マンダラートの作者の今泉氏がPDAラボに連載されている。PDAコンソーシアムPDAラボ
マニアしか読んでいないであろうところに、「マニアがマーケットをダメにする!」という刺激的な見出しを持ってくるところはさすが、マンダラートの作者だ。しかし、いろいろと疑問を感じた。反論というより、「そうかなあ~?」という感じだ。
かってオーディオは、マニアの巣窟のようなマーケットだった。マニアたちは「音楽」を聴くより、再生される「音」を愉しみ、オーディオ装置をいじることに生きがいを持っていた。しかし音源がカセットテープ主流になる頃から急速にマニアが駆逐されていったし、CDや MP3になった今、「音を愉しむ」マニアは衰退していった。オーディオは「音楽を愉しむ」ツールになっていったのだ。一方、デジタル技術の先端をいく商品であっても、携帯電話はマニアを生まなかったし、テレビもビデオも、マシンをいじることが目的というマニアを生んではいない。
まず、今でもオーディオヲタはいるし、その数は大して変わらないだろうと思う。確かに、機能の限定されたテレビやビデオなどの機器はヲタを産んでいないが、携帯電話はヲタを量産しているといっても過言じゃない。でなきゃ、何万もする高価格の高機能端末が売れるはずがない。ケータイパワーユーザー達の機能への探究心はすごいのに、この人には見えていないようだ。というより、「PDAはマニアの機器で普及した機器にはマニアはいない」ということを前提にしているのではないか。
次に、このオーディオマニアが減ったために普及が進んだという書きかたについての疑問。オーディオマニアもPCのマニアも数は大して変わっていないが、普及して母数が大きくなったために、率が相対的に減っただけじゃないのかと思う。昔は、パソコンを自分で持っているというだけでマニアだったのだ。モデムを繋いでパソコン通信をしているというだけで変人扱いを受けたのだ。今は、ほとんどの家庭にPCがあるので、PCが自宅にあるというだけでマニア扱いは受けなくなった。
こうした現実に直面してみて、PDA の発展のためには、マニアマーケットを、ノンマニアマーケットにしなければならないことが分かってきた。PDA のマーケティングは、マニアマーケットからいかにして脱出するか、が、メインテーマなのだ。そしてそのためには、マニアの生態を知り、マニアの生息するエリアを知り、マニアの生存できる環境を、1つ1つ、潰していかなければならない。
結果としてマニアの比率が下がったものを見て、「マニアの手から商品を取り戻すには、PDAという商品から、これらの『マニア特性』をうまく消し去っていけばいいのだ。PDAの成功は、これしかない」といわれてもずれていると思うがどうなんだろう。
今泉氏がマニアがいないことで普及したというジャンルのもので、メーカーがマニアを駆逐するような動きをしたことがあっただろうか?オーディオマニアがいなくなったからオーディオは普及したのか。技術革新による機器の低価格化とポータビリティの確保により、オーディオ機器に対する認識が変わったことが大きいんじゃないか。
ただ、このマニアの生態分析は面白い。予想に反して、俺はこのうち「玩具性に惹かれる」ことにしか該当しないが(^^;
また、これはまだ途中なので、継続してつっこんでいきたい。
ところで、根本的にかみ合わないところがある。俺は「PDAは健全に発展しなければならない」とは思っていない。自分がvisor prismを使ってできていることを代替できるほかのプラットフォームが安価に手に入れば乗り換えるだろう。それが、スマートフォンなのか通信機能付き小型PCなのかは分からないが。