以前、新聞の三面記事に小さく出ていた、きわめて興味ぶかい事件があったのを思い出す。ある若い自衛隊員が、深夜、ひとりで首吊り遊びをやっているうちに、誤って本当に首が締って、死にそうになっているところを助けられたという事件である。その男の告白によると、映画を見て、まねしてやってみたくなったのだそうである。この新聞記事を読んだ私たちは、ほとんど直観的に、この奇妙な事件のマゾヒスティックな臭い(男が自衛隊員であったとは、じつに象徴的ではないか!)を嗅ぎつけたのであるが、世間には、それほど評判にならなかったようである。たぶん、首を吊っていた本人も、自分のマゾヒスティックな性格を意識してはいなかったであろう。自分でも気がつかない性的倒錯者がふえてきているのが、現代の欲求不満だらけの大衆社会の特徴ではなかろうか、と私は考える。
こんな例は、めったにあるものではなかろうが、一般に新聞の報道が自殺として片づけている事件のなかにも、よくよく注意してしらべてみると、なにか倒錯的な、疑わしい点があるのに気がつくことがあるものである。この首吊り自衛隊員の場合によく似た例が、ごく最近のアメリカの新聞にも報道された。
アメリカの西部のある町で、ひとりの少年が、オートバイ乗りのサングラスをかけ、犬の首輪をぴっちり首にはめて、全裸で死んでいるという事件だった。この場合も、明らかに首吊り遊びのヴァリエーションであるにちがいない。さらにここには、サングラスとか革の首輪とかいった、奇妙な小道具によって暗示されるフェティシズムの要素が混っていることふ、容易に読み取れるだろう。ちなみに、有名な阿部定事件も、男女が肉体交渉の最中、ふざけて首を絞めたり離したりしているうちに、誤って本当に殺してしまったという事件であった。
ついでにもうひとつ、マゾヒストの首吊り事件の古典的な例をご紹介しておこう。
フランス王家と関係のふかい大貴族で、「最後のコンデ公」と呼ばれたルイ・ド・ブルボンが、一八三〇年夏のある朝、サン・ルーの城の一室で、窓の掛金にぶら下がって、全裸で死んでいるところを発見されたという事件である。死んだとき、この大貴族は七十歳の老齢であった。彼には、イギリスから連れてきて、自分の家臣であるフシェール男爵と結婚させていた、ソフィーという若い愛人があり、彼女も事件に関係があるのではないかと疑われたが、王家の命令により、このスキャンダルは揉み消されてしまった。しかし、世間のもっばらの噂では、この老人は札つきのマゾヒストだったのである。若い頃は喧嘩早くて有名で、フランス革命のときには、亡命貴族の軍隊を指揮して戦ったこともある男だった。