「虚偽の記憶を減らす方法 」というより「記憶に影響するバイアスを排除する方法」

 「錯覚の科学」でも取り上げられた話題だ。自分は既にあやふやになっていることを確認した。

 その時は確か23時台で「そろそろ寝よか」と思いながらリビングの iMac に向かい、背後のテレビのNews23の音声でニュースを聞き流していた。そこに入ってきた臨時ニュースで知った。まだ2機目が突入する前でビルが倒壊する前だった。絶望したであろう人が次々と飛び降りていくのを観た。そして2機目がもう一方のビルに突入した。「えらいことになったなぁ・・・気の毒になぁ」と暗い気持ちになりながらも対岸の火事なので、そのまま寝た。ビルが完全に倒壊したのを知ったのは翌朝だった。

 これが 9.11 の記憶だが、本当に4(関西では TBS 系列)チャンネルだったのか NHK だったのかは定かではないし、2機目の突入をリアルタイムで見たのか録画で見たのかも自信がない。その後の報道によって得た記憶が交じる可能性もある。

 下の記事は記憶の呼び出し時のバイアスについての研究といえるだろうか。記憶と照合する際には「注意深く見るのではなくチラッと見て判断するほうが良い」ということらしい。

 この感覚は素人の自分でも分かる。ひとつの文字をじっと眺めていると「”あ”ってこんな形やったっけ?」となる。並べてみれば一目瞭然な違いを識別するのは難しい。

 まして、事件から時間が経過した後の裁判での証人のいう「ここに犯人がいます」という証言にどれくらいの信憑性があるのかは疑わしい。まして、事件から裁判までにマスコミによる犯人像報道を見聞きしたりしていたら記憶自体が書き換えられている可能性が高い。 

「虚偽の記憶」を減らす方法 « WIRED.jp
人間の記憶における最も大きな虚偽は、それが偽の記憶であっても真実のように感じられてしまうということだ。われわれの記憶は、過去を切り取ったスナップショットのように見えるが、実際には想起するたびに常に書き換えが行われていく、事実とは異なるストーリーの集合なのだ。

9.11同時多発テロ事件の記憶について考えてみよう。ニュー・スクール大学のウィリアム・ハーストとニューヨーク大学のエリザベス・フェルプスらは、過去10年間にわたって、あの悲劇的な出来事に関する人々の記憶が着実に低下していく過程を追跡している。まずは、攻撃の発生直後に記憶を調査し、次に1年後に調査したところ、すでに記憶の細かい部分の37%が変化していることが明らかになった。最新データはまだ公表されていないが、記憶されている「事実」のかなりの部分が変化していることが予想される。

こうした「虚偽の記憶」は、われわれの個人的な過去に影響するだけではなく、社会にも大きな影響を与える。年間75,000件以上の起訴が、第三者の記憶のみを根拠としているからだ。

[冤罪問題に取り組む非営利国際的組織である]『イノセンス・プロジェクト』によると、後に覆される有罪判決の約75%は、誤った目撃証言に基づいて下されているという。

偽証は重罪だが、事実と異なる目撃証言の大多数は、故意や意図的なものではない。過去の記憶を呼び起こすという行為そのものが記憶を変化させることが、明らかになっている。われわれの記憶は常に変化しており、過去の出来事の詳細は、現在の心情や知識によってゆがめられているのだ。ある出来事を思い出せば思い出すほど、その記憶の信頼性は低くなっていく。

それでは、誤った目撃証言によって有罪判決が下されてしまうような悲劇をどうしたら防げるのだろうか。オーストラリアのフリンダーズ大学のニール・ブリュワー博士は、警察の面通しに着目した研究を行った。面通しとは、複数の外見の似た人物を目撃者に見せて、その中に容疑者がいないか確認させるものだ。

目撃証人は通常、じっくりと時間をかけ、容疑者かもしれない人物のひとりひとりを注意して見るよう促される。しかしブリュワー博士は、強く残っている記憶は、弱くて事実と異なる記憶に比べて、想起しやすいことを知っていた。

そこでブリュワー博士は、目撃者にわずか2秒で答えを出させた。さらに、単純なイエスかノーの答えを求めるのではなく、その人物が容疑者だとする考えに、どの程度自信があるかも答えさせた。

この手法を試す実験として、ブリュワー博士のチームは、905名のボランティアに、万引きや自動車窃盗などの犯罪を扱ったいくつかの短い映像を見せ、その後、顔写真を12枚見せた(中に1枚だけ本物の容疑者のものが混ざっていた)。実験の結果、ブリュワー博士の「面通し」方式では精度が格段に向上し、被験者が正しい容疑者を言い当てる確率は、通常の面通しに比べて21~66%上昇した。面通しを1週間後に行った場合でも、即座に答えを求められた被験者のほうが、はるかに高い正答率を示したという。

つまり、長く熟慮するほうが信頼性が低くなる可能性があるのだ。長く熟慮するとき、われわれは、単に容疑者の顔に見覚えがあるかどうかを検討する代わりに、ほかに手がかりや指標になるものを探し始める。これは時として、まったく面識がないのに、見た感じが最も疑わしい人物を選んでしまったり、警察官や弁護士のほのめかしに意見を左右されたりといった結果につながる。結果として、実際には存在しない記憶を持ち始めてしまうのだ。

現状を改善するには、シンプルな制度改革が助けになるかもしれない。われわれは、過去を徹底的に懐疑しないかぎり、事実とフィクションを混同し続け、無実の人を牢獄へ送ってしまうのだろう。

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