交通インフラ空想的近未来 04 どうなる?

妄想したことが実現したらどのような変化が起こる思いつきを列挙してみる。

免許制度が不要になる
本人が運転しないので、免許証制度はなくなる。免許交付の事務処理も自動車教習所もなくなる。
写真入りで定期的に更新される身分証明書として機能しているので、代替になる身分証明書が必要になる。マイナンバーと結びついたICカードに写真を入れて定期的に更新するような仕組みが必要になるかもしれない。
交通事故がなくなる
自動車保険という商品がなくなる。
走行距離が自動車ごとに正確に把握できるので、車検は期間ではなく走行距離によって受けることにする。車検が切れそうになったら乗る度に警告が出るようにする。或いは、自己診断プログラムによって判断することもできる。過剰整備による社会的無駄が排除される。
自動車販売数量の減少。事故による廃車が激減するので、更新需要しかなくなる。以下に書く理由により、買い替えもほとんど無くなる。
自動車修理業界。交通事故が減るので、修理の機会が減る。車検も必要最小限になるので、再三は大幅に悪化するだろう。
カー用品。共有化されれば、飾る必要がなくなるので不要になる。
スクラップ。一時的には減るだろうが、更新需要は無くならないので、人口が減らない限り発生量は減らないだろう。
救急医療体制の変更。救急車や救急病院に搬入される患者の多くが交通事故によるものと考えられるが、これがなくなるので、救急病院の数は減らせられる。救急搬送の効率化により搬送距離の長距離化はカバーできるだろう。
臓器提供のドナーの減少が予想される。健康な肉体をもった若年者が健康なまま亡くなるという機会が減るため。
交通違反がなくなる。
属人的な操作がなくなるので、交通違反を起こしたくても起こせない。飲酒運転も存在しない。寝ていても本を読んでいていても構わない。電車の乗客に違反に問われる事がないのと同様、交通違反という概念が存在しなくなる。
交通違反抑制のために費やす交通機動隊は不要になるし裁判所の仕事も減る。
自動車に対する価値観の変化(自動車産業のビジネスモデル変化)。
個人所有の必要がなくなること。性能による差別化が一切できなくなるのでステータスシンボルとしての地位を失うだろう。どんな車に乗っても、目的地への到着時間は変わらない。加速も減速も車種による違いはないので、鋭い出足で優越感を感じることはできなくなる。自分の家の車庫においておく意味が無いので、個人所有は絶滅し共有自動車を呼び出して使うことになるだろう。
自動車の個人所有は激減するだろう。公共スペースに自動車をプールしておき、呼び出して乗って、目的地で乗り捨てればいい。その近くから別の場所に行きたい人が使えば無駄な移動は最小限になる。そして、共有車は全て電動なので、公共スペースで待っている間に充電できる。
自動車販売の減少。田舎では、家族に一台車車を持っている家庭はある。誰かが乗って会社に行ったら、残された家族の移動手段がなくなる。会社にいる間は駐車場に置いたままになっているからといって、他の家族が使うということは難しいし、同時に別方向に向かう必要がある場合には共有できないからだ。この点、無人運転車が勝手に送り迎えをしたり、配車センターから追加車両を借りられるようになるので、人数分を固定的に確保する必要はない。
こうなると配車センターに今と同じだけの車が必要に思われるかもしれないが、実際には不要だ。渋滞の発生しやすい時間帯・方向は統計的に掴めるので、中型の乗り合い車を配車し駅まで送り届けるようにすれば、同時に走る車の最大数を増やさずにすむ。
広告業界・メディア産業における、欲望装置の喪失。マスコミにおける自動車の広告の比率は高い。ドラマや映画でも自動車は重要な背景装置だ。メルセデスのリムジンに乗っているというだけで登場人物の説明になる。また、フェティッシュとしての自動車は、幻想を売りつけて暴利をむさぼる悪徳宗教装置としてのマスコミにとって重要な商売道具だ。ロボットがこれに代わる装置として機能するかどうか自分には分からない。なくなればなくなったで、代替物はユーザが勝手に見つけるかもしれない。
