ルイ王朝の君臨する十七世紀のパリに、奇怪な毒殺事件が頻々として起ったことがあった。世にこれを「毒殺事件」という。 当時は、ヴェルサイユ宮殿に代表される絢爛豪華なロココ趣味の時代で、太陽王ルイ十四世のもとに、フランスのパリがヨーロッパの文化の中心として富み栄えた時代である。 そのような輝かしい時代に、まるで中世の暗黒時代を思わせるような迷信や、毒殺事件や、媚薬の売買や、悪魔礼拝などが、社会の裏面で、悪徳司祭や宮廷の貴婦人までをも捲きこんで、ひそかに行われていたことは注目されてよい。 ある学者の話によると、ルイ十三世の宰相リシュリューが周囲に猫を飼っていたのは、単に彼が猫好きであったためばかりでなく、この愛玩動物によって食物の毒味をさせるためでもあったそうである。それほど、毒の脅威は当時にあって一般的だった。 それほど、毒の脅威は当時にあって一般的だった。史上に名高い一連の「毒薬事件」は、政治的陰諜や、ルイ大王をめぐる宮廷の女たちの恋の鞘当てともからみ合って、あたかも王座を転覆させかねまじい一大スキャンダルのまで発展したが、―そのなかでも、一きわ目立った天才的毒殺常習者として、犯罪の歴史に光彩陸離たる名前を残すことにになった一人の女性があった。それが、これから取りあげんとしているブランヴィリエ侯爵夫人である。 |