「経営者の倫理観」に頼ってもあかんねんて

  逆だろう。経営者の倫理観なんかに頼っていてはダメだ。あの日本を代表する大企業の社長でも、一皮むけばこんな恥知らずだ(引責辞任した3社長が東芝社内を闊歩)。

 たまたま発覚したから分かっただけで、それ以外の経営者が志の高い高潔な人格を有しているわけではない。また、企業の業績が順調ならば、この3人だって粉飾決算をしなくて済んだだろう。

 この3人を叩いても始まらない。だからこそ、このような人間が悪事に手を染められないように監視の目を向けなければならない。その時に経営者の倫理観に頼っていても効果はない。ここに来て、個人的な資質に原因があるといっても何の解決にもつながらない。

 ところで J-SOX は機能してんの?こんな明らかな粉飾決算を社長手動でやっていた会社が市場に残っているのって、市場への不信感を助長するだけじゃなかったん?

東芝問題の根本的原因は「経営者の倫理観」
最大の失敗は「目的」と「目標」をはき違え

 こういった経営者の思惑が、どこかで「目的」と「目標」をはき違えてしまったところがあるのではないかと思うのです。

 「目的」と「目標」の違い。ここが最も大切な部分です。

 では、会社の目的とは何でしょうか。目的とは会社の「存在意義」そのものです。

 ピーター・ドラッカーが言うまでもなく、目的の一つは、良い商品やサービスを社会に提供して、お客様に喜んでいただき、社会に貢献すること。これはいい格好して言っているわけではなく、これがなければどの会社も成り立ちません。もう一つの目的は、働く人を幸せにすることです。この二つは、どの会社にも共通する「目的=存在意義」です。

 それらがきちんとできていれば、結果として、売り上げや利益は上がるはずなのです。つまり、売上高や利益は「目標」でしかないのです。しかし、東芝の場合は、残念ながら「目標」が「目的」化してしまった。ここが一番の問題だと私は思うのです。

 今回の問題の原因について、多くの人は「企業統治(コーポレートガバナンス)が十分に効いていなかったからだ」と考えています。もちろん、その意見は間違いではありません。

 ただし、よくよく考えてみてください。東芝のように、売上高6兆円、グループ会社含めて20万人もの従業員がいる大企業の場合、ガバナンス自体、十分できるものではないのです。とくに、それを社外取締役や社外監査役だけに期待するのには限界があります。

 大変無責任な言い方になってしまいますが、社外取締役が何人いたとしても、彼らが会社の隅々まで見ることはできません。報道によりますと、一部の事業の損失は、取締役会で報告されていなかったとのことです。数名の社外取締役が月に一回か二回ほど取締役会に出席するだけでは、報告されていないことまで見抜くことはできません。

 私自身も社外取締役を務めている会社がいくつかあり、取締役会に先立ちたくさんの資料をいただきます。もちろんすべてに目を通しますが、それに記載されていないことや報告のないことは把握できないのです。会社の中を隅々まで歩いて、聞いて回ることも時間的には十分にはできません。それは、東芝のような大きな会社になれば、社内の取締役でも無理です。

 もし、ガバナンスを十分に効かせるとすれば、経営者の首をすげ替えるような強大な権限を社外取締役に与え、「きちんと法令を守り、業績を上げなければ、社長といえども解任する」といったような状況でないと機能しません。しかし、社外役員も実質的には社長に選ばれることや、日本でいわば「脅し」のようなガバナンスが機能するかは不明です。

 もう一つ指摘されているのは、監査法人がどこまで機能していたのかという点です。確かに、監査法人は問題を見抜くことが仕事ですから、東芝の問題を把握することは不可能ではなかったと思います。

 ただ、監査法人の立場にも、問題があります。監査法人は、企業に雇われています。企業に対して、あまりうるさいこと、しつこいことをすると、嫌がられてしまい、最悪の場合は契約の打ち切りを言い渡されることにもなりかねません。

