podcast ひいきびいき 48回 雑感

立場

 ひいきびいきの投稿に「5年付き合っていたが数カ月前に別れた。きっかけは相手の浮気だった。その相手が先日結婚したと聞いて落ち込んだ」という投稿があった。書かれた人の立場になったお二人の感想やアドバイスは誠実で優しかった。

 ”浮気”と投稿者は思っているかもしれないが本気だったのかもしれない。投稿者と5年付き合っていたと思っていたが、そちらが本気じゃなかった可能性がある。そうなると、本気になれる相手を見つけて結婚したのは不誠実とはいえないだろう。「惰性で付き合っていた相手がいたが、結婚したいと本気で思えるような人と出会い前に付き合っていた人との関係を清算し、数カ月後に結婚した。」と聞けばひどい奴とは思わないだろう。

 自分にはレンアイのアドバイスはできないからメールは送れないが、もし身近な人にそういう相談を受けたとしたら、「運動してクタクタになって帰ってきて美味しもん食べて暖かくしてゆっくり寝ろ」だ。乗り越える必要も忘れる必要もない。忘れようとするほど記憶は上書きされる。同時に恨んでも仕方がない、上に書いたように結婚された二人には二人の事情があったのだから。恨んで悪い気分になるのは時間の無駄だ。

立場2

 サブカル系の話で、古参ファンが最近の作品に対して批判的なことを若い人にいうことの問題についての投稿があった。これは、番組でも指摘されていたとおり古参の態度に問題があるだろう。平成仮面ライダーを子供の頃に観てファンになった青年が1号や2号の話やメンタリティについて知らないのは当然だ。その子たちには平成仮面ライダーが仮面ライダーなのだ。シリーズコンセプトが変わったのが気に入らなければ製作者に文句をいうか触れないようにすればいい。新しいファンを批判するのは八つ当たりだ。当然その逆も真で、シリーズ初期の作品が自分が馴染んだものと違うからといって否定するのも誤り。

 同じ作品を観て同世代の人間が語り合ったって意見が違うのは当たり前なのだ。知識は伝えられるが経験は伝えられない。経験は個人的なものだからだ。分かり合えないことを前提として、「自分はこう感じた」というのを尊重しあうしかない。否定しても何も生まれない。響鬼がオートバイに載っていないのを観て驚いたがwww

植え付けられた過去

 記憶の曖昧さ、変化、忘却、錯覚につては再三取り上げた。が、一方で記録を学習することで経験したかのように感じるというのも錯覚の一種だ。

 よく目にするのは、自分が経験していない事象について仕入れた知識を自らが経験したかのように得意気に語る人だ。Wikipedia やブログに書かれたことは他人の経験でしかない。知識として知ったことを借り物の知識であると断って語ることと自分の経験のように語るのとでは全く違う。引用と盗作の違いだ。

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