Google ストリートビューのタイムライン表示に見る自分の限界

夙川女子短期大学跡地
夙川女子短期大学跡地
 いつから始まっていたのか知らなかったが、waze を編集している時に現地の状況を確かめようとしてストリートビューを見ている時に気づいた。

 右の写真は、先日法務局に行く時に通った道。急な坂道の上にそびえ立つモダンで大きな容量のコンクリート造りの建物は印象的で目立っていた。自分が大学生の時にこの近くに住んでいてバイクで近くを通っていたので景色の一部として刷り込まれていた。久しぶりに通ったら空間になっていた・・・中に入ったことは無かったが、色々と思い出のある建物だったので複雑な感情が心を吹き抜けていった。

 しかし、Google は Google map によって生活を変えつつ有ると思う。Google がオンライン地図サービスに乗り出すと知った時に、「便利にはなるが、そこで何かを大きく変えることができるのか?」と疑問に思った。ストリートビューを知った時も「そんな力技で世界中の街の画像をDB化できるんかいな?」と懐疑的だった。完全に自分の見る目のなさを思い知らされた。

 モバイル環境の高速化と低価格がここまでの速度で進むと予想していなかったことが予想を外す原因だったと思う。当時の従量課金では地図データを常時表示させて更新させることなど出来なかったし、ガラケーの処理能力では自動車の速度で走りながらGPSを更新し通信を続けることも難しかっただろう。

 Google map を考えた人間がそこまで考えていたかどうかは定かではないが、少なくとも彼らは、目の前の障害が高いからといって、そのハードルに合わせたレベルのサービスで満足しなかった。その当時の環境では事実上使い物にならないサービスを構築していた。ここが Google のすごいところだと思い知らされる。

 目前のハードルを越えることを目標にしてしまう。その目標を越えることに全力を尽くすあまり、その目標を超えた先のことを考えられないのは自らの可能性に枠をはめるに等しい。これは、Sony が iPod mini を目標にして同じようなスペックのものをちょっと安く作って満足していたら、Apple はベストセラーだった iPod mini を過去のものにする新製品 iPod nano を作っていたときと同じだ。Sony は iPod mini を目標として設定しそれを越えることで満足していたのだ。所が Apple は自社製品をはるかに超える所を目標にして次作を作っていたのだった。勝敗は明白だった。同じような構図の競争がその後の10年近く日本メーカーは繰り返してきた。

 今、なぜ、こんな、何回も書いたことを書き記したかというと、仕事上で似たようなことに追い込まれていることを感じているから。これまで、自分の権限で出来る範囲を超えて既存のやり方をスクラップにしてきた。反発を受けたり文句を言われたりは日常茶飯事だが、自分のスコープが従来の業務の枠より広かったので、現在の業務をスクラップにする方法も結果も自分でコントロール出来た。しかし、今度担当するのは五里霧中のプロジェクトだ。時間も限られ、成果を求められている、しかも漠然としただ。更に、前者からのプレッシャーと注目も高い。その中でGoogleの奴らのような着想ができるのか、自分にもわからない。

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