映画:「桐島、部活やめるってよ」とクラス内の”無” またはファン心理

「話題の映画は観ておきたいミーハー」なので、借りてきた。娘が観ているのを横で聴いて鑑賞。

 普遍的な感情には共感するし、うまく描けていると感じた。が、特に感情移入して心を揺さぶられるような人物はいなかった。ただ、自分と同年代のおっさんならみんなそうなのか、たまたま自分が映画に描かれたような「青春」を送っていなかったからかなのかは分からない。自分は、中学校から高校までの6年間は、高校卒業後に円満に家を出て一人暮らしするための助走期間でしかなかった。その時の気分を表すならドラクエのレベル上げだ。

 だから、「同級生が部活(学校にも来てないみたいだが)を辞めるからって、そんな大騒ぎするか?」というのが一番の感想。自分は中高ともに帰宅部で、当然ながら誰かが部活を辞めようが学校を辞めようが関係無かったし。学校より辞めることがハードルの高い会社にいても、自己都合で辞める人はいるが、驚かないし悲しくもない。「辞めた先でうまくいくといいね」というだけだ。(正直にいうと「うまくいかないことを祈る」という相手もいるがww)

 だって、本人が何らかの事情で学校を辞めるという決断をしたんだから、赤の他人が干渉することではないだろう。友だちがいなくなったら寂しいとか、部活の戦力が落ちて困るというのは残る側の都合でしかない。その自分の都合を対象にぶつけるのは小学校低学年で終わりにして欲しい。

 そう言う意味で、共感できたのは、映画部の部員だけだ(ミーティングで発言しない奴は除く。なぜ映画部にいるのか分からない。嫌ならやめればいいんだから)。学校内での立場は弱くても、桐島がバレー部を辞めるとか無関係に存在した。というか、存在してもしなくても構わない存在として同席していた。

 しかし、ここで桐島君を取り巻く群像の恐慌っぷりは、ファン心理を表しているようで興味深い事に気づいた。野茂やイチローは日本の野球界に失望しアメリカに活躍の場を求めた。つまり、彼らは日本のプロ野球という部活を辞めたようなものだ。ある意味、日本のプロ野球界を形成する球団や野球ファンも含めて否定したのだ。「桐島、部活やめるってよ」では、そうやって切り捨てられた事に対して「友達(彼女、チームメイト・・・)と自分は思っているのに、桐島にはどうでも良い存在でしかなかった」と感じて狼狽する友人が描かれたが、プロ野球の場合にはメジャーリーグに行ったことを礼賛しているファンが多い。

 これなどは実に滑稽だ。自分が桐島にとって友人であると思いたい取り巻き以上に。イチローや松井秀喜がメジャーリーグの球場の雰囲気について目を輝かせて語るのは、取りも直さず自分たちが球場でやっていることへの批判なのにそれに気づいていないからだ。

 最後に、一人前の人間なら、友達が突然自分にも黙って姿を消した時にとるべき態度を簡潔に表した Bruce Springsteen の Bobby Jean という曲の詞を引用する。動画は YouTube に山ほどある。

Im just calling one last time not to change your mind
But just to say I miss you baby, good luck goodbye, bobby jean

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