何のためのルール?

「総務型ルール遵守社長」が会社を滅ぼす

 ここに書かれた組織の弊害は俺の良く知っている会社によくあてはまる。「こんな無駄なことはやめて、社内規程を変えればいい」と、何回言ったことか。

 法律を換えることや顧客との慣習を変えることは難しいだろう。しかし、社内の規程はなんてローカルルールなんだから、法的な問題がなければ、仕事のやり方に合わせて変えればいい。昔に必要だった手続きの多くが不要になっている。また、仕事のやり方の変更によって邪魔にすらなっている。

煩雑なルールを覚えることに若いうちにエネルギーを割きすぎ、その結果として本当に重要な仕事の構想力や大きな視野といった能力の開発が未発達のまま放置されたりする。細かい手続きには通じているが、どうみても「小物」という若手が増えてしまうのである。
 二番目の問題は、・・・・どのようなルールであれ、それがルールである限り守るべきだと信じてしまう若手が増えてしまうことである。・・・ある種のルールは命がけで守るべきだが、ある種のルールは時と場合によっては破るという判断力が本来は必要である。判断力が必要な仕事をしているから人間が雇用されているのだが、ルールを守ることを優先する人は、ルールにぶつかった瞬間に自分の頭で考えるのをやめてしまう傾向がある。・・・

第三に、・・・細則や派生ルールに基づいた無意味な「筋論」をスマートにこなすスキルがそのうちに発達してくる。・・・そのスマートさを身につけても、企業本来の目的である利益獲得には一切つながらないのである。
  また、そういった企業ではルールに抵触しそうなときに、それを回避する裏技が発達したりする。その裏技を見つけだす作業も、一見賢く見えるのだが、よくよく考えればムダな作業である。なぜなら、そもそもの無意味なルールが存在しなければ、その裏技は何の役にも立たないからである。若い人たちがこの種の裏技こそ経営管理だと思い始めたり、この裏技が“デキル”がゆえに上司から可愛がられるようになってしまうと、本当に生産的な仕事とは何であるのかという基本を忘れ始めてしまう。

 まさにこの作業に面することがあり、うんざりすることがある。ある部署は、予算の実績を操作するために、同じものを買ってもそのときによって費用の科目を変えている。実に無駄な労力だ。そこで使われた費用が何に対してどれだけ貢献しているかという視点でチェックしない予算管理を厳しくしたらこうなってしまう例だ。

 また、そんなルールを守ることだけを仕事と勘違いする人間だけが高く評価をされるようでは、実際の仕事のレベルが上がらないのは明らかだろう。実際に、俺の良く知っている某企業ははっきりその弊害が現れている。

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