「輸血申請の数が減ると死亡率も減少していくらしい」のか?

 多分、元になった論文はちゃんとした検証のもとに書かれているのだろう。記事にした人間に悪意があったのか、アホなのか、あるいは翻訳の時におかしくなったのかは分からない。

 まず、第3段落の「「私たちは、血液が命を救うのだと、ある意味洗脳されているのではないでしょうか。献血は多い方がいい、と」同じくNature誌にてそう語るのは、麻酔科医のSteben Frank氏」は輸血申請の数と死亡率について何も語ってない。単に、反省を述べているだけだし、そもそも輸血の話ですらない。翻訳が誤ってなければ献血の是非についてしか述べていない。

 最終段落では、輸血の話になって、輸血に伴うリスクを「ゼロ信仰」の立場から指摘しているような論調だが、おそらく「輸血の使い過ぎに警鐘を鳴らすものとなって」いるといういうAnthes氏の論文の内容とも合っていないだろう。Anthes氏の論文は「過ぎ」について問題視ししてるの出逢えって、「減らせば死亡率が減る」とは言っていないだろう。

 減らせば死亡率が減るのならやめたら死ぬ人がゼロになるというのか?もちろんあり得ない。それでしか救えない命もある。また、医学の進歩で以前より少ない出血で手術ができるようになったりもしている。そもそも、輸血が少なくて済むように医学が進歩したことが死亡率を下げているとも考えられる。

 このタイトルは輸血申請を減らしたことが死亡率を下げたかのように読めるが(自分の解読力が低いからかもしれないが)、同時に起こったからといってこうは言えない。このような処置のできるような医療機関だから減らすことができた可能性がある。そのような医学技術の進歩が輸血を減らすことと死亡率を下げることの両方に影響した可能性は高いだろう。

 アンチ現代医療の人間は薬を避けたがるが、アホかと言いたい。頻拍のときや帯状疱疹で薬に救われた。病気の性質から考えて死にはしなかっただろうが、薬を使わなかったら、薬を使えば避けられた苦痛に耐えなければならなかったはずだ。

輸血申請の数が減ると死亡率も減少していくらしい : ギズモード・ジャパン
輸血、それは数々の命を救ってきたなくてはならない医療方法。

人間の体は、駆け巡るアツい血があってこそ。非常事態でその血が足りない時、私たちは輸血という手段で対応してきました。が、Nature誌に掲載されたEmily Anthes氏の論文内にて、輸血の危険な一面が語られています。

輸血の必要性、それは言われなくてもわかります。人は血が必要ですから。第二次世界大戦で血液バンクができ、そこから広く輸血が使われるようになりました。が、その広まりは急速で、研究やテストが十分でないままだったという声があがっています。「私たちは、血液が命を救うのだと、ある意味洗脳されているのではないでしょうか。献血は多い方がいい、と」同じくNature誌にてそう語るのは、麻酔科医のSteben Frank氏。

近年、医療界では輸血の動きに歯止めをかけようとする流れがあります。スタンフォード病院・クリニックでは、ドクターたちに輸血申請の数を減らすよう指導しています。その結果、コストは160万ドル減、入院期間も短縮され、死亡率も減少といい事尽くめに。

コスト削減よりも何よりも注目すべきは、輸血によって引き起こされる難しい問題。もちろん問題が起きる確立は大変低いですが、ゼロではないということを忘れてはいけません。何かに感染した血が入り込むケース、他人からもらった血が体内の免疫システムとうまくいかないケースなど、リスクはあるのです。血液型別に血を分けることで、免疫関連の問題は大きく避けられますが、それも完璧ではないもの。Anthes氏の論文は、輸血の使い過ぎに警鐘を鳴らすものとなっています。

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