ステータスシンボルとしての自動車というものが機能しなくなる。高性能な車に自己を投影して優越感に浸ることはできなくなる。自動車が完全なコモディティになる瞬間だ。
家計に占める自家用車の維持費の割合が多い家庭では、維持費が大幅に減り、実質的可処分所得が増える。
タクシーや乗り合いバスという形態はなくなるが、自動運転の車を自宅に読んで乗るという形になって残るとも言える。
高速大容量の鉄道は存在価値を失わない。むしろ、駅への移動が効率的になることで、社会的な役割は増える。免許を持っていない層(学生・老人)相手の足としてしか機能していないような地方の多くの路線は不要になる。
燃料消費量の大幅減少
産油国:国際社会での発言力低下、国内経済悪化による政情不安(特に王政・首長国)は国際政治を不安定にする可能性は高い。
消費国:自動車産業は大きく減るだろうが、交通・流通にかけていたコストを削減できることで他の業種への資源移動が起こるだろう。
インフラの維持コスト増減
周辺産業:(信号・標識・料金所 etc)の縮小 信号、標識が不要になるので、これらを作ったりメンテナンスする必要がなくなる。「どの車がいつどこを通ってどこに行ったか」が分かるので、料金所は不要だ。自動車に乗り込むときに所有者を認証しているので、所有者のアカウントにチャージするだけだ。もし、所有者が現金口座を持っていなかったら(学生などが親の車を借りたり)有料道路を使わないようにナビするだけだ。
警察・医療・高速道路維持管理などの社会的負担が激減する(日本では、族議員没落する。めでたしめでたし)
ネットワーク・インフラ維持コスト増大
新産業(コンテンツサービス)
ネットワークを介したコンテンツ消費可能時間が増える。
職業
運転手消滅
自動車教習所消滅
運転免許関連産業消滅
犯罪抑止
誰がいつどこに行ったかが分かるのは犯罪の抑止にも大きな効果がある。任意の車を任意の場所に誘導するのも簡単だ。警察の自動車を振り切って逃げるというのも過去の話だ。警察車両は他の自動車を止めることができるようになる。しかも、ロックして出られないようにもできるだろう。自動車に依存した犯罪はなくなる。直接使ってなくても、いつ誰がどこに行ったかが分かるので、車を使ったアリバイ工作はできなくなる。
道路設計の変化
マージンを減らすことができるので道路の規格自体を変更できる。車線を狭くして歩道を広げる事もできる。
道路使用効率が上がるので、道路の走行キャパシティは必要最小限に見積もれる。
道路自体の合理的な使用が可能になる。
最適ルーティング
最適経路を見つけた上で、周辺道路を走る車の協力も得られるので緊急車両の到着時間は大幅に短縮される。現在でも救急車は赤信号を無視できるが、事故を防ぐために徐行して確認する必要がある。このシステムがかどうすれば周囲の車を止められるので速度を落とす必要はなくなるし、不用意な車に進路を塞がれる心配もない。(不可避な渋滞で車が身動きできない箇所があるときにはルーティングで回避し次善のルートが選ばれる。)

「道路を広くすると渋滞はさらにひどくなる」とは限らない」で紹介された研究結果は、「道路を広くしても使用者が増えるので渋滞の緩和にはならない」ということを示しているが、情報化すれば今よりはるかに道路の使用効率自体が上がるので、道路を広げなくても渋滞は緩和されるだろう。この考え方は、エスカレーターの乗り方問題で考えると分かりやすい。今は片側に並んで急ぐ人は空いている方を歩くというのが主流だが、2列に並んで静止したほうが全体の輸送力を増やせて平均待ち時間を減らすことができる。同様に、国道を複数車線化しても走行車線と追い越し車線といった使い方をしてはせっかくのキャパシティを活かすことは出来ていない。
 ただ、実際問題左側の車線は左折車や合流・違法駐車で流れが悪いことが多く、複数車線が同じ密度で走ることは難しい。これも、提案のシステムが完成すれば解決されるので、2車線は2車線分の、3車線なら3車線分の輸送力を発揮できる。(今の交通では1車線を2車線にしても倍の輸送力にはなっていないと考えられる)。

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