人格の多面性「ネット上で共有する記事やコンテンツと本当に好きなものとの落差は大きい」

 「共有する記事はその時発信するコミュニティによって変化させている」ということでしかないだろう。そんなことはネット以前からあったことだ。会社と家庭とでは違う顔だろ。むしろそれが普通。

 それと、ネット上では良く見られたいのではない。リアルの自分を知らないネット上ならよくない部分は隠すことが可能ということだろう。

 だから、匿名の掲示板や匿名ブログで晒している自分のほうがリアルな生活で現している自分よりもっと正直なケースだってある。

ネット上で共有する記事やコンテンツと本当に好きなものとの落差は大きい–Diggの調査結果より.

つまりDiggは、人びとが実際に読むものと、Facebook Timelineで共有するものとの、違いを調べた。後者はDiggの新機能Social Reader Open Graphを経由していて、これのおかげでリファラーからのFacebookのトラフィックは67%も増えている。その調査が発見したのは、人びとはインターネットの上で理想化された自分の像を見せる、という、意味深長な心理的傾向だ。

Diggのデータによると、“エンタテイメント記事(芸能記事)は読まれたすべての記事の14%を占めるが、Timelineに加えられた記事の4%にも満たない。政治記事も、読まれた記事の10%だが、Timeline上では2%弱だ”。ゲーム記事もやはり、共有されることの少ない記事だ。

セレブの醜聞記事とか戦争ゲームが好きな人は多いが、その好みを他人に宣伝したいとは思わない。Kim Kardashianが最近誰と熱愛しているかなんて、ファン同士で話題にすることはあっても、Facebookでは共有しない。戦争ゲームCall Of Dutyの新しいマップが出た、なんてニュースも。そういう“趣味”が人に知れると、ネット上の自分のイメージの汚点になる、と思われているのだ。また、自分のソーシャルグラフにはいろんな人がいるから、対立を誘いがちな政治的コンテンツは共有しない。だれかの機嫌を損ねるよりも、黙っていたほうがよい。…と思われている。

もちろん、ニッチの記事は、友だちを退屈させたくないと思って共有しないこともある。でも、どこにでもあるような芸能、ゲーム、政治などの記事を共有しないのは、どうもかったるいね。ニッチの記事も、自分がそれを好きな理由とともに共有したら、自分をよく知ってもらえるし、同好の士ができるかもしれないじゃないか。

とにかく、ネット上では自分を良く見せたいという動機が働く。自分のユーモアのセンスを開陳したいし、テク通(つう)なところも見せたい。Timeline上の共有回数のトップは、テク記事5086、おもしろめずら記事2060、世界のニュース951、ビジネス記事785だ。これらに対し、政治記事は244、ゲーム記事は72だった。テク記事5086の断トツぶりは、Diggのファン層の特性を反映している。つまり、テクノロジファンだ。世界のニュースやビジネスニュースが多いのは、上に述べた、“ネット上の見栄”の表れだろう。Diggのファンにはゲーム好きで左翼が多いが、Timeline上の共有からは、そのことは分からない。.

でも、恥ずかしがらずに、本当の自分をさらすべきではないかなぁ。本当の自分を愛してくれる人こそが、本当の友だちだ。お互いがかっこつけていたのでは、良質で実りある人間関係は育たない。どぎつい口論をする必要はないが、自分の本音を言って論争になるのは、むしろ健康的なことだ。その論争を契機に、自分の物の見方が広がることだってある。

Facebookのようなソーシャルネットワークには、人間の本人性が区分けされて、いろんな側面をいろんな人に見せるという、分裂的な性質がある。でも、正直にいろんな側面をさらしていれば、「私が何を共有するか」ではなくて、「私はどういう人間か」をベースに関係を構築できるはず。そう、ぼくについて言えば、本当は今でもMarvel comic(マーベルコミック)の漫画が大好きなぼくが、本当のぼくだね。

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