JR西日本、国土交通省、マスコミ

 ATS-Pとは、4月の尼崎脱線事故後、安全の切り札のように言われ、多くの同様のカーブに配備することが決定された速度制御装置のことだ。しかし、その多くが設置時の設定ミスで数年間もまともに動いていないことが分かった。

 マスコミや国土交通省はJRを一方的に攻めることで正義の代理人のような役割を演じようとしているが。大間違いだ。むしろ共犯者だ。

 「あのとき、ATS-Pが配備されていたらこんな事故は起きなかった」ということすら否定されたということは報道されていない。国土交通大臣だった北川とかいうおっさんが、「ATS-P配備までは再会を認めない」と、無責任丸出しで語ったことの無意味さも忘れられているようだ。

 ATS-Pの設定をミスっていたJRの責任は問われるべきだ。再発防止策も必要だろう。同時に、国土交通省の監督官庁としての責任も問うべきだろう。認可事業なんだから、「これこれこういう仕様で安全確保します」ということに対して承認したんだ。その基準がおかしくてATS-Pが正常に機能していないのに、チェックできていなかった国土交通省にも責任はある。

 次はマスゴミ。マスゴミは目先の対策の有無やミスをあげつらうだけで世論のミスリードを行わせた。事件とは無関係な宴会を犯罪行為のようにほじくり返しながら、国土交通省のミスやATS-P過信を招いていた。

 出てきたJRの対策は、「当分の間最高速を下げる。事故現場の制限速度を下げる。ダイヤを変えて余裕を持たせる。ATS-Pを配備する」といった場当たりなものばかりだった。事故の原因はまだはっきりしていない。少なくとも手前のストレートでの最高速度やカーブの制限速度を下げることは何の対策にもならない。「制限速度をはるかに越える速度で通過したこと」が直接原因なのだ。

 重要なのは、速度超過の危険性を徹底することだ。現場では、制限速度を超過した運転が日常的だった(これは毎日乗っていた乗客の感覚だ。遠心力のかかり具合で分かる)。運転士には、「70km/hの制限速度なんか守らなくても大丈夫」という共通認識があったはずだ。これは、事故直後に、記者会見でJRの社員が「現場の設計限界は130km/hだから速度超過による事故であるはずがない」と言っていたことから明らかだ。この発言は後で、「混乱時の誤認識」として訂正されたが、少なくとも、「制限速度は相当に余裕を持った数字であって守らなくても大丈夫」という認識はあったはずだ。

 運転士の錯乱とか意識喪失の可能性もあるので、この速度超過に対する認識が引き金になったのかどうかはまだ分からないが、運転士が意識があったのならばこの認識が下敷きになったことは否めないだろう。

 同時に、マスゴミは日勤教育をあげつらっていたが、事故の主原因とは言いがたいだろう。日勤教育のプレッシャーから遅れを取り戻すための速度超過に繋がったのは否めないが、だからといって大事故が予想されるようなスピードで突っ込むわけはない。もちろん、これも意識があったとしての予想でしかないが、そもそも意識がなかったのなら日勤教育も全くの無関係だ。

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