正月気分の正体

 大晦日から元日は実家でテレビ三昧だった。実際に観ているかどうかは別としてテレビはつきっぱなしだった。意識して観ているかどうかに関わらず、バラエティーの盛り上げや年始の挨拶は耳に入ってくる。目を向けると晴れ着のおねいさんやお笑い芸人が目にはいる。オアシスはNHKのドキュメンタリーだけだった。睡眠時間を入れて30時間程度の滞在だが、そのうち15時間以上はテレビに晒されていた。

 帰って、テレビのない生活に戻ると正月気分が一気に薄れた。こうなってみると、ただの長期休暇でしかない。これが正月気分の正体ではないか。

 愛嬌のある楽しげで可愛い女子穴も爆笑の若手芸人も実際の生活にはいない。彼らはプロのエンターテイナーで笑顔も楽しげな様子も全てテレビカメラの前の演技でしかない。彼らは彼らの生活があり仕事として楽しげに振る舞っているだけだ。正月の浮かれた雰囲気も全てがテレビで家庭に送られる幻想でしかないのかもしれない。テレビ(テレビ局や広告会社、クライアント企業、政府)は「正月はこうあるべき」という偏見を振りまく。テレビは消費を促そうと躍起になる。そして、お金を使っている人の幸福そうな姿を振りまく。

 問題は、そうでない自分を振り返ったときに不幸に感じてしまうことだ。正月なんて個人の数だけある。同じ家庭や人であっても時によっても違う。笑顔で迎えられる人もいればそうでない人もいる。それが当然だ。

 手狭に感じる居間。小さな子供のテンションの上がった声。赤ちゃんの鳴き声。所在無げな青年。田舎では誰もしていないような奇抜なファッションの娘さん。こんなものにこそ正月の価値がある。

 ちなみに、実家で観たテレビで面白かったのはアドベンチャーマラソンとトレッキング。スロバキアの洞窟だった。

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