考えること

関心空間は楽しい。blog的な繋がりを簡単に作れる面白いサイトだ。参加者と登録キーワードの相関が面白い。最初の頃は平均10だったのが参加者が増えるに従って、10を切っている。中には100以上(最高500)登録している人もいるし、一つも登録しない人も多いようなので、おおざっぱな平均ではあるが、傾向としては下がっている。

 こういう場を与えられて(参加人数は登録者数なので、最初から見ているだけのひとの数はカウントされていない)も、何も書くことのない人が多いということに残念な気持ちが残る。前に書いたKNOPPIXを見ても何も思わなかった後輩に失望した時のような気持ちに近い。

 俺は、こういうところで面白いキーワードを多岐にわたって出せる人間にあこがれる。もちろん、一つの得意分野で深く書くのもいいが、いろんな引き出しを持っている人が魅力ある人だと思う。

 何も書くことがないということは、何も考えずに人に与えられた情報(多くがマスコミの又聞き)を無批判に取り入れているだけなんだろう。「次はこれが来るよ」「今の流行はこれだよ」と言ってもらわないと何も選べない。いいか悪いかも判断できないし、自信もないからブランドに頼るのではないだろうか。

 ただ、このタイプのデータベースの場合は後になればなるほど参入したくなる。自分の書きたいことについてほかの人が登録を終えている可能性が高くなるからだ。まして、前に上手に紹介されていたら、拙い紹介文でキーワード登録することに抵抗を感じるだろう。だから、新規加入者ほど平均登録数が低くなっていくのは、当然ともいえる。上限も決まっているし。それにしても10もないって少なすぎると思う。

 同時に、個人の持ちうる興味の限界を示しているのかもしれない。人間の知識は、数百年前より増えたはずだ。記録媒体や交換手段の発達で自分で経験していないことについて知ることが可能になった。接する情報量は飛躍的に増えたにもかかわらず、個人の情報処理能力はそれほど増えていない。パイの大きさが増えていないとすれば、人間が持ちうる興味の絶対量が増えないのは当然だ。

 関心空間は1万人ベースのブレーンストーミングと考えられる。それが重複を含めて10万しか挙がらないのが日本の現実なのだろうか。

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