クローズアップ現代で「日本の風景が消えてゆく」という特集をやっていた。茅葺屋根のある山村を「日本の原風景」と呼び、守ろうとするムーブメントについて取り上げていた。
なぜか、そちらの側のコメンテーターとして立松和平が出ていた。
「日本人が培ってきた価値観を守ることたとえば、勤勉とか実直とかいった道筋があって・・・日本人の帰る場所としてこの風景を守ることが必要だと思う」
「ボランティアや都会の人の一時的な支援などではなく、ビジネスとして成立しなければならない」
「(農村の風景というのが)何百年という歴史の中築き上げられた合理的なものだった」
まとめることができないので、箇条書きで。
・今でも、日本人の価値観の基本は勤勉や実直を重んじてると思う。大多数のサラリーマンや商売人があぶく銭を追い求めていはしない。一部のマスコミで採り上げられるイメージに操作されているだけだろう。若者の雇用が安定しないのは、若者の意識の変化だけでなく、雇用する側の問題の方が大きいはずだ。勤勉を重要視するからこそフリーターやニートと呼ばれる若者は悩んでいるんだろう。
・「日本人の帰る場所」とか言っているけど、俺が育った頃にはすでに藁葺き屋根はどんどんとブリキで覆われていた。おれにとって、藁葺き屋根の山村なんて、江戸自体の風物を描いた絵巻物を見るのと同じだ。もっと若い人間に取ってはさらにそうだろう。今の、XXハウスとかXX工法のマンションこそが「帰るべき風景」じゃないんだろうか。その、藁葺き屋根の古民家を懐かしく思うのは、そういうところで育ったからにすぎない。
・原生林を切り開いて作った田や林は風景として残すべきではなかったんだろうか。田や畑は自然破壊そのものじゃないのか。今、原生林を切り開いて段々畑を作ったら自然破壊で批判されるだろう。
・産業の構造が変わってしまったのだ。維持するならそのコストを誰かが負担する必要がある。俺は、それを農家に求めるのは酷だと思う。農村で働くことで都市部で仕事するのと同様かそれ以上の収入が得られるようになれば、その家を離れる人は少なくなるだろう。しかし、現実はそうではない。そして、それを今の日本の社会は受け入れているのだ。農家は見殺しでいい。農家を救うために税金を使うのはやめろというのが多数決で決まったのだ。日本の農家が作る高い農作物より外国から輸入される農作物を食べることで、「日本の風景」が無くなってもいいと思っている日本人が圧倒的に多いのだ。安い輸入野菜を買っておきながら、日本の風景を守れとかいうのは矛盾していると思う。
・道路は両刃の剣。自民党政治家と族議員(ほとんどかぶっているだろうが)に票を入れた有権者にも責任を取ってほしい。
・産業の規模が大きくなり環境に及ぼす影響が大きくなった現代は、産業の暴走を押さえ、全地球的な視点でコスト負担を見直す必要がある。アメリカや日本、中国、ヨーロッパ諸国の負担割合が大きいのは当たり前だろう。
・「残すもの」と「誰が負担するのか」については別の機会に考えたい。