間違ったテクノロジーの使い方

 先日、夕方のテレビニュースでQRコードで産地情報をケータイで確認するというテストの様子を放映していた。途中からだったので、詳細なサービス内容は分からないが、ケータイでQRコードを読み込んでいた主婦は「これは便利」とか「こういうのがあると安心ですね」と言わされていた。

 テストケースと言っているので、「やらせ」とまでは言わない。しかし、映っていたのはかなりの年配で、そんな最新型の高機能端末を使っているとは思えない。持っていたとしても、QRコードの使い方なんて知っているはずはないような人ばかりだった。実際、QRコード読み取り機能のついた端末を使っていてもQRコードを読み込んだことがない人は多いだろう。「テストですのでこうやってここにかざしてください」と言われてやってみただけだろう。そんな状況で、しかも、テレビカメラの前で批判的な意見は言えないだろう(言ったとしても流してないだろうし)。

 ただ、問題はそこではない。「これがあれば安心できます」というフレーズだ。答えに窮したおばさんが適当に思いついたことを言っただけだが、一般人のテクノロジー妄信が見えている。

 QRコードだろうが、印刷物だろうが、手書きのメモだろうが、信頼性なんか大差はない。幾らでもコピー可能なものなど全て信用出来ない。何より、それを提供している奴等への基本的な信頼感がないのだ。俺はコープ神戸の組合員で、売り場で働いている人たちには信頼を置いている。ダイエーや大丸のやる気のなさそうな店員よりははるかにマシだ。

 しかし、売り場の商品に張られているシールを全て信用しているわけではない。コープ神戸が虚偽のシールを貼らないとしても、それ以前の段階で貼られている産地シールなんて全く信用が置けない。コープでもこれまで、そういう仕入段階の詐欺にあっていたことがあった。途中の卸業や産地で虚偽のシールを張られたらコープの仕入れ担当者でも見分けなんかつかないだろう。

 消費者に出来るのは、自分で見分けの付かない品質差なら迷わず安いほうをとるという事しかないように思う。偽ブランドは、中身の無い本来価値以上の評価を受けているものを真似るから。3万円で売って儲かる程度の品物を10万で売っているブランドメーカーがあるから3万円で売る偽ブランド商品が後を絶たないのだ。生鮮食料品でも同じことだ。偽ブランド商品はブランド商品へのアンチテーゼでもある。

 詐欺というのは、他人の基準でしか判断できないブランド妄信者や、ブランドによって自分のステータスを上げようとする人間のおろかさに付け入るのだ。そして、彼らの使う手口はそのまま、社会の欲求を裏から表現していると考えてもいい。(>分裂症の症例)

 このあたりは、先日亡くなった種村季弘の作品が詳しく面白い。お勧めは「ぺてん師列伝―あるいは制服の研究」「詐欺師の楽園」。

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