スマートフォンの終焉が近づいている–次の大きな波は何か 

 「スマートフォン終焉っていいたいだけちゃうんか」と言っておこう。

 ハードウェアプラットフォームとして、この筆者はスマートグラスを推しているが、スマートウォッチでうまく行っていない実用性からの批判を行っていない。スマートウォッチに対する「現実的にスマートフォンの代わりとして使えるほどの処理能力とバッテリ容量を、スマートウォッチのようなものに収めるのは、あまりに難しい」という批判はスマートグラスにも当てはまるだろう。というか、スマートウォッチのほうが先にクリアできるだろう。だから、「次」はスマートウォッチだと自分は考えている。

 スマートフォンまたはスマートウォッチなどの周辺機器としてのスマートグラスが実用化されるかもしれないが、スマーフォフォンの「次」ではないだろう。

 回線もコンピューティングパワーも持ったスマートグラスが実用化されるかもしれないが、自分が生きている間にできるかどうかわからない。脳直結デバイスはさらにその先だろう。

 それ以前に、スマートグラスはスマートフォンもスマートウォッチも置き換えないと考える。人類すべてがメガネを掛ける未来はないだろう(業務中にならあり得るだろうが)。それに、身につけるデバイスとしてメガネは克服できない弱点がある。常時メガネを必要としている人間ならわかる。ずっと付けていられないことだ。

 スマートウォッチについて考えたときに書いたが、スマートフォンを置き換えるデバイスは現れない。電話やメッセージの交換、フィットネス・トラッカーにはブレスレット型端末を使い、テキストコンテンツのやり取りには4~5インチ、動画を手元で見るときにや読書にはは8インチ、家族で見る場合にはどこかから30インチのモニタを使う。スマートグラスは表示インターフェースを補完するものとして多くの液晶デバイスを置き換えるだろう。また、ARやVRゴーグルもスマートグラスの使い方の一つとして残るかもしれない。

 大量の文書を書くときには物理キーボードを使い、絵を描くときにはペンを使う。これは脳直結インターフェースが実用化されるまで残るだろう。人間の体が今のままなら、置き換えることは難しい(ただし、物理キーボードのUIはまだ発展途上だ)。

 これらが全部同期して使える。これが「次」だ。

スマートフォンの終焉が近づいている–次の大きな波は何か – CNET Japan

 2007年の初代「iPhone」の登場は、コンピューティングパワーの使い方をめぐる革命の到来を告げるものだった。コンピュータが、デスクに置いて勤務時間中に使うPCという形から、ポケットに入れて持ち運び四六時中使うものへと変わったのだ。

 スマートフォンはそれから約10年の間に目まぐるしく変化し、今やその性能は頂点に達している。進化の過程でPC、カメラ、テレビ、衛星ナビなど、さまざまな機能を取り込み、常に身近にあるデジタル機器となった。

 だが、「2倍の明るさで輝けば、半分の時間で燃え尽きるものだ」(このセリフを引用するのはどうかと思うが)。そして、スマートフォンの輝きは、あまりにも明るく、まばゆいほどだった。

 スマートフォンのイノベーションは、ゆっくりと止まろうとしている。端末に詰め込める機能はもうあまりなく、今ではディスプレイにカーブを付けることが最先端技術と言われるようになってしまった。巧みな機能が過剰に搭載されており、ほとんどの人はその存在に気付きもせず、一度も使うことなく終わってしまう。多くの国で市場は飽和状態にある。

 スマートフォンは、黎明期から10年をかけてほぼ完成形に到達した。

 では、次に来るものは何なのだろうか。

 一時期は、ウェアラブルが次の大物になりそうだと目されていた。だが、現実的にスマートフォンの代わりとして使えるほどの処理能力とバッテリ容量を、スマートウォッチのようなものに収めるのは、あまりに難しいということが明らかになりつつある。仮にその問題を克服できたとしても、ウェアラブルで十分な大きさの画面を確保することはできそうにない。ユーザーとデジタル世界をつなぐ中心的な仲立ちにはなりえないのだ。

 そこで、拡張現実(AR)と仮想現実(VR)が有力な候補となる。

 筆者はどちらも試したことがあり、言葉が出ないほど驚異的な技術だが、世間の大半は真剣に取り合おうとしていない。

 それも、いずれは変わるだろう。すでに現在のスマートフォンには終焉の予兆が見られる。

 サムスンの「Galaxy S8」などのスマートフォンは、ヘッドセットに接続するとVRビューアとして機能するようになっている(次期iPhoneもおそらくそうなるはずだ)。

 これだけでは、VRの利用そのものが飛躍的に進むきっかけにはならないだろうが、少なくとも、来たるべきものが何なのか、消費者が知る手がかりにはなるだろう。

 筆者としては、中期的に見て、ARとVRの概念がもっと一般的になれば、スマートグラスがいずれ息を吹き返すという展開になると考えている。スマートグラスの行く手を阻む要因は少なくない。たとえば、いわゆる「Glasshole」(「glass」と「嫌なやつ」を意味する「asshole」の合成語)の問題は随所で取り上げられている。また、このようなメガネが妨げになることもあるため、装着を嫌がる人も多いだろう(特に、メガネのレンズに映る情報を読んでばかりで会話が上の空になる人がいたりしたら)。
だが、パーソナルテクノロジの次なる進化となると、何らかの形で視野に重ねて表示するもの以外、筆者には思いつかない。

 スマートグラスが足がかりとなって、スマートコンタクトレンズや、さらには思考を読み取る技術が登場するだろう。Facebookは4月、思考の読み取り技術の開発にすでに取り組んでいることを発表した(Elon Musk氏も同様の技術について語っている)。

 もちろん、スマートフォンがすっかり廃れることはないだろう。古い技術は絶滅するのではなく、ニッチを見つけて化石化するだけだ。

 これに最も近い例がPCだ。導入が急速に進んで飽和状態に至り、停滞が長く続いた後、最後にイノベーションをひと花咲かせてから、穏やかなニッチに落ち着く。今後5年から10年をかけて、スマートフォンも同じ道をたどることだろう。スマートフォンはまだ何十年か使われるはずだ。いまだにポケットベルを使っている人がいるように。だが、テクノロジ業界はすでに、スマートフォンの先を見据えている。

 ここで問題になることがある。VRのような未来のテクノロジはすべて、ましてセンサで思考を読み取るという概念は間違いなく、プライバシー、テクノロジの正しい利用、社会への影響に関して、重大な問題を提起するということだ。

 こうした問題は、スマートフォン時代にすでに起きている。ユーザーの行き先を追跡するのは、どこまでを適切とみなすのか。人と人が直接向かい合うより、スマートフォンを操作する時間の方が長ければ、社会にどんな影響があるのか。

 それでも、スマートグラスや、さらには思考を読み取る技術によって、人とテクノロジの関係がいっそう緊密になり、舵取りが難しくなったときには、私たちは複雑なこのスマートフォン時代をある意味で懐かしく振り返るのかもしれない。

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