記憶・継承

 人間が短時間のうちに文明を築くことができたのは、言葉と記憶(記録)によって(文字以前は口述伝承だったはず)、無形の概念や情報を継承し積み重ねる能力を獲得したからだろう。動物も子供に捕食や安全確保の方法を肉体的手段で子に教えることはする。しかし、記憶の伝承方法を持たない動物は、親や祖父の代に起こったことから学ぶことはできず。生まれた固体は生存のための最低限の知識しか継承できずに命をつなぐ。

 ニュートン力学や相対性理論は突然現れた大天才によって成し遂げられたような隔絶ぶりだが、じゃあ、彼らが100年早く生まれていたら同じことができただろうか。俺はできたとは思わない。それまでに営々と積み上げられた先達の記憶があってこそのジャンプだったはずだ。ニュートン力学があったから相対性理論が生まれたのだ。常識(過去の歴史)を覆すような創造性は、常識の中からしか生じないだろう。

 もっと極端な話、人は(天才だろうが凡人だろうが)それまでに積み上げられたものや環境(時代といってもいい)という激流に生じる粟のようなものだ。

時間が川の流れなら
俺たちは浮かんでは消えていく泡
くっつりたり離れたりしながら
ぱちんとはじけてさよなら(白濱隆)

 人類の大天才のほとんどは、その力を発揮せずに終わっている。これは、俺の言葉だが、確信に近いものがある。今、高等教育(読み書き以上の教育)を受けられるのは人類として生を受けたものの何パーセントか考えれば分かる。たまたま、教育環境に恵まれた社会に生まれても、その力を発揮できるような教育環境に育つのは少ない。さらに、その人間が発揮できる分野に目覚める機会があるとなるとさらに少ないだろう。時代に早すぎるか遅すぎるかしてもだめだ。日本の江戸時代の農村にニュートン並みの天才が生まれていたとしても、その能力を発揮することはなく、「あの子は賢いね」で終わっただろう。今でも、紛争地域に生まれているかもしれない天才は成長に必要な栄養すら与えられずに終わっているに違いない・・・

 相原コージの漫画にあった一こま。(八百屋のおばさんに矢印があって)「物理学をやればニュートンレベルの天才」とあり、次のコマで「でもやっぱり、八百屋のおばさんで一生を終える」というもの。

#ほかのエントリを書いているときに書いたら、収まりが悪くなって別にした。結論なしご免。

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