数々の毒薬による殺人も、ちゃんと「告白録」のなかに、事実のままにぶちまけられていた。いったい、なぜ彼女は自分にとって明らかに不利となるような大罪の証拠を、わざわざ紙の上に残しておく気になったのだろうか。 しかし、この疑問に答える前に、わたしたちは、史上に名高い毒殺魔がほとんど必ず、その犯罪の証拠を何らかの形でしゃべったり、残したりしておきたいという誘惑に抗し切れなかった事実を、知っておくことが必要であろう。とくに女性毒殺犯に、さような傾向が顕著である。 やはり十七世紀の有名な女毒殺常習犯マリー・ボッスは、酒に酔った勢いで、「毒殺って、いい商売なのよ。あと三人殺せば、あたしはお金持ちになって、商売から足が洗えるんだわ」と放言したばかりに、宴席にまぎれこんでいた密偵につかまって、最後には処刑されることになった。 一八五一年に処刑された女中のエレーヌ・ジェガートは、「わたしが行くところ人が死ぬ」と得意そうに語っていたし、一八八七年に死刑になった看護婦ヴァン・デン・リンデンは、「一ヶ月以内にあなたの番です」と予告しながら犯行を重ねていた。この二人の女は、いずれも犯罪史上に名高い毒薬による大量殺戮者である。その犯行にはほとんど動機がなかった。 ブランヴィリエ夫人も、ある晩、酔っぱらって、薬屋の娘に粉末状の昇華物を見せ、「これであたしは敵に復讐するのよ。これで遺産がころがり込むのよ」と、得意そうに語っていたという。・・・・・・ どうやら毒殺嗜好者には、告白の衝動がつきものなのである。 ドイツの医学者イワン・ブロッホが、ブランヴィリエ夫人を評した文章の中で、「性的渇望はもともと潜在的エゴイズムにすぎないが、他人の運命や悩みに対する感受性を麻痺させる。それが進行すると、殺人欲に転化する」といっているのは、彼女のニムフォマニアとしての性格を本質的に犯罪と結びつけて考察している点、出色のものだ。 |