人間の記憶の限界とは・・・「物忘れ」考

 HDD の容量にしてどの程度なのだろう。脳細胞の状態で記憶しているとしたら限界はある。HDD の記憶可能ビット数に上限があるのと同じだ。脳細胞の数が何Tなのか知らないが、そのうち1万円以下のHDDに負ける日が来る(もう来てるかもしれないが)。これは、人間の網膜の解像度がコンパクトデジカメに負けたのと同じでかならず来る。

 ただし、人間はHDDと違ってその脳細胞の記憶メカニズムを全部使えないことと、連想記憶や記憶の変形、すり替え、捏造、忘却によって節約することが可能な点だ。そのように「記憶の節約」あるいは「脳活動の節約」こそが人間の認知・記憶のメカニズムだろう。

 そして、これによって節約する代わりに、偏見や誤認識がついて回るようになった。自給自足の時代には問題にならなかったこれらの「錯誤」によって現代人は追い詰められているのかもしれない。

 ただ、一方で、この限られた記憶から決められたことを引き出すだけでなく、周辺記憶を呼び起こしたり、組み合わせて新しい概念を作ることも可能になったのではないだろうか。これこそが創造性の源泉ではないか。

 記事の「間の脳はほんとうに「パンク」するのか」については。パンクするはずがない。パンクする前に忘れるだろうから。人間の脳は常に google dance を行っているDBのようだ。古くて使わなくなった記憶は集約したり捨てたり、検索時の順位を下げたりする。常にそうやって新しい情報を書き込むエリアを確保している。そして、入ってきた情報も、過去の情報と照らし合わせて整理する。

 人と会う時も、初対面の人だと全情報を記憶しようとして記憶エリアに書き込むだろうが、日常的に顔を合わせている人だと情報はその日の出来事や会話だけでいいだろう。それ以外の容姿情報などは既にインプットしたものがあるから毎回覚え直す必要はないからだ。だから、よく、たまに合う人が痩せたり太ったりするとすぐに分かるのに毎日会っていると気づかないということがある。前回あったときとの差が少ないと記憶に一々書き込まないせいだ。そして、初対面の人と会話すると疲れるのも処理しなければならない情報が多いからだろう。

 興味深いのは、この記憶の節約方法はそのまま mpeg のデータ圧縮アルゴリズムと同じということだ。「変わらない部分は記憶しない」ことで記憶エリアを節約し、書き込む手間を節約するのだ。

 ただ、一つ疑問なのは、取り出しの問題だ。昔に記憶して忘れていたものも、何かのきっかけで思い出すことがある。つまり、脳の何処かに残っていたのに取り出すことができない記憶が有るということだ。つまり「物忘れ」にはいくつか種類があるということだ。

 一つ目は、覚えられなかった記憶。短期の記憶がオーバーフローして頭に入ってこない状態だ。英語のリスニングをしていて、一つ一つの文章の意味は捉えられても、後になって「さっきのアナウンスで欠航したのはどの便ですか」と聞かれても答えられないようなケースだ。二つ目は、完全に忘却の彼方に追いやられた記憶だ。3年前の特にイベントもなかった日の昼食を覚えている人がいるだろうか。これらは数日はせいぜい次の日くらいまでしか残っていないだろう。三つ目は、上に書いた、記憶に残っているのに取り出すことが困難な記憶だ。自分は漢字や歴史で習った知識などで思い知らされる。良く知っている難しくない日常の漢字が書けなかったりする。ヒントがあればすぐに思い出すから二つ目とは違う。そもそも、その字は読むことはできるので「忘れている」という状態とは本質的に違う状態だ。にも関わらず書こうとしたら出てこない。

人間の脳はほんとうに「パンク」するのか:研究結果|WIRED.jp
2015.07.31 FRI 09:20

人間の記憶のメカニズムは、脳でどのように機能しているのだろうか。ミズーリ大学の認知心理学者たちが「記憶」について研究を進めている。

ファーストキスのことは、誰しも覚えているはずだ。子どものころに使っていた電話番号も、あるいはクルマをどこに停めたかだとか最後にひどく酔っぱらったときだとかも。それから、おそらく円周率も──最初の3桁くらいなら。

人間は、日々新しい記憶を蓄積している。パートナーとキスしたり新しい電話番号を覚えたり、円周率暗記大会に出場したり。しかし、そういった新しい記憶が積み重なってくるにつれて、脳がいっぱいになるのではないかと心配になるかもしれない。

