夫人がパリに護送されると聞くや、物見高い連中が沿道にわいわい群がった。有名な犯罪人を一目でも見たいという心理は、新聞も何もなかった当時、現代以上に大きかったはずである。 警官隊長デグレの手に押収された夫人の持回り品のなかには、あの一世を聳動させたスキャンダラスな「告白録」もあった。これは彼女の日記のようなもので、生涯に積み重ねたあらゆる種類の淫蕩な、あるいは残虐な悪事が、細大洩らさず、克明に書きこまれていたのである。 それによると、彼女には少女時代の近親相姦から始まって、堕胎、鶏姦、口淫などの性的体験のあることが知れた。これらは、キンゼイ報告を知っている二十世紀の現代人の眼から見れば、取り立てて異とするに当らない行動かも知れないが、カトリック教の倫理の厳として支配していた十七世紀の当時から見れば、どの一つを取っても、それだけで死刑に値する極悪の罪だったのである。 また、彼女は負債に悩み、債権者と不動産のことで争ったとき、怒りにまかせて、自分の家に放火しようと試みたこともあった。 |