一五四一年、パラケルススはザルツブルクで死んだ。享年四十八。その死をめぐっては、いろんな風説が流された。その一つは、彼が居酒屋で喧嘩をして殺されたという説である。
もう一つは、彼の名声をねたむザルツブルクの医師団が、与太者に金を握らせて、泥酔中の彼をなぐり殺させたとか、高いところから突き落して殺させたとかいう説である。それほど、彼の酒びたりは有名だったのだ。
十九世紀のはじめに、フォン・ゼンメリンク博士が当局の許可を得て遺骸を掘り出し、頭蓋骨をしらべると、後頭部に外傷の跡があり、てっきり噂を裏書きするものと思われた。しかしその後、カール・アバーレ博士が四回にわたって再調査して、後頭部の傷害は、佝僂病のためのものであることを証言した。
けれども、この証言に疑問を呈する人もいる。もしも佝僂病による後頭部の傷害が、はっきり分るほど進行していたのならば、胸廓や手脚も、当然、いちじるしく変形していなければならないはずではないか、というのである。なるほど、そういわれてみれば、そうかもしれない。
いずれにせよ、死んでまでも謎を残しているのだから、まことに奇々怪々な人物というべきであろう。