果たして、どうだろう。人間の脳は、ハードディスクドライヴのように容量不足になったりするものだろうか? 実はそれは、「記憶の種類」によるようだ。

「記憶のメカニズムは、現象1つひとつが脳細胞に入りその脳細胞を埋め尽くすようなものではありません」と、ミズーリ大学の認知心理学者、ネルソン・コーワンは言う。記憶は長期間かけて、神経系を構成するニューロンの回路としてネットワーク化される。そのとき、新しいパターンを形成する脳の容量は“無限大”で、理論上は記憶にも限りはないのだという。

しかし、身に覚えがあるだろうが、記憶はいつもそのままで保存されているわけではない。似てはいるが別の記憶同士が掛け合わせられ、“雑種の記憶”がつくり上げられることがある。

もしも思い出せないことがあったなら、それはつまり、その記憶には価値がないということにほかならない。類似の記憶がお互いに妨げ合い、正しい記憶が表面に出てくるのを邪魔する。いわゆる「記憶の干渉」がよく報告されているが、コーワンら研究者たちは、この現象を「神経メカニズム」として解き明かそうとしている。

「このような妨害が起こるのは、似たように思われる記憶同士が、脳の神経回路上においても類似性をもっているためではないか」と、コーワンは言う。「脳は正しいパターンに落ち着く必要があり、困惑すると記憶が間違ったパターンに落ち着いてしまったとき、記憶は機能しないことがあります」

例えばポルトガル語とスペイン語のように似た言語を同時に学んでいるとすると、一方の単語がもう一方の言語の領域に“侵略”するように感じるかもしれない。それは“ハードドライヴ容量”が足りなくなったということではなく、新しく習得する情報を分類したりグループ化したりしながら学んでいるということなのだ。

しかし、上記のような「長期記憶」とは異なる「短期記憶」においては、また話が変わってくる。記憶はすぐに容量を満たし、オーヴァーロードしてしまう。

短期記憶では、ほんの数個の情報を頭のなかで同時に捌くだけでも実に大変だ。ごちゃ混ぜのなかに物事を投げ込むと──例えば何人もの人を一度に紹介されたりすると、ついさっき紹介された人の名前も思い出せなかったり、あるいは電話を取る前に考えていたことを忘れたりしてしまう。

研究者たちは、この短期記憶で人間が覚えていられる数を解明した。そして、それは決して多くないと言う。

例えばモニター上に映し出された色分けされた丸を覚えるように言われたら、大抵の人は3つか、せいぜい4つしか覚えられない。文字をランダムに覚えるように言われたら、せいぜい7つで行き詰ってしまう。

「しかし、もし〈CIA〉や〈FBI〉、〈IRS〉といった文字列だと、どうでしょう?」とコーワン氏は言う。「9つでも、覚えられるでしょう。それはその文字列が、既に頭のなかでグループ化されているからです」

コーワン氏いわく、物事に意味を割り当てひとつの大きな塊としてまとめることで、我々は操作できる概念の数を拡張している。つまり、これが学習のプロセスで、短期記憶を長期記憶へと変えるわけだ。脳は、大まかな要素を取り出し、生まれてから築いてきた分類様式に組み込むことで、大量の情報を効率的に処理しているのだ。

そして、忘却もまた、学習プロセスにおいては重要だ。「我々の脳は無限の量の情報を保存するようにはできていません」と言うのは、ジョージア・リージェンツ大学の脳解読プロジェクトを指揮する神経学者、ジョー・ツィエンだ。

ある臨床実験は、何か新しいことを学ぶことは、忘れることを促進すると示している。これは、古い情報によって、より新しくて有益な情報が妨げられることはないと考えれば、好都合だ。週末にパーティーで誰かおもしろそうな人と出会ったとしよう。脳はおそらく「魅力的だった」とか「頭の回転が速かった」とか「おもしろかったか」といった情報を覚えていることだろう。シャツのボタンの色や鼻の上のそばかすの数といったようなことは、忘れてしまえるのだ。

『ネイチャー・ニューロサイエンス』に発表された研究論文では、このメカニズムを明らかにするため神経イメージングの画像が報告されている。2つの考えが互いに競っているとき、脳は古い記憶を抑制メカニズムで神経回路のネットワーク化を抑え、新しい記憶が促進される。

また、何かを忘れたからといって、それは永久に消え去ったわけではない。「要求に応じて正しい情報を引き出そうにも、それが困難なことはあります」とコーワンは言う。「しかし、その情報はまだ“そこ”にあるはずです」

記憶はしばしば、コンテキストによっても変化する。英『サイコロジー』誌で発表された有名な研究(1975年、リンク先PDF)によると、スキューバダイビング中にリストを覚えた参加者は、陸上よりも水中にいる方が記憶を呼び起こすのに優れていたことを実証した。

いずれにおいても、脳は、我々が使ってきたよりはるかに多くの容量を備えている。ならば、もっと使えばいい、のだ。