それは「本」ではない:紙の本が決してなくならない理由

20110222_elemental フェティッシュとしての書籍が、時を知るための道具としての時計が意味をなさなくなったのに残っているのと同じ理由で、残ることは予想される。古書店や古道具屋が残っているようにだ。しかし、コンテンツを流通するための物理的メディアとしての機能は有してはいないだろう。

 本に対しては特別な思い入れを持つ人が多い。恐らく自分もその一人だ。好きな作品が本棚に並んでいるのを見るのは楽しい。新しい本を入れるのもだ。しかし、それはコンテンツへの気持ちとフェティッシュへの愛着が分かちがたい感情だろう。素材や形状、デザインに凝ったもの。また、パラフィン紙に包まれただけの岩波文庫も味があった。

 が、これらを懐かしいと感じるのは、コンテンツを消費するときに手にした記憶が移転しているだけだ。いまどきの若者に岩波文庫のパラフィン紙の文庫より萌絵のカバーこそを懐かしむだろう。そして、そのことは全く同価値だ。

 これからの「本」はコンテンツを移転するための媒体としての正確は失うだろう。CDやDVDがゲームや音楽データのそれであることから駆逐されたのと同じだ。磁気テープ、カセットテープ、LD、FD、DAT、ZIP、MO,CD、MD、DVD、BD・・これらと同じだ。本が違うのは使われた期間が長かったために、人がコンテンツと同一視する習慣が付いているだけにすぎない。

紙の本が決してなくならない理由 | Pouch[ポーチ]
このところ日本でも広く親しまれるようになったデジタル書籍。2012年、すでにデジタルが紙書籍の売り上げ部数を抜いたアメリカでは、この傾向を分析したり、歓迎したり、憂えたりするブログやコラムをよく見かけます。

今回お届けするのも、そんな話題のひとつ。ニュースサイト『Mashable』に掲載された「紙の本が決してなくならない理由」という記事です。様々な意見を取り入れた興味深い内容をご紹介いたします。

「いずれ紙の本はなくなってしまうのでは」という不安をよく耳にします。たしかにデジタル書籍の「管理と持ち運びの楽さ、マルチメディア性」といった便利さは圧倒的。保管場所がいらない利点もあります。では、場所を取っても残したい、紙の本にしかない良さとは何でしょう?

■モノとしての美しさ
本が売れるためには、書店の棚で目立つ必要があります。そのため、紙の本は商業デザインとしての高度な歴史を持っています。美しい本は、それ自体が優れたデザイン・アートと言えるでしょう。

■装丁のちから
例えばこんな意見。「読書を食事に例えれば、デジタルは ”同じ白い皿ばかりで食べる料理”、紙の本は ”料理ごとに様々な皿で食べる料理” のようなもの。どちらも味は同じはずですが、全く違う体験です。紙質、活字組み、フォント、手触りなど全ての組み合わせが、より豊かな読書体験をもたらしているのです。」

■所有したいという欲求
好きなアーティストの写真を壁に貼るのにも似て、ある作家が好き、ということは、その人の個性であり、自己表現のひとつでもあります。本好きにとって「自分の愛する本を所有したい」という気持ちはとても大きなもの。

「デジタル書籍を買う」ことは、実は「特定のデータにアクセスする権利 を買っている」ということで、”所有” の感覚も違うのではないでしょうか。デジタル出版関係者の中にも、好きな本はハードカバーで購入している人は多いのだとか。

■思い出を呼び起こす力
ジャーナリスト兼エッセイストのジョン・キーナン氏の話がとても印象的です。

「物としての本には過去を呼び起こす力がある。例えば、40年前のメトロの切符が一冊の本から滑り落ちる。すると私は1972年9月のパリ、サン・ジャック通りにいる。そこで私はある女性を待っていたのだった。また別の本には……」

たしかに、古い本や何度も読んだ本には、沢山の思い出が詰まっているもの。挟んだまま忘れていた何か、走り書き、折れやシミ、そんなすべてが過去を呼び戻すモニュメントに。

こうして見ると、紙の本が単なる ”文章をとじたもの” ではないことが分かります。それはデータにはない、人の心に訴えかける ”物の持つ力” と言えるのではないでしょうか。

同じことが書かれていても、それぞれ違った長所と短所があるデジタルと紙。今後デジタルが増え、紙の本が減っていくのは避けられないかもしれません。それでも、どちらか一方を選ばなくてはいけない、ということもないはずですよね。両方の良さを活用できる、賢い読者になりたいものです。

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