オリンパスと日本の経営者

 モバイル情報機器を作っていないオリンパスを取り上げることは少ないが、自宅サーバに残骸として残っているブログのエントリをサルベージしているときに、取り上げていた。それは、2004年に発売した m:robe という携帯音楽プレーヤーだ。Apple が HDD 搭載の iPod による躍進を続けていた時だった。その時のエントリはこちら

 損失隠しの上手な小宮弘社長が壇上に立っていたらしい。当時から彼は利益隠しで監査法人や金融庁、投資家を欺いていたわけだが、その彼をしても一般ユーザの目を欺くことができなかったというのが感慨深い。この製品は、発表時の「百年」どころか2年も持たずに姿を消して、その後オリンパスは音楽プレーヤーを出すことはなかった。

 この製品のダメさっぷりは今のモバイル端末における日本メーカーの凋落を表していると思える。発表時点では自分はこの製品を触ることはなかった。それでも、この端末が失敗するということは確信していた。自分に特別な力があったわけではない。普通の消費者として iPod と比較しただけだ。そして、音楽プレーヤーを実際に自分のお金で買おうとする多くのというより大半の人が同じように考えた。それだけのことだ。

 なのに、オリンパスの首脳陣にはこれが分からなかったらしい。しかし、これはオリンパスの経営陣だけではない。何回も取り上げているように、タブレット市場に挑む日本メーカーの全ての首脳陣が分かっていないとしか思えない。開発の遅さと競合他社の製品を見ていないかのような価格付け。しかも、今の日本メーカーは価格支配力などこれっぽっちも持っていないにも関わらず、自己満足的な仕様を「付加価値」として売れると思っている。市場が望んでいるものはそんなものではないのに・・・

 発売後1年くらいして完全に終わった頃になって m:robe を入手した。買ったのではなく兄にもらったのだった。新しもの好きの兄はよくわからないままに m:robe を買ったものの使いにくさに辟易して iPod を買ったのだった。

 大きくて美しい全面液晶やタッチオペレーションは珍しかったが、レスポンスや操作体系が悪く使い物にならなかった。「開発者はホントにこの機械を使ったことがあるのか?」と思ったほどだった。通勤時に持ち運んで音楽再生してみればすぐに使い物にならないと分かる(というか、音楽プレーヤーを日常生活で使っている人なら一瞬で分かる)。開発者や技術者は開発した物を客観的に見ることはできない。試作段階から煮詰めてそこそこの形にしてきた苦労がちらついて、「最初に作った時よりずっと軽くなってる」などと思ってしまうのだ。そういった自己満足な使えるものの寄せ集めをボツにできるかどうかだ。

 日本メーカーの経営者はこの判断に劣っているようだ。デジタルデバイスを自分で使っていないから。ここが Jobs との違いだろう。Jobs を神格化するのは間違いだ。神格化することで自分たちができることをちゃんとやらなかったことを無効にしようとする姑息な判断がある。Jobs を賞賛する経営者のほとんどがこれだ。自分の部下がゴミを持ってきたときに「こんなもん使えるか」と言えないのだ。

 ちなみに、これについて、Sony が Apple に追いつくのは当分無理どころか差を広げられる一方だろうと確信した事実がある。それは、iPod nano の発表・発売当日の Sony による network Walkman の発表でやらかした失態だった。当時の役員が壇上で Walkman を誇らしげに記者団に見せたのだが、なんと上下逆に持っていたのだ。つまり、彼らは音楽プレーヤー市場での劣勢を挽回するための戦略商品を使ったことがなかったのだ。一度でもヘッドフォンを挿して音楽を聴いたら上下逆に見せるなんてあり得ない。

 Jobs はキーノートスピーチで操作してみせるのが普通だった。iPad では自宅でくつろいで使うという使い方を想定した端末であることを印象づけるためにソファに座って操作した。だから Jobs は iPod や iPhone を上下を逆にして客席に示すことなど一度も無かった(Mac はよくフリーズしたけど)。

 日本の経営者がダメなのは、天才じゃないからではなく、一般人の感覚を持っていない情弱だから。取り巻きや下っ端が用意した端末をチョロチョロと触ることしかしなければ、m:robe のような端末が iPod より良く見えてしまうのだ。自分で設定して音楽をCDから取り込んでみたら嫌でも分かることが分からないのだ。

 日本の経営者は、孫に言って欲しい「次の誕生日にスマートフォンを買ってやる。どれがいい?」と。それが答えだ。

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