シャッター商店街2.0到来か/ネット通販の興隆で地方経済がさらにヤバイ

 これからが本番/現実店舗の「ショールーム」化のリスクは家電以外のあらゆる量販店に及ぶに書いたものと同じ論調のエントリがあった。というか、引用したエントリのほうが先だった。

 ナショナルブランドの商品だけを扱う流通業は全て通販に置き換わっても不思議はないと思う。どこで買っても同じものなら購買にかけるコストを最小にしたいのが消費者だ。購買行動自体を娯楽に変える「何か」を持たないと通販には勝てないだろう。地方在住者の平均年齢が上がるにつれこの傾向はさらに上がるだろう。また、若年層も地元の中途半端な家電量販店の狭い選択範囲から選ぶくらいなら価格ドットコムや Amazon で買ったほうがいいと考える人が多いはずだ。

 これの先行事例が本と CD だろう。どこで買っても同じ内容であること、付加的なサービスに依存しないこと、品揃えが良いことなどにより、Amazon に完全に市場を制圧されてしまった(ただし、Amazon は物品の小売で勝利したが、デジタルコンテンツ小売という次のフェーズでの勝負が待っている。これについては別の機会に書きたい)。
 

ネット通販の興隆で地方経済がさらにヤバイ: やまもといちろうBLOG(ブログ)

 まだ本格的な調査は先なんだと思いますが、ネット通販の興隆が量販店、ロードサイド店の収益性を押し下げたときに地方経済に与える影響を調べ始めるべき時期がきていると思います。

ネット通販が量販店を潰す日
 まあ、書くだけ書いておいて、まだじっくり語れるほどの知見は出来上がっていないわけですが。ただ、モデルとして考えられるのは、都市と地方の関係、すなわち東京とそれ以外の関係だけでなく、英語圏と日本の関係、世界から見たローカルサイドとしての日本のポジションの問題となるわけです。

 租税の問題というのはまさにその前哨戦で、その市場から出る売上は誰のものかであり、メソッドはアマゾンが開発したものでアマゾンのサーバーが運用しているものである以上、単純に商行為が日本で行われているからといって決済はすべて英語圏でやったものだから売上は英語圏でカウントされるべき、といわれると日本自体が英語圏の支店経済になってしまうことにもなります。

 一方で、日本が持つ独自のよさというものが海外に持っていかれたときに、より大きな市場で勝負できるメリットをどのように享受するのか考えるのが国際派日本人ビジネスマンの役割でもあります。これがまたむつかしい。

 我が国の成長戦略と一言で言ってしまっておりますが、この構造の中で考えるとアマゾンは悪者になり、steamやhuluやコンテンツのデリバリーで相応に画期的な方法を軸に収益を挙げている会社のイノベーションを排除しようということになると日本は英語圏から取り残されてしまいます。

 なので、競争分野を絞って日本も世界と互角にやっていくのだという考え方のもとで編み出される競争・成長戦略と、国内の雇用や景気や技術革新を生み出す成長戦略とは拠って立つ土台が違うのでしょう。でしょう、と書くのは、まだあくまで仮説であって、まだそんなに研究が進んでないしデータも揃ってないから言い切れないだけなんですけど。

 このままいくと、通販の交流と共に日本の地方経済を曲がりなりにも支えた量販店やパワーセンターやロードサイド店といった業態は打開策のない状態のまま売上を通販に取られて衰退していくことになるのです。それも、まずはペットボトルの水や、酒類といった重い物から狙い打たれ、それが通販に取られると車でお店に来る動機が失われ… ということで、地元経済が最低限成り立っていた部分すらも徐々に目減りしていくんだろうなあと思うわけですね。

 世界における東京の競争力自体はまったく揺るがない状態ではありますが、日本全体はどうかと考えたときに襲われる絶望感はどうにかならないものでしょうかねえ。という与太話でした。

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