観ない時にはテレビのスイッチを切ろう。

old_TV 何もわかっちゃいないのは、その経営に関わる方とやらだろう。テレビが家庭のリビングルームにあることが前提でしか考えていない。真剣に観てもらわないように作った番組に飽きた消費者の「じゃ、もうテレビ要らんわ」とか「押し付けがましい笑い声がうるさいから消す」という行動を止められないだろう。テレビが家庭に入ってきた頃の栄光を忘れられないのだろう。液晶モニタはテレビを映すためだけのものではなくなっているのに。

 ヤフオク!のための会費は自分も無駄だと思いながらも払い続けている。最初は、オークションを安全にするための保険であり、身元確認のためと言っていたのに、完全な収入源になっている。年に数回出品して数千円回収する(しかも、その度に5%だったかの手数料を払って)ためにこれを払っているというのは経済的合理性はゼロと言ってもいいのに・・・

メディアの退蔵益-この半年でいちばんショックを受けたテレビの話
 ここ1年半ほどテレビに関する調査データをもとにコンサルや政府の研究会などの仕事をさせていただいたが……なにもわかっちゃいなかったのか?

 あるテレビの勉強会でお話をさせてもらって、終わったあとにキー局の経営に関わる方に声をかけられた。「あなたの話はわかったけどちょっとだけ違うんですよ、テレビ局というのは」と言われた。私の論旨は、「ネットとデジタルの時代にテレビが生き残るには、テレビのファンを作るしかない」というものだった。「そのためにデジタルが活用できるのに、それをメーカーとテレビ局が組んでやっていない」とも言ったと思う。

 人は立場によってモノの見方が変わるという本当にいい例だと思う。その人は、「テレビ局にとっては“真剣には見ていないとき”がテレビの理想なんですよ」と言ってのけたのだ。テレビに見入っているときはCMが邪魔になる。好きな番組は録画してCMスキップされてしまう。「甲子園球場名物のカレー屋では阪神が頑張るとカレーが売れない」というような構造のお話。その点、誰もまじめに見ていないときのテレビは、家庭の真ん中にドンとかまえた巨大な広告塔、いまの言葉で言えばデジタルサイネージ。最近のテレビは大きいから、渋谷駅前の交差点に座って生活している感じになってくる。

 そこで繰り返し流されるトヨタや花王のコマーシャル(広告量が多いので例としてあげさせてもらいました)によって、商品名を覚えて、イメージが作り上げられて消費につながる。広告代理店も、広告主も、テレビ局も、日本経済も大ハッピーとなる。まさにビジネスモデルの視点だけから言えば理想のテレビではないか。

 ところで、これを先週ある新聞社の方にしたら「新聞もそうですよ」とあっさり言われてしまった。日本の新聞は宅配なので下手に真剣に読まれるよりなんとなく届いていて、なんとなく読まれたりするのがよいのだそうな。いちばんいいのは、奥さんがチラシ広告だけ床に広げてシッカリ読み込んでいるような状態。これって、要するにメディアに対価は支払っているけど消費はされていない、いわば“メディアの退蔵益”とでもいうべきものだろう(退蔵益というのは、商品やサービスを買ったものの利用せずに返金もしなかったときに生ずる利益のことである)。

 買ったけど消費しなかったモノたちの記憶、みんな心当たりあるでしょう。私の奥さんが秋葉原の電話店でiPhoneを買ったときに、マクドナルドのコーヒー券を45枚ほどもらったのを思い出した(結局1回も行かなかったのだ)。私は海外旅行好きだが欧米人のように昼間ホテルで過ごす時間を楽しんだりしないので、まったくその部分を消費していない。テレビの退蔵益は、そういうなかではテレビ局・メーカー・広告主・出演者・視聴者とステークホルダーが多いので、話がちょっと見えにくかっただけなのだ。ちなみに、個人的にいちばん無駄になっていると思うのは、ヤフオク!のために毎月払っているお金。1年間に1回くらいしか使わないのに月額294円と書こうとしたら、ひとしれず2回も値上げして399円になっているじゃないか。

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