれたアイデアや機能を、日本ならではのセンスで洗練させれば、きっとそれ以上のサービスを生み出すことができるだろう。これまでもそうしてきたのだから、これからそうできないいわれはない。

 紙を超え、国境も超え、既存の概念すら超えた「藍より青い」電子書籍の未来。富田さんから私たちが受け継ぐべきなのは、このビジョンであり、使命感なのだろう。

 富田さん、ありがとうございました。

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