草稿:「フィルタリング」又は脳の怠慢について

 興味深いツイートがあった。さもありなんという反応だ。

Twitter / @nabeyasu1124: 「原発冷却システムが停止中」とツイートしたら32人が …「原発冷却システムが停止中」とツイートしたら32人がRTしてくれたのに「その後復旧」は8人しかRTしてくれなかったので、前者を削除しました。確かに前者の方が興味を引きますが、後者の情報も大切です。RTしてくれた人には悪いけど、こうしたことってデマや風評被害の根源はないですかね。

 「情報のひとり歩き」という状態だろう。大昔に風評被害による取り付け騒ぎで銀行が潰れた話があった。火元は何の悪意もない冗談だったのに、飛び火して銀行をひとつ潰した。しかし、この場合にも、背景に「そういうことがあるかもしれない」という漠然とした不安があったのだろう。そして、それを助長する発言が火をつけたのだろう。

 ここでは、原子力発電所に対する不安感という下地があり、それを助長する発言(Tweet)はあっという間に広まったのに、不安を鎮める発言(Tweet)にはその数分の一しか反応しなかった。というか、不安を持ってRetweet した人は、不安については「これは危ないから知っておいて欲しい」という善意からRtしたが、復旧報道については、自分がホッとして「大丈夫なら広めなくてもいいや」と思ったのではないだろうか。結果として、ネガティブなTweetだけがネットを駆け巡り、その後の続報に触れる機会がなかった人は「原発の冷却システムは今でも止まってるらしい。どないなっとんねん、東電」と怒っているという図式が成り立つ。

 これはネット上の情報共有や集合知の限界を示しているかもしれない。「集合知は正しい知識に収束するのではなくその時の空気に支配される」のかもしれない。多くの人が不安に思っていたり、こうあって欲しいと思っていたりすることに沿うような発言だけが広がり続け、訂正情報は広まらずに収束してしまう。RTする人が責任をもって、自分のRTした情報が誤りだったり変わった場合に訂正情報を流す意識を持たない限り、この状態は続くだろう。

 また、この人間の行動傾向は様々な事象を説明するのではないか。

  • ジャーナリズムが市民の目として機能しない事。(自分のミスに寛大なマスゴミ):マスコミは自分に都合の良い情報だけを取捨選択したうえで流すことは明白だ。恣意的な操作の有無以前に、シナリオに沿った意見だけを取り上げることで操作は簡単だし、現在もマスコミの流す情報はほとんどマスコミと広告主に都合の良いものばかりだ。
  • 認知とは。:それ以前に、人間の心理的な傾向として、事前に刷り込みのある既知の情報に沿った情報のみを積極的に採用するものがある。年寄りが、全く新しいものや考えに対応できなくて、トンチンカンな判断をしてしまうことがこれにある。自分が理解できる文脈でしか判断ができないのに、理解出来ないことを認めないタイプの人間が陥入り勝ちだ。自分も、そういう年齢なので注意しなければならない。
  • 知りたいことと知るべきこと。;人は知るべきことではなく知りたいことを学習する。
  • 記憶とは。:脳のDBへの登録だが、類推や補完によって最小のエリアで済むようにフィルタリングされている。
  • 脳で見ること。:視覚についても、人は網膜に写ったものを見ているのではなく、網膜で認識した信号を脳で再処理した上で記憶している。だから、同じ画像を見ても人によって残る記憶が異なる。しかも、「」にあったように、一度記憶したものでも周囲の反応によって変えられてしまう可能性がある。この時、本人が「自分では赤だと思うけどみんなが青って言ってるから青って言っとこう」としたのではなく、本当に「赤いものを見た」として記憶が変化させられているという点だ。

 人の記憶がいい加減なのではなく、自分の記憶についても同じことが起きてる可能性があるということは覚えておいたほうがいい(このことは「ニセの記憶」で取り上げた)。どんなに自信があっても、違う意見を頭から否定するようなことはすべきではない。

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