 監査法人が細かく調査しようとしますと、まず、経理部門に大きな負担がかかります。また、各現場にも負担がかかることになります。伝票や帳簿をすべて出したり、データをまとめる手間がかかり、場合によっては、現場での実地調査もありますから、はっきり言って嫌がられるのです。
 さらには、東芝のように不正経理を行っている場合には経営陣にとっても“痛い腹”を突かれるわけですから、あまり細かく調査されますと、こちらからも嫌がられます。

 東芝ほどの大企業の監査をすると、監査費用は年間数億円から数十億円にものぼります。監査法人にとっては、それだけの収入が失われることは致命傷となりかねませんから、契約を打ち切られることだけは避けたいと考えるでしょう。その結果、監査法人によるチェックが効きにくくなってしまうというわけです。

 もちろん、監査法人は今後、間違いなく責任を追及されることと思いますが、このような現状では、問題を見つけることが難しい部分があるのです。

 こういった不祥事が起こるたびに、「証券取引所が監査法人を雇って、派遣する形にすればいい」という意見が出ます。そうすれば、監査先の企業の顔色を窺わなくてもいいわけですからね。しかし、各監査法人でどのようにシェアを分ければいいかというような問題が浮上し、議論は結局立ち消えになっています。

 もう一つ、大きな問題があります。証券取引所の処分も甘いのです。かつて、オリンパスが粉飾決算をして大きな問題になったことがありましたが、結局、上場維持となりました。東芝も同様に、上場維持されることはほぼ間違いありません。

 一時的に注意銘柄に入り、その間にガバナンスが強化されるかどうかを見極めるということですが、「社外役員を増やす」程度のところでお茶を濁すのではないでしょうか。結局、トップが辞任したこともあり、社外取締役の数を増やすということで決着すると思われます。

 このようなことでは、今後も同じような問題が繰り返されてしまうでしょう。

 では、この問題の根本的な原因は何なのか。どのような解決策をとればいいのか。これらの点について考えてみましょう。

 今回の問題の原因は、「経営者の倫理観、考え方」にあると私は考えています。法人である会社を経営するのは「人」です。「法人」に対して「自然人」と呼ばれますが、会社は生身の「人(経営者)」が経営するしかありません。

 その時に、経営者の倫理観や経営哲学がしっかりしていないと、同じ問題が必ず繰り返されます。ガバナンスをいくら強化しても起こりうるでしょう。強化しなくていいと言っているわけではなく、それには先ほども述べたように、限界があるということです。

 結局のところ、経営者の人格、哲学に依存するしかありません。私の尊敬する経営コンサルタントの一倉定先生は、次のような名言を残しています。「会社には、良い会社、悪い会社はない。良い経営者、悪い経営者しかいない」。経営コンサルタントとして経営の現場を多く見てきた私もその通りだと思います。

 ただし、経営者の考え方の正しさをシステム的に維持することは、とても難しいことです。そこでどうすればいいかというと、「罰則の強化」以外ないと私は考えているのです。

 元々倫理観の乏しい人や、金さえあればなんでもできるというような人を、立派な経営者に教育することは難しい。逆に、人間的に立派な人がいたからといって、経営者になるかどうかを担保することはできません。

 ですから、不正を防ぐためには、トップの関与で組織ぐるみでの不正会計が行われるなどの重大な違反が起きた場合には、経営者に刑事罰を科するというように、罰則を強化することが最も効果的だと考えます。

 また、東芝では、社内で第三者委員会をつくって調査をするとしていますが、内部でつくった委員会では、いくらでも甘くなる可能性があります。

 ですから、本来は証券取引所や証券取引等監視委員会などの中に調査専門部署をつくって、調査すべきなのです。そこで組織ぐるみの不正だと認定されれば、かなり厳しい懲罰を経営者に与える。ここまでしなければ、再発は防止できません。

 東芝はかつて、石坂泰三や土光敏夫などの名経営者を輩出した「超」がつくくらいの名門企業です。しかし、残念ながら経営者の人間的な未熟さのせいで、どこかで目的と目標をはき違え、間違った道を選んでしまいました。とても残念なことだと思います。

 この問題は、東芝に限らず、どこの会社でも起こりうる話です。ガバナンスの強化も大切ですが、もっと根本的な問題に目を向けるべきではないでしょうか。

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