素敵な活字中毒者

 この本は、複数の作者が一つのテーマを与えられて書いたものではなく、バラバラにかかれたものを集めただけなので、統一性がないのは仕方がない。というか、そこが面白いところでもある。

 しかし、コレクターについて書かれた文は俺には退屈だ。コレクターはコレクターのカテゴリーで語るべきで活字中毒者ではない。様々なコレクターを扱ったものの中に、本コレクターとして登場していただいたらと思う。

 昔(といってもほんの10年ほど前以前のこと)は、活字中毒と本コレクターは見分けが付きにくかった。古文書の研究をする人にとっては状況は変わっていないのかもしれないが、一般でははっきり異なってしまった。

 著作権と集金システムが完成するまでは、紙版で出版される新刊本をネットで読むことは難しいだろう。しかし、プロの書く新刊本と同等のテキストがネットにはあふれている。ネットには、個人の生の意見や感想がある。面白いのは、既存のマスコミには取り上げられることなどない、生の生活者の感覚だ。

 この本に、新聞や雑誌を一日10時間以上もかけて読んでいる作家がいたが、そんな人間は今どうしているんだろうか。朝刊と夕刊だけでなく、リアルタイムで新しい記事が掲載される新聞サイト。しかも、4紙や5紙などというような数ではない。日本語で書かれた新聞だけでも100を下回ることはないだろう(地方紙、業界紙を含めば)。さらに、雑誌のサイトも数え切れない。

 そんなテキストジャンキーの過ごし方をうまく表現した関心空間キーワードが合った。

 小林秀雄の文章は興味深かった。澁澤龍彦と夢野久作の作品はすでに持っているので、新しくはないが、読んでいない人にとってはおいしいはずだ。後、椎名誠他の座談会も「そうそう」と膝をたたきっぱなし。この4作品のためだけでも、定価で買って惜しくない。もし古本屋で見つけたら定価より高くても即買いを推奨する。ちなみに絶版なので、新品の物を定価で買おうとおもってもできません。
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田辺聖子:
ほんとに好きな本にあったら
(あと何ページあるのかしら?)
と、こわごわ、うしろを見たりする。

小林秀雄
自ら行動する事によって、我を忘れる、言い代へれば、自分になりきる事によって我を忘れる、といふ正常な生き方から、現代はいよいよ遠ざかつて行く。

紀田順一郎
一種の無菌状態におけるフラストレーションの中に、崇拝の対象が見つかったのだから、狂信的になるのも当然である。他の一切は眼中になく、獲得のためにあらゆる手段を講じるようになる。

座談会より
・お菓子の中に必ず栞みたいなのが入ってるでしょ。食いながら、まずその文字を読んでるんだ。
・本や新聞をもたないで電車に乗ると、すごく怖いでしょう。
・怖いというよりも、空白感があるね。
・ときどき本を読みたいために、わざわざ鈍行で行ったり・・・
・昔は、本を読んでいると、同好の士という感じがわかったんだけど、いまはマスコミに動かされてるからわからないね。

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