テレビの功罪「芸人を知らないと死ぬほどツマラナイ」について

 笑いの本質を突いている。笑いはコミュニティの共有から出発する。共通のバックグラウンドがなければ笑えない。太郎冠者を見て爆笑している人など「今は」いない。

 これを逆手にとってお茶の間に入りこみ擬似的にコミュニティを成立させたのがテレビだ。笑顔や笑い声の効果音でその場にいるような錯覚を覚えさせ、帰属意識を満足させる。そして、実は一方的に見ているだけなのに視聴者に親近感を抱かせてしまう。そして、「笑い」は帰属意識を表す踏み絵の役割を果たす。テレビでよく見るお笑い番組で大して面白くもないやり取りで大きな笑いががあるのもそのせいだ(プロの笑い屋さんや効果音は除くが)。狭い劇場のワンマンライブなどでは、そのコミュニティへのコミットメントを表現するためにより高らかに笑い声を上げる人がいる。逆に、同じ芸を見てもファンでない人などは盛り上がれずに取り残される。ま、自分が会社で笑わないのはこれの逆の現象だろう。

 漫才ブーム以降のお笑い番組はこれが顕著だ。その最たるものが「キャラで売る」という奴だ。見た目や喋り方に特徴があるとそれを全面に押し出して笑いを取る。それをネタにしたプライベートな発言をすることで自分も視聴者との距離を詰めるというやり方だ。これはある意味効率がいい。キャラで売れれば本人は芸をしなくてもいい。だから、漫才で売れたコンビが売れ出した途端漫才をやらなくなる。ネタを作って稽古するより楽だから(テレビによるネタの消耗度については別の機会に)。

 芸人が芸をやらないを見ていられるのは、キャラを理解し帰属意識を持っている人間だけだ。だから、普段その芸人を見ていない人が今のテレビ番組というかバラエティを見ても面白くないのは当然だ。芸人が芸をする番組やドラマ、スポーツ、ニュースを見てそうならないのは最初から帰属意識が要らないからだ。

 この帰属意識を逆手にとった商売で悪質なものは政治屋に転職する芸能人だ。どう考えても政治家として社会を変えていこうという意思などこれっぽっち感じられないような女子アナ上がりとかスポーツ選手とか、俳優が票を集めるのも勘違いした親近感による投票行動によるものだろう。全く知らないおっさんより、テレビでよく見る美人女子アナのほうが親近感を覚えるのだろう。こいつらと世襲政治家が日本の政治がいつまでもマトモにならない原因だろう。あ、あと族議員もいるな。あれ、マトモな政治家ゼロじゃん。

【日本の文化】芸人だらけのテレビ番組でもいい / 問題なのは「その芸人を知らないと死ぬほどツマラナイ」という点 – ロケットニュース24(β)

3年間ほど海外を放浪していた日本人男性Sさん(31歳)が、日本に帰国して最初に感じた違和が「日本のテレビ番組」だという。「以前はバカ笑いしてあれほどオモシロかったバラエティー番組なのに、帰国したらテレビに出ている芸人さんがまったく知らない顔ぶれで、まったく笑えなかったんですよ。このひとたち何を仲間内でワイワイやってるんだ? って感じちゃったんです」(Sさん談)

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